六年前に亡くなった母の七回忌法要をしに長崎へ帰りました。満89歳で身罷ったので地元に残る親類縁者もみな高齢となり、4年前の父の七回忌からはごく身内だけで執り行うようになりました。わたしが子どものころは婚礼や葬儀、法事というと県内のみならず遠方に住む親戚まで一堂に会し再会を喜び合って、賑やかに盛大にするのが常だったので、向こう側から見ている父や母にしてみたら、「おやまぁ、たったこれだけはてなマーク」とさぞかしがっかりしているだろうなぁと申し訳ない思いです。

 

 

 こころから申し訳なかったと思うのは法事だけではなく、やはり両親それぞれが病を得てから最期を迎えるまでの日々を思い返すときです。わたしはひとりっ子で、両親の両親つまりわたしの祖父母四人と同居しながら看取った経験もあったので、自然と我が親の最期の面倒はわたしがみるものと思っていて、そのこと自体に疑問や不満はまったくありませんでした。ただ問題は埼玉と長崎という物理的な遠距離と、加えて三人の子どもたちの進学や就職、結婚という巣立ちの時期と重なってしまったことでした。

 

 

 夫とふたり、当時はわたしもフルタイムで働かなければ三人の子育てはままならず、そんな中父にステージⅢの肺がんが見つかって、直後に母も脳梗塞で倒れ、自力では日常生活を送れなくなった母を、転移したがんの手術、抗がん剤治療、放射線治療などを受けながら父が支えるというまさしく老々介護の日々がはじまりました。いつかはそんなときが来ると頭ではわかっていても、いざ直面すると右往左往するものですね。結局両親のことも、子どもたちのこともどちらも放棄したくない一心でわたしが選んだのは、生活の本拠は埼玉の自宅で、月に一度4泊5日で長崎の両親のもとへ帰るというものでした。

 

精進落としは両親も大好きだった鰻の名店“北御門(きたみかど)”(長崎県諫早市)へ。

 

 両親ともに入退院を繰り返し、介護サービスを受けても自宅での生活が困難になってからは有料老人ホームのお世話になりながら、結果わたしの毎月埼玉と長崎を行ったり来たりする伝書鳩生活は、父を送り、その4年後に母を送り終えるまで丸7年つづきました。一ヶ月の内インターバルは約3週間という状態で、フルタイムで仕事をしながらの二重生活を支えてくれたのは何といっても家族と職場、双方の理解のおかげでした。終えてみればたったの7年でも、その渦中にいるときは先の見えない不安に襲われることも一度や二度ならず、それでも何とか続けられたのは家族と職場の理解とあたたかな励ましにほかならず、そのどちらが欠けても不可能だったと思うと、今でも感謝の思いで胸がいっぱいになるのです。

 

諫早(いさはや)の鰻の蒲焼きは焼きの後、ご覧のような楽焼(らくやき)の器に入れて蒸しあげるのが特徴です。素焼きの器の底は空洞になっていて、そこに熱い湯が入っているので蒲焼きの鰻がほどよく蒸され、冷めにくく最後まであたたかく美味しくいただけるようになっています。

 

 あれから6年、曲がりなりにも四人の親を送り終え、最低限の子の務めは果たしたかなとほっとする一方で、今でもあれでほんとうによかったのか、もっとできることがあったのではないか、ただ通うだけで親孝行をしているような気になり自己満足していただけではなかったかという忸怩(じくじ)たる思いがずっと拭えずにいます。わたし自身歳を重ねてみると、両親はたったひとりしかいない娘に、ほんとうはもっともっと頼りたかっただろうというのが痛いほどよくわかるし、わたしが長崎の実家へ帰って同居しながら面倒をみる、あるいは埼玉の家に引き取るという選択肢もないわけではなかったのに、それをしなかったわたしは結局のところ、我が身が可愛かっただけなのではないかと今更ながらに思い至るのです。

 

もうひとつ、実家へ帰ったら必ず食べる“やまと”(長崎県大村市)の角寿司(かくずし)。こちらは角寿司2個においなりさんとうどんのついたセットです。角寿司は戦国時代から当地大村(おおむら)に伝わる郷土料理で、もろぶたに広げた酢飯に魚の切り身や野菜のみじん切り、かまぼこ、奈良漬、錦糸卵など様々な具材をのせて押し寿司にしたものです。戦の最中、もろぶたに敷き詰められた寿司を脇差(わきざし)で四角く切って食したところから“角寿司”と呼ばれるようになったと言われています。

 

 懇意にさせていただいている菩提寺の御住職さまはそんなわたしを決して責めることなく、親の介護や看取りはとくに、誰しもそのときはこれが最善と思って尽くしても、終わってみるとほんとうにあれでよかったのだろうかと迷うもので、それがふつう、それでいいんですよと優しく受け止めてくださいます。親の記憶は時間とともに少しずつ薄れても、この悔恨(かいこん)の情は年月を経ても不思議と和らぐことはなく、わたしは今も仏壇に手を合わせるときはいつも胸の中で「パパ、ママ、ごめんね」とつぶやくのが癖になっています。後悔してもやり直せるものではなし、いつの日か冥土で再会した暁には両親に、あのときはほんとうに申し訳なかったとこころから謝りたいと思っています。

 

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 いくつになっても親の前ではわたしは子ども。御住職さまのお経に首(こうべ)を垂れながら、親への感謝と悔恨は、これからも死ぬまで抱えていかなければならないものだと改めて思うのでした。

 

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