東北六県のうち、唯一足を踏み入れたことのなかった秋田県をこのたび初めて訪れて、魅力満載の“秋の秋田もみじ”をほんの一部ですが、心ゆくまで楽しませていただきましたラブラブ

 

 秋田空港でレンタカーをピックアップし、最初に向かったのが日本海に突き出す景勝地の男鹿(おが)半島です。男鹿といえばなまはげビックリマーク。早速ご挨拶に行かなくちゃ。

 

 秋田自動車道・昭和男鹿ICを下りて国道101号線を経由し、日本海に面した海岸線をしばらく走ると、

 

 約30分で鵜ノ崎(うのさき)海岸に到着。勝手な思い込みで、雲の低く垂れこめた鉛色の空に荒波打ち寄せる冬の日本海波を想像していたのですが、晴れ上がった空晴れにも負けないくらい碧碧(あおあお)とした海はとても穏やかで、ほんとうに美しい景色ですラブラブ

 

 そして日本海に向かって睨みをきかせているのがこちらの“門前(もんぜん)のなまはげ立像”です。なんと高さは99.9mビックリマーク。100mでないのには理由があるのですがそれは後にして、ひとまずなまはげさんにお賽銭をあげ、旅の安全を祈願します。

 

 “門前”という地名は“門前町”からきていて、この門前集落一帯にはかつて9ヶ寺、48坊を構える大伽藍(だいがらん)があったそうですが、明治時代の廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)により、今は長楽寺(ちょうらくじ)という真言宗の寺のみが残っているそうです。

 

 その長楽寺の寺号標脇の駐車場に車を停めて、これから向かうのは“赤神(あかがみ)神社五社堂(ごしゃどう)”です。駐車場からもキラキラ輝く日本海の絶景が臨めて、左手に見える半島は“ゴジラ岩”で有名な“潮瀬崎(しおせざき)”です。

 

 途中潮瀬崎の磯場に下りてはみたのですが、夕刻にならないとこのような写真は撮れないそうで早々に諦めましたあせる。上の写真は秋田県男鹿半島の観光情報サイト「男鹿なび」よりお借りしましたが、ほんとうにゴジラみたいでかっこいいですねビックリマーク

 

 閑話休題(かんわきゅうだい)。赤神神社五社堂へはこちらから入ります。

 

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 蓮池の横の

 

 赤い鳥居をくぐろうとしていたら、夫が「徐福(じょふく)って、あの徐福!?」と珍しく大きな声を出すのでついて行ってみると、

 

 “徐福塚(じょふくづか)”がありました。徐福は秦の始皇帝の命により、不老不死の霊薬(薬草)を求めて東方へ旅立ったと伝わる人物で、男鹿半島にも立ち寄ったらしく、正確な場所は不明ながらここに塚が建てられたそうです。夫はまさか秋田で徐福塚に出会えるなんて思っていなかったと言い「徐福はほんとに日本全国を回ったんだなぁ~」と感嘆しきりでした照れ

 

 見づらいですが、江戸時代初期に狩野派の画家、狩野定信によって描かれた六曲一双の『男鹿図屏風』の写しも置かれています。往時の大伽藍が偲ばれます。

 

 さて、この赤神神社五社堂へ向かう石段は999段あると言われ、先ほど見てきた“門前のなまはげ立像”の高さ99.9mはそれに因んでいるそうです。

 

 999段の石段には伝説がありました。むかしむかし、漢の武帝に連れられて来た5匹の鬼が、里山に下りて来ては乱暴狼藉を働くのに困り果てた村人たちが、鬼たちに「夜明けの一番鶏が鳴くまでに村から五社堂へ行く千段の石段を作ってくれたら毎年娘を一人差し出そう。でも、もしできなかったときは二度と村には下りて来ないでくれ」と取引を持ち掛けます。

 

 これを受け入れた鬼たちはせっせと石を積みますが、999段になりあと一段、というところでちょうど一番鶏鳥が鳴き、それを聞いた鬼たちは口惜しがりながら山へと帰り、それから二度と村に下りてくることはなかったそうです。タイミングよく鳴いた一番鶏は、鬼たちの仕事の早さに驚いた村人たちが天邪鬼(あまのじゃく)に頼んで鳴き真似をさせたのだとか。鬼たちが大急ぎで積み上げたので、石の大きさもまちまち、でこぼこの石段になったといわれています。

 

 さらに二の鳥居の脇にあるこの“姿見(すがたみ)の井戸”には、覗いたひとの余命がわかるという言い伝えがあるそうです。水面に顔がはっきりと映ればその年は健康で、はっきりしないときは災難や不幸に遭い、まったく映らないとその年のうちに死んでしまうと信じられていたそうです。今も水を湛えるその井戸を、夫と一緒にのぞき込んでみましたよ・・・。

 

 999段と聞き無事に登れるか心配していたのですが、鬼たちが一夜にして積んだ石段は思いのほか足に優しくて歩きやすく、麓から15分弱でお堂が見えてきました。

 

 鬱蒼(うっそう)とした杉木立に囲まれた赤神(あかがみ)神社の五社堂。同形式の拝殿がバランスよく一直線に並び建つ様子は壮観ですビックリマーク

 

 赤神神社五社堂には先の999段の石段伝説に登場する5匹の鬼たちが祀られていて、左から“十禅師堂”、“八王子堂”、“赤神権現堂”、“客人(まろうど)権現堂”、“三ノ宮堂”と呼ばれているそうです。手前から順にひとつずつ参拝します。

 

 賭けに負けた鬼たちが現れなくなり、村は平穏に戻ったもののどこか心寂しく感じるようになった村人たちが、一年に一度鬼の姿を真似て村じゅうを練り歩いたのが“なまはげ”の始まりとも言われているそうです。鬼は鬼でも怖いだけではなく、懸命に石を積み、村人たちとの約束もちゃんと守るその律義さはいじらしくもあり、ほんとうは人間と仲良くしたかったのかなぁなんて思ったりします。

 

 社務所は無人なのですが、お守りやお札などに交じって書き置きの御朱印もあり、一枚お受けして来ました。すっきりとシンプルな“ザ・御朱印”です。

 

 人間に騙されるとも知らず、5匹の鬼が力を合わせて積んだ石段だと思うと、帰り道はこのでこぼこまでもが愛おしくなりましたラブラブ

 

 さて、男鹿半島ドライブ車に戻ります。

 

 色づきはじめた山々の景色と、

 

 奇岩と浜辺が織りなす美しい海岸線音譜

 

 ドライブルートの途中にはホッキョクグマやアザラシ、アシカに会える“男鹿水族館GAO(ガオ)”もあり、車がたくさん停まっていました。わたしたちは戸賀湾をぐるりと回って男鹿半島の西北端に位置する入道崎(にゅうどうざき)を目指します。

 

 赤神神社五社堂を出て約35分で男鹿半島西海岸の終着点、入道崎に到着です。白黒の太い縞模様の塔は灯台のようです。

 

 日本の灯台50選にも選ばれている“入道埼灯台”。パンフレットによると国内約3千基の灯台のうち、上れる灯台はわずか16基しかないそうです。高いところが大好きなわたしは参観寄付金300円(中学生以上)を納めて早速展望デッキへ上りますビックリマーク

 

 螺旋(らせん)階段は115段。999段に比べたら何てことありません~(笑)。

 

 展望デッキからの美しい日本海はまさに絶景キラキラ。眼下に見えるモニュメントは北緯40度線の印だそうです。

 

 芝生の絨毯に碧い海、そして快晴の空のコラボレーションビックリマーク

 

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 芝生広場の先には土産物屋や食事処もありました。

 

 長く尾を引く飛行機雲飛行機

 

 入道崎を出て次の目的地の“なまはげ館”に向かっていると、道路に大きな秋田杉の鳥居が建っています。この先に神社があるようで一気にテンションUP右上矢印照れ

 

 入道崎から車で15分ほどで“なまはげ館”に到着。

 

 受付で隣接する“男鹿真山(しんざん)伝承館”との共通入館券(おとな880円)を求め、

 

 先に、こちらの“男鹿真山伝承館”で30分おきに行われているなまはげ行事の実演を見に行きます。

 

 この茅葺屋根の伝承館は、築百年を超える伝統家屋の“曲り家”を移築したものだそうで、この佇まいを見るだけでも今にもなまはげが現れそうな雰囲気です。

 

 囲炉裏の切られたむかし懐かしい座敷に座って待っていると、

 

 和服姿のこの家の主人が現れて、男鹿のなまはげについて簡単に説明をしてくださいます。“なまはげ”というと、あの鬼のような出で立ちで「泣ぐ子はいねが~ビックリマーク」と暴れ回り、子どもを泣かせ皆を怖がらせるイメージなのですが、実は大晦日の夜に一軒一軒の家を訪れて、悪事を戒め邪気を払う山神さまの化身なのだそうです。

 

 なまはげは意外に!?礼儀正しく、むやみやたらと家々に乗り込むわけではなく、まず“先立(さきだち)さん(向かって右)”が来られ、今からなまはげを家に入れてもいいか主人に尋ねます。というのも、その年家内に不幸や出産があった家には入れないというしきたりがあるので先立さんが確認するそうです。主人と先立さんの男鹿訛りの会話にほのぼのしていると、

 

 突然「ウォ~~ビックリマーク」という大きな雄叫びとともに障子が勢いよく開き、いよいよなまはげさんの登場です。ここでも玄関の上がり框でドスドスと七回四股(しこ)を踏んでから座敷に上がる律義ななまはげさん。

 

 「泣ぐ子はいねがぁ~ビックリマーク」「怠けものはいねがぁ~ビックリマーク」「親の面倒見ない悪(わ)りい嫁はいねがぁ~」と叫びながら家じゅうを探し回ります。そばまで近づいてくるとかなりの迫力目にドキドキします。

 

 その間に主人は素早くなまはげさんをもてなす酒と膳を用意し、「よ~ぐ来てけだすなぁ、まんず酒っこ飲んでくなんし」とすすめます。なまはげさんはここでもきちんと五回四股を踏んでから膳につき、酒を飲みながら、ご主人とひとしきり今年の作柄や家族についての話を交わします。

 

 子や嫁の所業をなまはげさんに問われた主人は「いい子だ、いい嫁だ」と庇うのですが、「どらどら・・・」と開いた『なまはげ台帳』には、勉強もせず夕方遅くまで遊びほうける子やテレビばかり見ている嫁の様子などが事細かに記されていて、すべてお見通し~あせる

 

 家族を庇い一生懸命言い訳をする主人に業を煮やしたなまはげさんは、三回四股を踏んで膳の前から立ち上がり、

 

 なまはげさんに見つかるのを怖れて隠れている子や嫁を探し出して諫めようと、再び声を荒げて暴れ出します。

 

 客席の中までズンズン入ってきて、「酒ばっかり飲んでるのはおめぇがはてなマーク」なんてやられるものだから、最初は畏(かしこ)まっていたのが皆笑い出して座は大盛り上がりですビックリマーク

 

 そこで主人が「来年来られるまでには悪いどこぜ~んぶ直しておくので、今日のところはまんずこの餅っこで御免してくなんしぇ」と餅を渡すと、家の隅々まで一年の厄払いを終えたなまはげさんは、来年の再訪を約してようやく立ち去って行きます。

 

 ここ真山(しんざん)地区のなまはげには角(つの)がないのが特徴で、四股の数は「七・五・三」、膳の皿数は「七」枚、酒は「三」杯と縁起のよい数にするなど、代々受け継がれているしきたりもいろいろあるそうです。なまはげさんが去った後には畳の上に蓑(みの)から落ちた藁(わら)が散らばっていて、それは無病息災のお守りになるといわれているので、わたしたちも一本拾って持ち帰ってきました。

 

 陽も翳ってきたので、このまま伝承館の横の杉木立の中に佇む“真山(しんざん)神社”を参拝します。

 

 手水舎(てみずしゃ)。

 

 堂々たる仁王門には神社というよりお寺のような風格を感じます。

 

 おや、神社に舟がびっくり!!

 

 社務所でお聞きすると、これは杉の丸太をくり抜いて造る“丸木舟”で、頑丈で安定性がよく昔はよく使われていたそうですが、今では丸木舟を造れる職人がいなくなり、伝承していくために真山神社の杉を用いて造られた最後の一艘なのだそうです。

 

 石段を上ると正面に、

 

 杉木立に守られた美しい真山神社の拝殿が現れます。

 

 社伝によると真山神社の創建は、第12代景行(けいこう)天皇の御代に武内宿禰(たけのうちのすくね)が北方視察の後男鹿に立ち寄り、使命達成、国土安泰、武運長久を祈願するために、瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)と武甕槌命(たけみかづちのみこと)を奉斎したことに始まるそうです。歴史ある古社なのですね。

 

 拝殿脇の杉の大木。

 

 拝殿左手の石段を上ると、 

 

 薬師堂(やくしどう)があり、中央に薬師如来坐像、周囲には十二神将などが祀られています。仁王門といい薬師如来像といい、神仏習合時代の名残りのようですね。薬師堂と拝殿の間にさらに上に登る山道が見えたのですが、夕刻で人気(ひとけ)もなく登ること叶わず、その先にあるという“五社殿”と、山頂の“御本殿”まで行けなかったのはとても心残りです。

 

 まるで武者溜まりのような広場の奥には“神楽殿(かぐらでん)”があり、

 

 中には神輿(みこし)が二丁安置されています。とくに向かって右の神輿は江戸時代、出羽国(でわのくに)秋田藩第4代藩主佐竹義格(よしただ)により1714(正徳4)年に寄進されたものだそうで、保存状態がとてもよく、歴史的にも貴重なものと思われます。

 

 拝殿前を通り過ぎ、境内を散策していると“弘法大師石像”の矢印の先に小堂が見えます。

 

 神仏習合時代、この辺りに真山赤神神社(現在の真山神社)の別当を務めた“光飯寺(こうぼうじ)”という寺があり、その寺が南北朝時代に天台宗から真言宗に改宗したことに因んで弘法大師像が安置されたようです。

 

 真山神社の“御神水”。

 

 別当光飯寺(こうぼうじ)の跡地に建つ“歓喜天堂(かんきてんどう)”は男鹿の旧家目黒家の奉祀で、縁結び、夫婦和合、子宝、商売繁盛の御利益があるそうです。

 

 光飯寺の前庭にあたる場所には、それはそれは大きなパワー漲る榧(かや)の巨木が枝を広げています。慈覚大師(じかくだいし)お手植えと伝わり、樹齢は千年を超すそうです。

 

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 真山神社の御朱印はいくつか種類があるのですが、御神木の榧(かや)の木があまりにも美しく印象に残ったので、その絵柄のものを求めました。

 

 石段を下りて“なまはげ館”の方に戻ります。

 

 細かな石組みの外壁と紅葉が美しいなまはげ館の外観。

 

 “なまはげ”という名前の由来は「ナモミ剥(は)ぎ」が語源だそうです。ナモミとは囲炉裏にあたってばかりいるとできる“火斑(ひだこ)”のことで、火斑を方言でナモミと言い、ナモミがあるのは怠け者の証拠。なまはげが手に持った包丁でそのナモミを剥ぎ取り、怠け者を戒める「ナモミハギ」がなまって“なまはげ”になったのだとか。

 

 なまはげ館ではなまはげの歴史や由来、伝説なども知ることができるのですが、何といっても圧巻はこの「なまはげ勢ぞろい」コーナーで、展示されているのは全部なまはげなのですが、よく見ると顔(なまはげのお面)の表情も素材もその使い方も、一つとして同じものはないのです。男鹿半島に約80あるという集落ごとに少しずつ違うなまはげが、ホール一面に110体並び立つ様子は壮観ビックリマークのひとことです。

 

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 なまはげ=怖いというイメージしかなかったものが、なまはげゆかりの真山神社を詣で、男鹿真山伝承館での迫真のなまはげ体験を経てみると、なまはげは我々一人ひとりのこの一年の怠惰と邪気を剥ぎ取り、来る年も真面目に勤勉に生きよと諭してくれるありがたい存在であることに気づかされます。

 

 通りかかったJR秋田駅のコンコースにもなまはげの大きなお面がディスプレイされていたのですが、やはり先ほど男鹿の地で見てきた本物の迫力には遠く及ばず、長い年月にわたり人びとの手によって受け継がれてきた伝統を、その地その場で経験させていただくことの有り難さが身に沁みて、それこそが旅の醍醐味なのかもしれないなぁと思ったことでした。

 

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