新聞の折込広告と一緒に入ってくる地元情報誌を見ていて目に留まったのが、こちらの“妻沼(めぬま)聖天山(しょうでんざん)歓喜院(かんぎいん)”。

 

 地元とはいえ埼玉県内にもまだまだ知らないところはたくさんあるんだなぁ~と、早速訪ねることにしました。

 

 妻沼(めぬま)は地名で、以前は埼玉県北部の大里郡の中の妻沼町(めぬままち)でしたが2005(平成17)年に合併し、現在は熊谷市妻沼になっています。石柱門には『武蔵妻沼郷 歡喜天靈塲』と刻まれており、高野山真言宗の寺院だそうです。

 

 参道をすすむと正面に、総門となる“貴惣門(きそうもん)”があります。

 

 その手前には子育て地蔵尊。

 

 貴惣門は正面から見ると重厚かつ優美な重層門で、『皆興願満足(かいこうがんまんぞく)』(※願いの大小や宗派を問わず、分け隔てなく満足を与えてくれる意)と記された扁額が掛かっています。

 

 門の向かって右には毘沙門天(びしゃもんてん)、左に持国天(じこくてん)が安置され、それぞれ足下に邪鬼を踏んでいます。文化財保護で仕方がないのですが、金網が邪魔あせる

 

 門の柱頭周りを賑やかに飾る精巧な彫刻キラキラ

 

 素木の美しさが際立つ八脚門(はっきゃくもん)です。

 

 そしてこの貴惣門の特徴は、横から見たときの破風(はふ)が三つ重なる華麗なデザインで、この様式の門は日本に四棟現存するそうですが、規模の大きさでは比類ないものだそうです。わたしが撮った写真は門が真っ黒に写りわかりづらいので、上の写真は妻沼聖天山のホームページよりお借りしました。

 

 木立に囲まれた参道を歩いていると、

 

 右手に“齋藤別當實盛(さいとうべっとうさねもり)公”の銅像があります。實盛は武蔵国長井庄を本拠とする平安時代末期の武将で、自身の守り本尊である聖天さまを1179(治承3)年当地に祀ったことが妻沼聖天山の始まりだそうです。この銅像は右手に筆、左手に手鏡を持っているように見え、不思議に思って帰宅後調べると、1183(寿永2)年木曽義仲追討のため北陸に出陣するとき、實盛は老齢の武士と侮られないよう白髪を墨で黒く染めてから行ったと伝えられ、これはそのときの姿だそうです。實盛はその戦で討死しますが、改めて武士の覚悟というものを教えられる気がします。實盛の最期の様子は『平家物語』巻第七にも収められているそうです。

 

 この石柱は幟(のぼり)立てでしょうかはてなマーク

 

 ふくよかで美しい“健康長寿観音”は、関東ぼけ封じ三十三観音、第十六番札所の御本尊だそうです。

 

 つづく“護摩堂(ごまどう)”には「車祈願所」の札が下がり、主に自動車の交通安全祈願が行われるところだそうです。

 

 参道二つ目の“中門”。この門は江戸初期の火災にも唯一焼け残り、聖天山内で最古の建造物だそうです。中門には先ほどの関東三十三観音の他、いろいろな霊場の札所番号がいくつも掲げられていました。

 

 中門をくぐると三つ目の“仁王門”。門前では菊花展が開催されています。

 

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 手前の御水屋(おみずや)で身を浄めます。

 

 仁王門は貴惣門よりさらに大きい入母屋造りの十二脚門で、1658(万治元)年に建立された前身の仁王門が1891(明治24)年の台風被害により倒壊したので、1894(明治27)年に再建されたものだそうです。

 

 右に阿形(あぎょう)、

 

 左に吽形(うんぎょう)のお仁王さま。

 

 筋骨隆々の体躯に憤怒の表情も力強く、やはり金網なしで直に見ると迫力が違います。

 

 仁王門には六角形の華やかな吊り灯籠と鰐口(わにぐち)が下がり、その先にようやく拝殿が見えてきました。

 

 仁王門と拝殿の間には正方形の石舞台があり、

 

 菊花で飾られ「七五三等記念撮影にご自由にお使いください」と書かれていたので、

 

 ありがたく石舞台に上らせていただき、上から拝殿を眺めます。妻沼聖天山の御本尊は正式名称を“大聖歓喜天(だいしょうかんぎてん)”といい、福運厄除の神さまとされているそうです。歓喜天というとヒンドゥー教のガネーシャ神を起源とする象頭人身の神で秘仏とされますが、妻沼の聖天さまは日本最古の聖天尊像として知られ、待乳山(まつちやま)聖天(東京都台東区)、生駒山聖天(奈良県奈良市)と並び日本三大聖天のひとつにも数えられているそうです。

 

 拝殿、相の間、奥殿より成る権現造りの本殿は、寺院というより神社のような雰囲気です。創建以来何度も火事による焼失再建を繰り返し、現在の本殿は1760(宝暦10)年に造営されたものだそうですが、2003(平成15)年から8年の歳月をかけて保存復元修理工事が行われ、2012(平成24)年には“歓喜院聖天堂”の名称で埼玉県内の建造物としては初となる国宝に指定されたそうです。

 

 拝殿参拝後、左手の受付で入場券(おとな700円)を求めると、透塀(すきべい)の内に入り奥殿の装飾を外から拝見することができます。

 

 透塀の外には本殿を守るように建つ境内社が見えています。

 

 右から拝殿、中の間、奥殿が並ぶ権現造りの本殿。ここからのぞき見るだけでもじゅうぶんに豪華です。

 

 透塀(すきべい)の中に入ると、ちょうどガイドさんの説明が始まっていました。

 

 間近で見る豪華絢爛キラキラな壁面装飾に圧倒されます。

 

 龍、獅子、鳳凰などの霊獣に象、鷲、猿、雉(きじ)、鴛鴦(おしどり)などの動物、七福神や唐子(からこ)などの人物、その周りを飾る草木など、極彩色に彩られた精巧な彫刻が奥殿の軒から足元に至るまでを隙間なくびっしりと埋め尽くしています。向かって右の扉に描かれているのは滝壺に落ちそうになっている猿を鷲が助けている場面で、ガイドさんの説明によるとそれぞれにストーリーが籠められているそうです。

 

 南面右上の白い象の脇に一ヶ所だけ彩色していない部分があり、これはわざと塗り残し、完成させないようにしたものです。久能山東照宮本殿の“逆さ葵(あおい)”も同じで、古来日本には「完成させると後は朽ちるだけ」という思想があるので、あえて完成させないことにより永遠を願うと言われています。伊勢神宮が二十年毎の式年遷宮(しきねんせんぐう)により常若(とこわか)を保つのと同じ考え方ですね。

 

 縁の下の力持ちよろしく奥殿を下から支えているのはひょうきんなポーズをしたお猿さんたち。全部で13匹いるそうです。

 

 ガイドさんは上から順にひとつひとつ、装飾の図柄や場面の意味を説明してくださるのですが、レーザーポインターの動きに遅れないよう追いかけて見るだけで精一杯、とても全部は覚えきれませんでしたあせる

 

 ぐるりと回って

 

 西面には唐子たちの相撲(右)に、布袋さんと恵比寿さんの碁打ちを大黒さんが酒を飲みながら見ている場面(中央)、下では唐子が凧揚げや川遊びをしている楽し気な様子が描き出されています。

 

 権現造りといいこの華麗な装飾といい、東照宮にそっくりビックリマークと思っていたら、妻沼聖天山はやはり“埼玉の東照宮”と呼ばれているそうです。地元なのに全く知りませんでしたあせる

 

 反対側の北面の扉の図案は、三千年に一度実をつけるという伝説の桃を捧げ持つ西王母(せいおうぼ)(右)と、吉祥天と弁財天が双六(すごろく)に興じているのを毘沙門天が笑いながら見ているというほほえましい場面(左)です。

 

 奥殿は、少し離れて見るとそれだけで大きな神輿(みこし)のような感じです。

 

 透塀(すきべい)の外に出たところに境内社があります。こちらは三宝荒(さんぽうこう)神社。仏・宝・僧(ぶっぽうそう)の“三宝”を守護し不浄を厭離(おんり)する神さまです。

 

 その隣の弁柄(べんがら)塗りが美しい“五社大明神(ごしゃだいみょうじん)”。神明宮(しんめいぐう)、稲荷(いなり)大明神、諏訪(すわ)大明神、灌頂神(かんじょうじん)、井殿(いどの)大明神の五神が合祀されているそうです。

 

 最初に見えていた“天満社(てんまんしゃ)”。天満宮なので御祭神は菅原道真公だと思われます。いずれの境内社も奥殿を守るようにその背後に鎮座しています。

 

 奥殿の有料拝観を終えて境内に戻ります。拝殿の前には土俵があり、今でも奉納相撲などに使われているのか丁寧に保護されています。

 

 弘法大師を祀る“大師堂”は、関東八十八ヶ所霊場の第八十八番、結願(けちがん)の札所でもあるそうです。

 

 大師堂の横の建物には“閼伽井堂(あかいどう)”という札が下がっていて、

 

 中をのぞくと開放部分には釣瓶(つるべ)のついた井戸と土間があり、その右手は水天宮を祀るお堂になっています。

 

 拝殿向かって右手の渡り廊下をくぐり、授与所の裏にある“鐘楼(しょうろう)“を見に行きます。この位置からでも屋根が見え、かなり高さのある鐘楼のようです。

 

 やはり二段重ねの基壇の上に建つ大きな鐘楼です。鐘楼というと素木のイメージが強いのですが、こちらは本殿にも負けないくらい華やかで、格調高い造りになっています。

 

 御神木の“夫婦(めおと)の木”は、ご覧のように欅(けやき)と榎(えのき)の根元が抱絡みあい、支えあい、寄り添って聳えています。

 

 散策路を辿って行くと境内はとても奥行きが深く、池や橋もあって、街中の寺院とは思えないような静けさに包まれています。

 

 岩に刻まれた“軍荼利明王(ぐんだりみょうおう)“。実は写真を撮ったつもりが全然写っていなかったので、上の写真も妻沼聖天山のホームページよりお借りしました。一面八臂(いちめんはっぴ)のお姿がよくわかります。

 

 流れにかかる橋を渡ると、

 

 右上にもお社。

 

 そして観音さまに守られた“平和の塔“は総檜造りの美しい多宝塔で、御本尊は十一面観音菩薩、1951(昭和26)年に締結されたサンフランシスコ平和条約を記念し、戦没英霊の御供養と世界平和を願って1958(昭和33)年に建立されたものだそうです。

 

 奥殿拝観受付前の、狛犬さんが座っているさざれ石のような苔むした台座がいいなぁ~照れラブラブ

 

 境内をぐるりと一回りして戻るとちょうど時分どき音譜。香ばしい匂いにつられて入ったのは、中門の横にある“割烹 千代枡(ちよます)”さんです。

 

 鰻丼と稲庭うどんがセットになった“縁むすびセット”をいただきました。先日の秋田旅でも食べた稲庭うどんにまた会えて、なんだかとても嬉しいですラブラブ。注文を受けてから目の前で鰻を蒸し、焼き上げてくださるので、待ち時間も目と鼻で楽しめて、甘めのたれの絡んだ鰻丼は絶品でしたビックリマークつぎはぜひ鰻重を食べにまた来ますっ!!

 

 食事を終えて改めて眺めると、店舗に付属している土蔵は三階建てという立派なもの。千代枡さんは田山花袋(たやまかたい)の小説『残雪』の舞台にもなったという老舗だそうです。

 

 境内には十月桜でしょうか、白い花が風に揺れていました。

 

 妻沼聖天山の御朱印です。

 

クローバー チューリップピンク クローバー チューリップオレンジ クローバー チューリップ紫 クローバー チューリップ赤 クローバー チューリップ黄 クローバー

 

 遅まきながら埼玉の東照宮こと妻沼聖天山を訪れることができてとても有り難かったのですが、ひとつだけ心残りが・・・。それは参道脇の“聖天寿し”さんの名物いなりずしが買えなかったこと~えーん。利根川沿いにある妻沼は昔から米と大豆の産地として有名で、妻沼のいなりずしは200年も前から聖天山門前町の名物として広く愛されているそうです。写真で見るといなりずしがとても長くて大きくて、“一個”ではなく“一本”と呼びたいサイズビックリマーク。それに干瓢(かんぴょう)の太巻きがつくのですが、なんと午前11時過ぎには完売閉店が常という人気店で、この日ももちろん売り切れでしたあせる。そうと聞いては恋心はますます募るばかり(笑)。にわとりが先かたまごが先か・・・ではないですが、妻沼の聖天さまといなりずしは切っても切れない深~い間柄のようですね。

 

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