このところ猛暑に加えて全国的に大気の状態が不安定で、いつどこでゲリラ豪雨など天気の急変に遭遇するかわからず晴雨兼用の傘が手離せませんが、そんな中所用で都内へ出かけた折に六義園(りくぎえん)(東京都文京区)へ寄ってみたら、雨上がりならではの清々しい景色に出会うことができましたニコニコ

 

 最寄り駅のJR山手線駒込(こまごめ)駅南口を出るとすぐに六義園の染井門があるのですが、そこはイベント時などの臨時開門用で通常は閉鎖されているので、本郷通りを少し歩いて正門を目指します。

 

 美しい赤煉瓦の塀に囲まれた六義園の正門。

 

 入園料はおとな300円、本郷通りの喧騒が嘘のように静寂に包まれた園内に入ります。

 

 道が二股に分かれるところに大きな石碑があり、六義園の来歴や東京市へ寄贈された経緯などが詳しく記されています。

 

 そこでふと、六義園の“六義(りくぎ)”ってどういう意味か知りたくてパンフレットを見ると、中国の古い詩の分類法(詩の六義)にならった古今和歌集の序にある和歌の分類の“六体(そえ歌、かぞえ歌、なぞらえ歌、たとえ歌、ただごと歌、いわい歌)”に由来するもの、と書かれています。なるほど~と思いつつも和歌の知識がないので、夫もわたしもわかったようなわからないような中途半端な気分ですあせる

 

 気を取り直し(笑)、庭園への入口となる“内庭大門(ないていだいもん)”を入るとすぐ目の前に、それはそれはみごとな枝垂桜(しだれざくら)が緑色の傘を広げています。花の時期とはまたひとあじ違う古木の生命力に圧倒されますラブラブ

 

 枝垂桜を右に見ながら、大泉水(だいせんすい)へ向かいます。

 

 趣のある竹組みの門をくぐると、

 

 雨上がりでしっとりと美しい日本庭園。 

 

 六義園は、徳川家五代将軍綱吉(つなよし)の側用人だった柳澤吉保(やなぎさわよしやす)が1702(元禄15)年、綱吉より江戸下屋敷として拝領した駒込の地に自ら作庭した日本庭園で、明治時代には三菱財閥の創業者岩崎彌太郎(やたろう)の別邸となり、その後1938(昭和13)年に岩崎家より東京市へ寄贈され、1953(昭和28)年に国の特別名勝にも指定されている“都立文化財9庭園”のひとつという名園です。

 

 パンフレットによると、庭園は“大泉水(だいせんすい)”と呼ばれる大きな池の周囲を歩きながら景観を楽しむ“回遊式築山泉水庭園”になっていて、園の名称である“六義(りくぎ)”に由来する名勝地、景勝地を模した風景が“六義園八十八境”として映し出されているそうです。写真は大泉水に突き出た“中の島”で、その中央には“妹山(いものやま)・背山(せのやま)”という築山があります。

 

 大泉水の中央には仙人が住むとされる“蓬莱島(ほうらいじま)”の石組と、中の島の西側の岸辺にはまさに龍が横たわったような“臥龍石”も見えます。

 

 大泉水を離れ、左手の“滝見(たきみ)茶屋”への分かれ道に入ります。

 

 森の中の小径を抜けると滝見茶屋。

 

 東屋(あずまや)の前では岩間から流れ落ちる水が渓流になり、涼やかな音をたてています。鰐(わに)みたいな形の岩もおもしろく、水墨画に描かれるような景色がひろがります。

 

 んはてなマーク足元で何か動く気配が・・・と思って見ると、おや亀さんが一匹こちらに向かって泳いできます。しっかりと目を合わせながら一目散に寄ってくるので、まさかと思いながら飛び石の上を移動してみたのですが、不思議なことにこの亀さん、わたしの動きにあわせてちゃんと付いてくるんですよ照れ。なんて人懐こい目ビックリマーク

 

 もう一方の大泉水からつながる池には鯉も泳いでいます。前方に見えるのは大泉水の西の端にかかる“千鳥橋(ちどりはし)”。

 

 その千鳥橋を渡ります。

 

 案内看板によると、六義園の景色は大泉水の周りを巡る“海の景”と、樹林の中を歩く“山の景”という趣の違う二つのエリアに分けられていて、千鳥橋の先のこの辺りが景色の変わるポイントだそうなので、ひとまず海の景を回ることにして右の道へ行きます。

 

 “時雨岡(しぐれのおか)”を右手に見ながら歩いて行くと、

 

 そこは珍しい枝ぶりの“吹上松(ふきあげのまつ)”の佇む“吹上浜(ふきあげのはま)”です。和歌の素養がないのですが歌枕としての“吹上浜”は聞いたことがあり、ここまで来てようやく、園内にはこのように和歌に詠まれた名所旧跡を模した風景が点在していて、それが六義園が“和歌の庭”と呼ばれる所以なのだなぁと気づいた次第です。

 

 吹上浜の前にはお抹茶がいただける“吹上茶屋”。

 

 振り返って大泉水の方に寄りかかるように剪定された吹上松を眺めます。

 

 つづいて“白鷗橋(かもめのはし)”を渡ります。

 

 橋の上から見る大泉水。反対側に来るとまた景色が違いますね。

 

 池端の平坦な道から、園内で一番標高の高い築山の“藤代峠(ふじしろとうげ)”に向かいます。紀州和歌の浦の近くにある同名の峠から名づけられたそうです。

 

 曲がりくねった石段を上った藤代峠の頂上は“富士見山”といい、

 

 標高35mから見下ろす眺望が素晴らしいですキラキラ。今は高層ビル群が借景ですが、そのむかしは文字通り富士山が望めたのでしょうね。

 

 藤代峠を下り、

 

 “渡月橋(とげつきょう)”を渡ります。渡月橋というと京都の嵐山(あらしやま)を思い浮かべますが、六義園の渡月橋はそれではなくて、『和哥(わか)の浦 蘆辺(あしべ)の田鶴(たづ)の鳴くこゑに 夜わたる月の 影ぞさびしき』という歌に因んでいるそうです。

 

 橋はご覧のとおり2枚の大岩をつなげる形で架けられていて、これを見ても京都の渡月橋とはまったく別ものであることがわかります。手すりなどが何もない石橋なのですれ違いは難しく、雨や雪で濡れているときなどはとくに、細心の注意をして渡らなければなりません。

 

 渡月橋の上からの景色。

 

 渡月橋を過ぎるとすぐに中の島へ渡る“田鶴橋(たづはし)”が見えるのですが、ここは立ち入り禁止で渡ることはできません。

 

 田鶴橋横の入り江のようなこの岸辺は“出汐湊(でしおのみなと)”と呼ばれ、右手に中の島、左手に蓬莱島、対岸には吹上浜が見え、遠景に高層ビル群などの入らない絶好の眺望スポットになっています。

 

 歩き疲れたなぁ~と思っていると、出汐湊の奥に茶店があってひと休み。パンフレットにも“休憩所兼売店”としか表記がなく店名がわからないのですが、土産ものや飲みもの、うどんなどの軽食にお汁粉などの甘味まで、思った以上にいろいろと揃っています。

 

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 暑いので、クリームソーダと桃シロップのかき氷でクールダウンビックリマーク

 

 雨上がりの猛暑の中、木陰でいただく冷たいものはほんとうに生き返ります~音譜

 

 しかもこの絶景とともにおねがい

 

 さて出汐湊まででひととおり“海の景”を歩き終えたので、一度“内庭大門”前の枝垂桜に戻り、次は庭園外周の“山の景”の道を歩きます。

 

 枝垂桜の右奥の竹林を抜けると、

 

 “千里場(せんりじょう)”という真っすぐに続く一本道の馬場跡があります。なるほど柳澤吉保の時代には広大な庭園の横に武家屋敷があったわけですから、馬を駆るための馬場も必要だったことでしょう。千里場という名は杜甫(とほ)の漢詩からつけられたそうです。

 

 千里場の先に通常時は閉門されている“染井門”があります。写真は内側から見たところ。

 

 庭園最北にあたる染井門前のこの築山は“久護山(ひさもりやま)跡”といい、かつてはここに毘沙門天(びしゃもんてん)を祀る久護山があり、六義園全体を守護する重要な場所とされていたそうです。

 

 ふたたび森の中の道に戻ります。

 

 大泉水の水は以前は玉川上水を水源とする千川(せんかわ)上水から取水していたそうですが、今は園内の井戸より揚水し、ここにある浄化装置を通って循環放流されているそうです。

 

 “藤波橋(ふじなみはし)”を渡るとその先は、

 

 一面の笹に覆われた“蛛道(ささがにのみち)”。蛛(ささがに)とは蜘蛛(くも)の古い呼称で、この小道が蜘蛛の糸のように細いところから名づけられたそうです。案内板によると、蜘蛛の糸は細くても長く切れないことから、和歌の道も柳澤家も永遠に続くようにという願いも込められているそうです。

 

 蛛道(ささがにのみち)の終わりには“剡渓流(ぜんけいのながれ)”に架かる“山陰橋(やまかげのはし)”があります。

 

 ここはちょうど先ほど上った藤代峠の裏側にあたり、山陰橋は峠の頂上の富士見山の山陰にあることからつけられた名前だそうです。渡り終えた山陰橋を振り返って眺めます。

 

 緑濃い林間の道を歩いていると、

 

 左手の丘の上にあらわれる“つつじ茶屋”。

 

 つつじ茶屋へ向かう道は少しだけ上り坂。

 

 こちらが岩崎彌太郎の時代に建てられた“つつじ茶屋”とその前の“座禅石”。

 

 その名のとおりつつじの古材を用いて建てられている何とも風流な東屋で、戦時中の空襲や関東大震災も免れて、建築当時の姿そのままに遺されている貴重な建物だそうです。

 

 つつじ茶屋から下ってきたところは“水香江(すいこうのえ)”といい、案内板によると、江戸時代はここにも水が流れ、夏には蓮の花が咲いていたそうです。杜甫や李白が「蓮の花の咲くところは水までもよい香りがする」という意味の漢詩を詠んだことに因み水香江という風雅な名前がつけられたそうです。

 

 さらに林間の道を行くと、

 

 少し開けた広場があり、

 

 その一画が“吟花亭(ぎんかてい)跡”です。名前からもわかるように、周囲には桜やつつじなど花の咲く木が多く植えられていて、食事をしながら花見を楽しめる場所だったそうです。

 

 吟花亭(ぎんかてい)へ至る“尋芳径(はなとうこみち=花を訪ねる道)”を歩いて行くと、何やら見覚えのある景色が・・・。

 

 と思ったら、反対側から“滝見茶屋”に出ました。こちらから見るのもいいですね。

 

 まさか二度目はないよね~と思いつつ、ためしに亀さんを呼んでみるとなんとビックリマーク遠くの水の中からやっぱりのそのそとこちらめがけて歩いてはてなマーク泳いではてなマーク来てくれるではありませんか!!足元まで来てじっと見上げてくれるその眼の優しさに思わず笑みがこぼれますラブラブ

 

 ところで園内には案内看板とともにところどころ、地名や名称を記したこのような石柱が立っています。かつては“六義園八十八境”に因み88ヶ所あったそうですが、現在ではそのうちの32ヶ所が残されているそうです。

 

 大泉水の前に戻ってきました。雲くもりが晴れてすっかり青空晴れになっています。

 

 帰路の森の中にひっそりと佇む“心泉亭(しんせんてい)”。

 

 14畳と7.5畳の和室を持つ建物で、有料にて貸し出される旨の立札がありました。

 

 その隣の“宜春亭(ぎしゅんてい)”も同じく有料施設で、外観からするとこちらは正式な茶室のようです。

 

 宜春亭の先の門を出ると、

 

 最初に入った内庭大門前に出ました。広い広い大名庭園をようやく一周してきたようです。

 

 日本庭園の中でも枯山水(かれさんすい)の庭が禅の精神を表わすとすると、六義園は全体で和歌や詩歌の世界観を表現しているのでよりいっそう繊細で、見る者の目を楽しませてくれる優美さにあふれているように思います。そしてどちらかというと悪役のイメージの強かった柳澤吉保の文学に対する深い造詣(ぞうけい)と慧眼(けいがん)にも感じ入りました。

 

クローバー チューリップピンク クローバー チューリップオレンジ クローバー チューリップ紫 クローバー チューリップ赤 クローバー チューリップ黄 クローバー

 

 花見や紅葉狩りの季節ではなかったので混雑もなく、二時間ほどかけて園内をゆっくり歩きながら鑑賞しましたが、都心とは思えないような静寂と絶景に心が洗われるような時間を過ごさせていただきました。そして何より忘れられないのが滝見茶屋の亀さん!!ペットの犬猫よろしく、呼んだら走って・・・と言っても亀ですからゆっくりではありますが(笑)・・・来てくれる亀さんに出会ったのは初めての経験でした。亀は万年とも言いますし、次に訪れるときには必ず“亀の餌”を持って行こうと思っています。待っててねっウインク合格

 

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