秋田県初心者のわたしたちにとって外せない観光地といえばやはりここ、角館(かくのだて)の武家屋敷です。

 

 黒板塀のつづく武家屋敷通りはガイドブックの写真で見たとおりの景色で、紅葉も美しく感激ビックリマーク

 

 タウンマップを見ると、角館は武家屋敷の立ち並ぶ北側の“内町(うちまち)”エリアと商人や町人が住んでいた南側の“外町(とまち)”エリアに分かれていて、歩いて回れそうなので、駐車場に近い内町からスタートします。

 

 また角館は“みちのく三大桜名所”のひとつで、武家屋敷通りと近くの桧木内川(ひのきないがわ)堤の2kmにも及ぶ桜並木がとくに有名なのだそうです。武家屋敷通りにはそれを偲ばせるような枝垂れ桜の大木がありました。

 

 近くには角館町出身の近代日本画の巨匠、平福穂庵(ひらふくすいあん)、百穂(ひゃくすい)父子の名を冠した“角館町平福記念美術館”もありました。

 

 そのお隣が“旧石黒(恵)家”。見たところ武家屋敷ではなくふつうの邸宅ですが、見学ができるようです。

 

 表玄関を訪(おとな)うと係の方が出て来られ、ここは武家屋敷ではなく、斜向かいの武家屋敷“石黒家”の分家で、昭和の時代に建てられた建物ですと説明をしてくださいました。内部は無料で見学させていただけるそうです。

 

 玄関脇の洋間。壁や建具に和の雰囲気が漂いますが、窓は出窓、床は板張りの洋風の応接間になっています。

 

 こちらは床の間つきの座敷。織部窓(おりべまど)が風情を添えます。

 

 仏間の右上には造りつけの神棚も見えます。雪見障子や硝子の引き戸など、地味ながら丁寧につくられた邸であることがよくわかります。

 

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 台所。この邸が持ち主の故石黒恵(いしぐろけい)氏より角館町に寄贈された後、かなり大掛かりに修復され設備等は新しいものに変わっていますが、建築材料はほぼ1935(昭和10)年の建築当時のものをそのまま使っているそうです。左端の椅子の上の小窓は台所と居間をつなぐ受け渡し用で、小さな工夫ですが便利ですよね。

 

 竈(かまど)は土間に置かれています。おくどさんで炊いたあきたこまちはさぞかし美味しいだろうなぁ~と思います照れ

 

 こちらは子どもさんの勉強部屋だそうです。畳敷きの和室ですが随所に洋風の雰囲気も感じられ、窓硝子を見ると、外は和風、内は和洋折衷仕様なのがわかります。

 

 欅(けやき)でしょうか。杢目(もくめ)の美しさを活かした変わり天井がとても素敵ラブラブ

 

 武家屋敷通りの最北端に位置する旧石黒(恵)家は、外観は武家屋敷通りの雰囲気を壊さぬよう和風建築でありながら、内部には洋風のエッセンスを加えた当時としては最先端の文化住宅だったのではないかと思われるお邸でした。

 

 つづいてその旧石黒(恵)家の本家の“石黒家”。こちらは通年一般公開されている武家屋敷です。重厚な薬医門(やくいもん)をくぐり正面に見えるのが主屋の表玄関ですが、そこは格上の来客用なので、見学者は右手の脇玄関から入ります。入館料はおとな500円です。

 

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 石黒家は武家屋敷の中で唯一座敷に上がり、内部を見学させてもらえるところで、最初に係のひとから邸内の簡単な説明があります。それによると石黒家は藩の勘定方を任されていた格式の高い家で、直系の子孫が今も実際に住まわれているのは、角館の武家屋敷の中でもこの石黒家だけなのだそうです。

 

 説明の後は各自自由に見学することができます。頭上の鴨居に渡されているのは位置を変えられる可動式の竿で、昔はこの下に囲炉裏があり、竿に食品を掛けて干すのに使われていたそうです。生活の知恵ですね。

 

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 天井の一段高くなっているところが煙出しで、今はガラスがはめ込まれています。

 

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 囲炉裏の切られた暖かそうな茶の間。

 

 ここは“おかみ”と呼ばれる当主の書斎だそうです。背後の箪笥は鍵付きです。

 

 書院造りの奥座敷。この部屋の畳は茶の間や書斎と違い、すべて床の間に平行に敷かれています。

 

 奥座敷は奥行きの深い庭に面していて、松や樅(もみ)などの古木がたくさん植えられています。係の方の説明によると、武家屋敷通りは道幅が六間(約11m)ととても広く、それは城下町が形成された400年前から今まで変わらないのですが、黒板塀の間際に古木が聳えているのがその証拠なのだそうです。

 

 座敷の欄間(らんま)には縁起のよい亀が彫り込まれていて、行灯(あんどん)の光に透けて壁に映る様子も楽しめるように工夫されているそうです。

 

 内側から見た主屋の表玄関。

 

 その表玄関を外から見たところ。

 

 石黒家は今でも奥に当主ご家族が実際に住んでおられるので、公開されているのは一部ですが、角館に現存する武家屋敷の中では最も古いお邸だそうで、それを見せていただけるだけでも大変有り難く思います。ここは明治大正期に増築された蔵で、展示室として開放されています。

 

 蔵の中に蔵ビックリマーク。防火壁、防火扉ともにとても分厚く頑丈です。

 

 蔵の内部には当家に伝わる古文書や鎧兜のほか、当時使われていた生活用具なども展示されています。石黒家のある表町上丁(おもてまちかみちょう)は武家屋敷通りの北端にあたり、おそらく一番城に近い場所だったのではないかと思われ、石黒家は家臣団の中でも筆頭の由緒ある家柄であることが伺えます。

 

 こちらの洋風の建物は“角館樺細工(かばざいく)伝承館”です。樺細工とは山桜の樹皮を加工して作られる茶筒や茶箱、アクセサリーなどの伝統工芸品のことで、館内には作品の展示室があり、製作実演も行われているそうです。

 

 伝承館の前は広場になっていて、

 

 その一画に、秋田藩の藩校「明徳館(めいとくかん)」の支校である「弘道書院」の跡地があります。明治時代には角館学校もあったそうで、ここは教育の中心地だったと思われます。

 

 武家屋敷散歩の道すがら立ち寄った「角館さとくガーデン」というちょっとおしゃれな土産物店で買い物をしていて、店内に飾られた写真で“武家丸(ぶけまる)くん”という秋田犬の看板犬がいるのを発見目ラブラブ

 

 お店で買い物をすると、短時間ですが武家丸くんと直接ふれあうことができるんです音譜。オトコマエで凛々しい武家丸くんビックリマーク。店内には武家丸くんのグッズコーナーもあって、お店のマスコットというよりも角館全体の人気者みたいですね。

 

 武家屋敷通りには“非公開”の札が下がっていますが、お庭が見えるよう門を開けてくださっているお宅もありました。

 

 つづいて東勝楽丁(ひがしかつらくちょう)の武家屋敷“河原田家(かわらだけ)”を訪ねます。

 

 門を入って右手が身分の高い客人を迎えるときや冠婚葬祭などに使われる“正玄関(せいげんかん)”、左手の奥まったところが通常の客人や、主人をはじめ家族が使う“脇玄関”で、見学者用の受付は脇玄関にあります。見学料はおとな500円です。

 

 靴を脱ぎ上がってすぐの和室が、この地域では“台所”と呼ばれる居間。

 

 左手前は“おかみ”と呼ばれる主人の部屋で、いただいたパンフレットを見ると、以前は主人がこのおかみに座り、客人をどの部屋に通すかを決めていたそうです。廊下をはさんだ左奥の部屋は“なんど”と呼ばれる主人夫婦の寝室です。

 

 庭に面し、ぐるりを回り縁に囲まれたこの二間が来客用の座敷で、手前が正玄関を入ってすぐの中の間、左手が奥座敷です。

 

 ひときわ大きな掛軸と力強い襖絵(ふすまえ)が風格を添える書院造りの奥座敷。河原田家も石黒家と同じく、来客用の座敷の畳は床の間に平行に敷かれています。

 

 手入れの行き届いた広い庭は、奥座敷に座って眺めると一番美しく見えるように設計されているそうです。

 

 主人夫婦の寝室横の広縁を進むと、

 

 鉤の手に曲がった右手が“こざ”という若夫婦の寝室だそうです。

 

 こざの真正面にどんと構える“文庫蔵”。間口は広くありませんが、間取り図を見るとかなり奥行きの深い大きな蔵です。家紋は丸に三つ巴が三つ入っています。

 

 奥座敷の釘隠しは蝶、こざの釘隠しは蝙蝠(こうもり)です。

 

 邸内には文庫蔵の他にもう一つ“米蔵”があり、どちらも主屋と屋根がつながっているので、雨天時や積雪時でも濡れずに行き来できるそうです。

 

 米蔵は展示室になっていて、河原田家歴代当主ゆかりの品々が展示されています。文庫蔵の家紋は黒地に白、米蔵は白地に黒、その対照も美しいなぁと思います。

 

 さて武家屋敷が続いたので少し目先を変えたくて、内町エリアから南の外町(とまち)エリアに行ってみます。主に商人や町人が住んでいたという外町にも“田町武家屋敷通り”という閑静な通りがあり、上の建物はそこにある“新潮社記念文学館”です。

 

 日本を代表する出版社のひとつ、新潮社(しんちょうしゃ)の創業者佐藤義亮(よしすけ)氏が角館町のご出身であることを顕彰し建てられたものだそうです。通りに面した蔵仕様の建物の外壁には、川端康成の代表作『雪國(ゆきぐに)』の新潮文庫版の表紙と、「國境の長いトンネルを抜けると雪國であった」に始まる冒頭の部分がオブジェになっています。

 

 その向かいは、築100年を超す歴史ある3つの蔵を改装したホテル“和のゐ(わのい)”さん。KURA STAYがコンセプトで全3室、各室一日一組限定という隠れ家的お宿のようです。

 

 その隣は“あきた角館西宮家”。黒板塀に囲まれた冠木門(かぶきもん)をくぐると、

 

 前庭の奥に建物が見えます。

 

 そこが母屋。西宮家も武家屋敷で、敷地内には母屋一棟と明治大正期に建てられた蔵が5つも現存しており、それぞれ甘味処やレストラン、ギャラリー、和風雑貨のお店として営業しているので、散策しながらショッピングやグルメも楽しめるようになっているそうです。

 

 主屋に隣接するこちらの“文庫蔵”の見学は無料で、二階建ての蔵の中には西宮家に伝わる古文書類や道具類などが多数展示されています。中でも今では作り手のいなくなった“角館春慶(しゅんけい)塗り”の品々を見られたのが印象に残っています。

 

 こちらが同じ西宮家の“米蔵”を改装した和風雑貨の店で、冠木門とは反対側の通りに面しています。この奥に“れすとらん北蔵”、さらに“ガッコ”と呼ばれる漬物や、農産物を販売する“ガッコ蔵”などがあるそうです。

 

 田町武家屋敷通りは内町の武家屋敷通りに比べると人通りが少なく、散策そのものを楽しむのにはとてもいいところです。こちらのお邸は非公開ですが、今まで見てきた中でもかなり裕福と思える門構えに奥には洋館のような屋根も見え、相当なお家柄と拝察します。

 

 風格漂う赤煉瓦づくりの蔵が印象的なこちらの“安藤醸造本店”は、1853(嘉永6)年創業という歴史ある味噌・醤油の醸造元です。

 

 店の入り口には味噌、醤油の仕込みには欠かせない井戸水が引かれ、自由に飲めるようになっています。

 

 間口が広く奥行きも深い店内は、1883(明治16)年に再建された当時のままの姿を活かしたディスプレイで統一されていて、

 

 町家づくりの建物を見せていただきながら

 

 ゆっくりとショッピングも楽しめるようになっています。

 

 昔懐かしい座敷の風景。

 

 店内左手にある蔵座敷と文庫蔵も無料で見学させていただくことができます。

 

 先ほど外から見た赤煉瓦づくりの蔵の内部は、

 

 なんと“蔵座敷”ビックリマーク。入口に立つだけで思わずうわぁ~っと声が出ますラブラブ。1883(明治16)年に建てられたこの蔵座敷は、東北地方に現存する蔵座敷としては最古のもので、角館町の指定文化財にもなっているそうです。むかし弓道をしていた夫は天井の弓掛けに架かる弓の数にも驚いていました。

 

 蔵座敷はもともと冠婚葬祭用に建てられたものらしく、当時の婚礼の写真もありました。

 

 お目出たい松や鶴、子犬や山水画などをあしらった襖絵(ふすまえ)がとくに素晴らしく、できることならこのパネルをよけて、もっとじっくり鑑賞したいと思いました。

 

 床の間の書院には「弓道参段」の免状とガラスの矢立箱もありました。

 

 その手前の“文庫蔵”は

 

 今はギャラリー兼休憩スペースとして開放されており、

 

 セルフサービスの温かいお茶お茶まで置いてあって、ありがたく頂戴しました。

 

 文庫蔵に置かれていた鉄瓶がEVANGELION柄だったのにはちょっとびっくり目ビックリマーク

 

 かつて商人町だった外町には木造住宅が密集していて、角館は風が強いこともありたびたび大火に見舞われていたそうです。漆喰や煉瓦造りの頑丈な蔵は、大切な家財や商品を守るために生まれた生活の知恵なのかもしれません。

 

 そ・し・て乙女のトキメキやっと来た~~っビックリマークこちらがガイドブックを見てどうしても食べたかったモンブラン・スイーツの専門店“REGAL RITZ(レガール・リッツ)”さんラブラブ

 

 角館らしく築120年の蔵をリノベーションした重厚感漂うお店で、入口を入ると土間があり、そこからさらに蔵の中へ入るイメージで店内へといざなわれます。

 

 ふふふ飛び出すハート夢にまで見た“しぼりたてモンブラン”ラブ。とろりとした上質な自家製プリンの上にホイップクリームを載せ、

 

 さらにその上から目の前で目薫り高いモンブランペーストをたっぷり、ゆっくり、ぐるぐるとしぼりかけてくださいます合格。みるみるうちに小山の如き幸せなモンブランの出来上がりっ音譜

 

 あ~もうこんなに幸せな瞬間があるでしょうか音譜。モンブラン好きラブラブにはたまらない演出にワクワクが止まりません爆  笑

 

 わたしは定番の“しぼりたてモンブラン”(右)、夫は武家屋敷のイメージで竹炭を混ぜたモンブランペーストを纏った“武家屋敷モンブラン”(左)。どちらも見た目は豪華キラキラですが食感はあくまでふんわりと軽く、栗本来の美味しさとプリンのバランスが絶妙で、ほんとうに美味しかったです。角館へ行かれたらぜひご賞味あれビックリマーク

 

 外町からふたたび内町の武家屋敷通りに戻ります。

 

 ところでガイドマップを見ていると、内町・外町ともに町名に“表町上丁(おもてまちかみちょう)”など「丁」のつくところと、“下新町”など「町」のつくところが入り混じっていて、不思議に思い帰宅後調べてみると、武士の住んでいた町には“丁”、商人の住んでいたところには“町”がつけられているそうです。今でもそのまま使われているところに歴史を感じます。

 

 おっベルお店の外で寛ぐ武家丸(ぶけまる)くんに再会。やっぱりかっこいい。

 

 伝承館前広場の片隅に、柴垣に囲まれた茅葺屋根の小ぶりな家があるので行ってみると“史跡松本家”の碑があり、無料で見学ができました。幕末期に建てられた家の正面は石置き屋根になっていて、中ではイタヤ細工の実演販売が行われていました。

 

 最後に内町の武家屋敷“角館歴史村 青柳家(あおやぎけ)”を見学します。こちらも格調高い薬医門です。

 

image  来客用の表玄関。

 

 その左手が見学者用の脇玄関です。

 

 母屋は土間を歩きながら

 

 通路から見学するようになっていて、

 

 母屋の内部を拝見するには

 

 入村料500円の他に、ガイドさんとともに回る「母屋探訪ツアー」が有料体験メニューとして用意されているようでした。

 

 受付でもらったパンフレットによると、青柳家は敷地が三千坪もあり、母屋だけを見るのではなく、邸内に点在するいろいろな建物を見学できるのが特徴のようです。

 

 こちらは“武器蔵”。

 

 説明書きによると、青柳家は戦国時代、甲斐国甲府に赴いて武田信玄の武士団の武器や鎧兜を作っていたこともあるそうで、なるほど武器蔵の充実ぶりの理由がわかります。

 

 みちのくの青柳家と甲斐の武田家にどのようなつながりがあったのか気になって調べると、平安時代の末期から鎌倉時代にかけて、青柳家の主君の佐竹氏と甲斐武田氏が遠い親戚関係にあったことに由来するようでした。

 

 こちらは甲府時代に作られた鎧兜で、“六十二間小星兜(こぼしのかぶと)”と後方の“五輪塔(ごりんとう)旗印”はともに青柳家の家宝だそうです。

 

 刀の実触コーナーでは、青柳家伝来の刀を実際に持ち上げてみることもできます。夫は片手で持てましたが、わたしはとても持ち上げることができませんでしたあせる

 

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 つづいて“解体新書記念館”です。

 

 『解体新書』は1774(安政3)年に発刊された日本初の本格的な西洋医学の翻訳書および図鑑ですが、その図解篇の『解軆圖(かいたいず)』を描いたのが、青柳家と姻戚関係にある小田野直武(おだのなおたけ)という人物だそうです。

 

 小田野直武は江戸時代の医師で蘭学者の平賀源内(ひらがげんない)に師事した油絵の先駆者で、西洋の陰影法を取り入れた“秋田蘭画”を創始し、のちの洋画界にも大きな影響を与えたそうです。

 

 この“神明水”は、青柳家の裏山から400年間絶え間なく湧き出す沢の水を引いてあるそうです。

 

 “武家道具館”には青柳家に伝わる道具類や焼き物の数々、書籍、押絵(おしえ)の人形など、武家の暮らしを偲ばせる品々が展示されています。

 

 秋田県第一号のポンプ車まであるキョロキョロ

 

 邸内には立派な“青柳神社”もあり、八幡大神、稲荷大神、春日大神を合祀してあるとのことで、ありがたく参拝させていただきます。

 

 今宵の宿が角館から少し離れたところにあるので、わたしたちはそろそろお暇しなければならない時間となり、広い敷地内に点在するその他の“茶寮あおやぎ”や“ハイカラ館”、“森の食彩館”などに立ち寄ることができませんでした。

 

 角館の武家屋敷通りは国の重要伝統建造物群保存地区に指定されているそうです。藩政時代の名残りを色濃く残す美しい街並みは“みちのくの小京都”と呼ばれるにふさわしい情緒にあふれ、一瞬人通りが途絶えたときなど、そこの門を開けてちょんまげ姿のお侍さんがひょいと顔を出しても不思議ではないような気がしてきます。客待ちをしている人力車がこれほど似合う街もないかも・・・照れと思いながら角館を後にしました。

 

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