静岡旅の二日目、いつものように行き当たりばったりなわたしたちは朝食をとりながら今日の予定を考え、久能山東照宮からのつながりで浜松城へ行ってみることにしました。

 

 現在放送中のNHK大河ドラマ『どうする家康』にも登場する浜松城は、徳川家康が29歳のとき、それまでの居城岡崎城から遠州進出への拠点として築いた城で、以降45歳で駿府城に移るまでの17年間を過ごされたところです。その間の家康公というと姉川の戦い、三方ヶ原の戦い、長篠の戦い、甲州征伐、本能寺の変、小牧・長久手の戦いなど数々の苦難を乗り越えていた頃で、家康公の天下取りはここから始まったともいえる重要な城です。

 

 現在、浜松城周辺は“浜松城公園”として整備されていて、カーナビの案内に従って着いた駐車場から本丸及び天守へ向かうには、この道を通って行けるようです。

 

 道の左手には“どうする家康 浜松大河ドラマ館”があり、たくさんの人たちが入って行かれます。やはり人気があるんですね照れ

 

 わたしたちは遊歩道を天守方向へ歩きます。きれいな公園に整備されているせいかこの辺りには濠(ほり)や土塁の跡などは見当たらず、ガイドブックの地図にも天守閣と天守門しか載っていないので、かつての二の丸や大手門など城の遺構はここではないところにあるのかもしれません。

 

 と、途中にいかにもわたしを呼んでいるかのようなふるい石段が・・・(笑)。通行禁止ではないので、アスファルトの遊歩道に別れを告げてここから上ってみることにします。

 

 若干ショートカットになるのかならないのか・・・ですが、前方に天守閣が見えてきました。

 

 草に覆われていますが竹矢来(たけやらい)に守られた石垣はがっしりと力強く、にわか石垣ファンの目にもたまらなく魅力的に映りますラブラブラブ

 

 一見乱雑に石を積み上げただけのように見えますが、自然石をほぼ加工せず組み合わせて積む“野面(のづら)積み”というこの方式は実はとても強固で、浜松城の石垣も400年以上の風雪に耐え、今もこのようにしっかりと城を支えているそうです。頼もしい照れラブラブ

 

 石垣に沿って坂道を上るとすぐに天守曲輪(くるわ)の入口を固める“天守門”が現れます。案内板によると、門の左右のひときわ巨大な石は“鏡石(かがみいし)”といい、城の壮大さや城主の権力を誇示するために意図的に置かれたりしたものだそうです。

 

 天守門をくぐると、

 

 目の前に再建されたかなり新しい天守閣が現れます。駐車場からここまで写真を撮りながらゆっくり歩いても10分もかかっていないので、やはり城を囲む濠の跡や天守閣以外の曲輪などは遺されていないのかもしれません。

 

 でもでも、天守門からつづくこの見事な石垣の連続にはほれぼれしますラブラブ。ここには竹矢来がないので、じっくり眺めてそっと石の表面に触れることもできて、わたしの中ではこの日一番のハッピーポイントでした合格

 

 そしてその先の見晴らしのよいところに鎮座する稲荷神社。鳥居やお社の朱も美しく丁寧にお祀りされているのですが、由緒書きなどが何もなく由来がわかりませんでした。

 

 さらにその奥の天守門からつづく石垣の果てには“南無妙法蓮華経”と記された石碑が建っています。日蓮宗や法華宗のお題目が稲荷神社の裏にあるのはやはり、神仏習合の名残りでしょうか。流麗な書体に感じ入った夫は、趣味の書道の手本にするんだとカメラに収めていましたてへぺろ

 

 天守閣へ上がるところの石垣も力強い。

 

 真新しい天守閣の入口。入場料はおとな200円です。

 

 大河ドラマ人気はここにもビックリマーク フォトスポットみたいです目

 

 天守閣の地下一階には“井戸”があります。周囲があまりにも真新しい板囲いになっているので、遠目には井戸というより風呂のようにも見えますが、パンフレットによると復興天守閣建設のための発掘調査で見つかったものだそうです。

 

 籠城に備えて水の確保は必須。城内には10本の井戸があったそうですが、その在りかは極秘のため資料が乏しく詳細はわかっていないそうです。復元された井戸の中をのぞき込むと水はなく、まるで賽銭箱のように埋められた底に小銭がたくさん投げ込まれていました。

 

 一階にはゆかりの甲冑(かっちゅう)などとともに、

 

 家康公等身大の肖像もあります。説明書きによると、1572(元亀3)年12月、31歳の家康公が甲斐の虎、武田信玄に挑んだ三方ヶ原の戦いに出陣していくときの様子を再現してあるそうです。家康公人生最大の負け戦の様子を映像とともに見ることができます。

 

 浜松城築城当時の遠江(とおとうみ)の様子が一目でわかります。まさに群雄割拠。

 

 2階では家康公が駿府城へ去った後の歴代城主の紹介や、600分の1の縮尺で再現された江戸時代後期の城下町のジオラマなどを見ることができます。家康公が天下取りに成功しただけではなく、歴代城主たちの中にはのちに老中など幕府の要職に就く者が多かったことから、浜松城は“出世城”とも呼ばれたそうです。

 

 展示品の大繩銃や脇差、金蒔絵の盆などにはすべて、葵の御紋が入っています。

 

 二代将軍徳川秀忠の甲冑。説明書きによると家康の三男秀忠は、当地浜松で生まれた唯一の天下人なのだそうです。

 

 天守閣の3階に出ました。金色の格天井(ごうてんじょう)には歴代城主の家紋が描かれています。

 

 “出世城”浜松城の天守閣からの眺め音譜。案内板によると、城の西側には有事の際の脱出路となる搦手(からめて)があったそうです。

 

 北側。同じく案内板によると、茶色いビルディングのすぐ左辺りに二俣城跡(ふたまたじょうし)があるそうです。武田勝頼に内通の疑いをかけられた家康の嫡男松平信康が切腹を余儀なくされるという悲劇の舞台になったところです。

 

 東側。雲がなければ左手奥に富士山富士山が見えるそうです。・・・ということはその方向が武田信玄のいた甲斐国ですね。右下の屋根は先ほど通ってきた天守門です。

 

 手すりに取りつけられた案内看板を見て納得ビックリマーク。天守門の先に“本丸跡”、さらにその先には“二の丸跡”がちゃんとあります。わたしたちはそこを通らずに駐車場から入ってしまったので、天守閣のほかに何もない・・・と勘違いしたようです。ごめんなさいあせる

 

 南側。同じく案内板をよく見ると、この方向に“大手門跡”、“榎門(えのきもん)跡”、“鉄門(くろがねもん)跡”、“南東隅櫓(すみやぐら)跡”、“清水曲輪(しみずくるわ)跡”などが点在していて、南が正面だったことがわかりました。

 

 天守門を上から・・・。今やビルディングだらけですが、若き日の家康公もこの天守閣からの景色をきっと眺めておられたことでしょう。

 

 天守閣から下りてきました。

 

 天守閣の載るこの石垣は“天守台”といい、案内板によると、第二代城主堀尾吉晴(ほりおよしはる)の在城期(1590年頃)に築かれた可能性が高いそうです。天守閣へ上がってみると思いのほかこじんまりとした城であることに驚きますが、この遺された天守台から推測すると、安土桃山時代の浜松城天守は、復興天守閣の約1.5倍ほどの大きさがあったと考えられているそうです。

 

 言われてみれば確かに、天守台の大きさに対して天守閣が小さい気はします。また帰宅後写真を拡大してみると、屋根瓦の一枚一枚に至るまで葵の御紋がしっかりとついているのはさすがだなぁと思いました。

 

 熱中症警戒アラート発令中の酷暑あせるは身に堪え、木陰で涼をとりつつひと休み。ここから見ると、天守門は“櫓門(やぐらもん)”形式であることがよくわかります。

 

 天守門はこちら側から内部に入ることもできます。

 

 ふたたび天守門をくぐり、

 

 来た道とは反対側の坂道を下ります。この角度から見上げる天守門もいいですねラブラブ

 

 石段を下りた広場が“浜松城本丸跡”のようで、足元に石碑が建っています。

 

 そして奥には“若き日の徳川家康公”と銘打った銅像があります。浜松城では壮年期を過ごされているのでご尊顔は若く凛々しく、右手には“歯朶具足(しだぐそく)”の前立(まえたて=兜の前面につける飾り)を持っておられます。

 

 駐車場へ戻る途中に“富士見櫓(ふじみやぐら)跡”がありました。その名のとおり富士山の眺望を意識して建てられた櫓があった場所だそうです。左下の少し雲が切れているあたりがちょうど富士山でしょうか。

 

 記念に求めた浜松城の御城印。

 

 さて浜松といえば“うなぎパイ”、これは外せませぬ~おねがい・・・ということで、浜松城から車で約20分ほどのところにある“春華堂うなぎパイファクトリー”にやって来ました。

 

 周囲は浜松技術工業団地という工場などが立ち並び、大型トラックが頻繁に出入りするようなところなのですが、その中で唯一乗用車が次々と吸い込まれていくのがこのうなぎパイファクトリーなので、近くまで行くとその車の行列についていくだけで迷わず到着できます。

 

 駐車場から敷地内に入ると、

 

 マスコットの“うなくん”イチオシのうなぎパイジェラートには行列ができています。

 

 うなぎパイの製造工程の見学コースや直売店のあるファクトリーに入ります。

 

 わたしたちは予約不要の館内自由見学にしましたが、その他にも予約制でコンシェルジュが案内してくださるファクトリーツアーや、有料の窯出しうなぎパイツアーなどもあるそうです。

 

 1階の見学コーナーは小さなのぞき窓から中を見るようになっています。最初は仕込みを経て細長く整形された生地がベルトコンベアーに乗って次々と流れてくるのですが、次の窓ではそれがもうすっかりうなぎパイの形に焼き上がっていますビックリマーク

 

 焼き上がったばかりのパイ生地に、この機械の刷毛で“秘伝のタレ”がシャカシャカと満遍なく塗られていきます。この秘伝のタレの製法を知っているのは工場内でもごくわずかの人だけで、トップシークレットなんだそうですよ。

 

 機械の先のスタッフさんは、流れて来たうなぎパイの形や焼き上がり具合を目視で一つ一つチェックしていらっしゃいます。

 

 ここで階段かエレベーターで2階に上がり、ガラス張りの見学コーナーから焼き上がったうなぎパイの包装・検品作業を見せていただきます。

 

 一枚一枚の袋詰め、そして箱詰め、段ボール箱詰めなどはほとんど機械化されているようですが、やはりかんじんなところは人の目で確認することが大事なのですね。

 

 製造ラインの見学のあとは映像シアターで休憩を兼ねて解説ビデオを見たり、等身大のうなぎパイオブジェのフォトスポットで記念撮影もできます。

 

 映像シアターの反対側の入口から中に入ってみると、

 

 細長い通路には両方の壁を使ってQ&Aが3つ並んでいます。

 

 そうそう、うなぎパイのキャッチコピーってむかしから『夜のお菓子』ですよね。どうして夜のお菓子なのはてなマーク

 

 答えは上矢印・・・だそうです。ほんと、わたしが子どものころの夕食のあとは、家族皆が自然と茶の間に集まって、テレビを見たり果物を食べたりしていましたっけ。携帯電話やパソコンなどない時代、平和でよかったなぁとつくづく思います。

 

 フロアの隅には“うなぎパイピアノ”なるものまであります目。そうだビックリマーク浜松といえばピアノをはじめとする楽器の街でもありましたビックリマーク。ピアノ弾きのはしくれとして、今ごろ気づくなんて大変申し訳ありませぬあせる

 

 2階にはうなぎパイをつかったスイーツや食事ができるカフェもありました。

 

 見学コースの最後にはお楽しみの直売店。

 

 定番のうなぎパイのほか、芳醇な香りのうなぎパイV.S.O.Pやナッツ入りのうなぎパイ、そして工場直売ならではの徳用袋なども販売されています。目移りしちゃう~照れ

 

 ところで、せっかく浜松にいるのに浜名湖を見物しないのももったいないと湖畔まで来てみたのですが、広大な浜名湖のレジャーの中心地へはまだかなり距離がありそうなので諦めて、近くの道路を走りながら偶然見つけた“奥浜名湖展望公園”の案内看板に従って行ってみることにしました。

 

 途中かなり道幅の狭い道路を走りながらどんどん山奥へと上って行き、たどりついたところは駐車場はあるものの展望台は撤去されていて、藪の中に土台のみがぽつんと取り残されていました。でも眺望はとてもよく、人っ子一人いない展望公園からの眺めをひとり、いやふたり占めしました~合格

 

 陽もだんだんと傾いてきました。ガイドブックで浜名湖周辺のみどころを探しながらたまたま見つけた庭園の写真に惹かれて、次の目的地を“龍譚寺(りょうたんじ)”というお寺さんに定めます。帰路の新東名のICにも近くて便利そうです。水分補給をして、いざ出発ですビックリマーク

 

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