久能山東照宮の参拝を終え、今宵の宿のある三保の松原(静岡県静岡市)へ移動します。駿河湾沿いの国道150号線経由で久能山下から車で約30分の距離です。
真夏なので山頂の雪化粧はありませんが、二日目の早朝、三保の松原より富士山をのぞむことができました。青空と大海原、そして雄大な富士山
と美しい松林が織りなすこの絶景はやはり、万葉のむかしから変わらず日本人のこころを魅了し続けているのだなぁと思います。
今回お世話になった宿は、三保の松原の入口という絶好のロケーションに位置する“天女の館 羽衣ホテル”さんです。名前からしてとても嫋(たお)やかですね。
ホテル前のこの道を少し歩くだけで砂浜に着くので、チェックインをすませお部屋でひと息入れた後でもすぐに、海岸へ散策に出られます。
世界遺産・富士山の構成資産のひとつにも登録されている三保の松原は、駿河湾の5kmにわたる海岸線に約3万本ものクロマツ林が連なる日本屈指の景勝地で、1922(大正11)年には、「海岸の松原越しに富士山を望む風致景観の優れた場所」として日本初の“名勝”に指定されたところでもあります。
松原の中でもひときわ大きく枝ぶりのよいこの松が天女が羽衣を掛けたといわれる“羽衣の松”で、現在のは三代目になるそうです。天女が舞い下りる羽衣伝説は三保だけでなく各地にありますが、三保の伝説はそれらとは少し趣が異なるそうです。
それはお話しの結末で、男が天女の羽衣を偶然見つけて天女に返そうとしないところまでは同じなのですが、他の地方の伝説のように、男が羽衣を隠して天上へ帰れないようにしておいて天女を娶るのではなく、衣を返してほしいと懇願する天女に男は「天人の舞を見せてくれるなら」と譲歩し、喜んだ天女は羽衣を纏い、それはそれは美しく舞い踊りながら富士山を超え天高く上っていく、というとても平和的なストーリーになっているところだそうです。
羽衣の松のそばにひっそりと碑が建っているので行ってみると、これは別名“エレーヌの碑”ともいう、フランス人舞踏家のエレーヌ・ジュグラリスの功績を称えるものだそうです。彼女は日本の能に感銘を受け、室町時代に成立した謡曲『羽衣』をフランスで初めて上演した芸術家なのですが、白血病により35歳の若さで他界。憧れの地三保の松原を生きて訪れることが叶わなかったので、死の翌年、夫のマルセルが彼女の遺髪を持って来日し、それを記念してここに碑が建てられることになったそうです。
歩いて行くと、松林の間から砂浜と海が見えてきました。
砂浜の奥に、立派な石の鳥居とともに神社がありました。“羽車(はぐるま)神社”と記されたこの神社は後述する“御穂(みほ)神社”の離宮(別宮)だそうで、羽車(御神体などをお遷しするときに使う輿)に乗り三保の浦に降臨された神さまが、神の道を通って御穂神社へ入るという言い伝えにもとづき、二代目羽衣の松の横に鎮座しているそうです。こぢんまりとしていますが、松原に守られた清々しいお社です。
眼前には砂浜と海~。
こちらが富士山方向ですが夕方5時近くで雲が多く、一日目は拝むことができませんでした。
寄せては返す波。
風向きのせいか松そのものの重みのせいか、地を這うような枝ぶりの古木は見るだに迫力満点です。
“天女の館 羽衣ホテル”さんは純和風の設(しつら)えで、
廊下に面した玄関から踏込み、この手前には次の間もついた数寄屋造りの和室は、老夫婦ふたりにはもったいないような広さです。
そして館内のいたるところに展示してある美術品がまたどれも素晴らしく、
100年以上の歴史をもつ老舗旅館ならではのおもてなしが目を楽しませてくれます。
洋風のステンドグラスがあったり、
何とも夏らしい虫籠に団扇、筏の涼やかな飾りつけ。
廊下の雪見障子は桟が松葉になっています。
廊下の壁に掛けられたこの額は、もとは和室の欄間かなぁと思うのですが違うかな。
三保の松原に面した2,000坪もの広大な日本庭園を有しているそうなのですが・・・あまりの酷暑に外へ出る気が失せて(笑)、ひとまず涼しい館内から眺めるのみです。
さて二日目の朝6時、“神の道”を通って“御穂(みほ)神社”を詣でます。右手奥が羽衣ホテル、そのすぐ横が三保の松原へつづく坂道です。
ここが神聖な“神の道”。松の木の根の保護のため木製の歩道が設けられ、車は両脇の一方通行の車道を通るようになっています。
毎年2月14日の深夜に行われる神迎え神事「筒粥祭(つつかゆさい)」において、羽車に乗った神さまは“羽衣の松”を目印に三保の松原の“羽車神社”に降臨なさり、そこから真っすぐに続くこの“神の道”を通って“御穂(みほ)神社”へとお渡りになるそうです。
神の道の両側には樹齢200~300年の松の古木が立ち並び、まさしく神さまがお通りになるにふさわしいよい気が集まっている気がします。
清浄な早朝の神の道をこころの中の神さまとともに歩きます。道の真ん中は神さまの通り道なので、参道は必ず端を歩きなさい、とは祖母の教えです。
神の道の先にようやく鳥居が見えてきました。
振り返り、御穂神社から見る“神の道”。
御穂神社の一の鳥居です。
神の道からつづく参道をすすみます。
早朝から落ち葉掻きのご奉仕をなさっているひともいて、境内はとてもきれいです。
まず御手水(おちょうず)をとり、
朝陽に輝く拝殿に参拝します。
御穂(みほ)神社の御祭神は大己貴命(おおなむちのみこと=大国主命)と三穂津姫命(みほつひめのみこと)で、縁起によると創建年は不詳なるも、神社の最も古い記録は平安時代に遡り、その後は朝廷をはじめ武家の尊崇篤く、江戸時代には徳川家康により壮大な社殿を寄進されたものの落雷により焼失し、現在の社殿は江戸中期に再建された仮宮だそうです。
参拝の後は境内の杜の中に点在する境内社を巡ります。正面は“神馬舎(しんめしゃ)”で、伝承によると、静岡浅間神社の木像の神馬が二頭、駿府大火に遭ったときこの御穂神社まで逃げてきたそうで、一頭は本社へ戻り、残る一頭がここに留まったそうです。
神馬舎左手の境内社五社は、まとめて“人の営み(生活)を守る神々”と紹介されています。向かって右から“稲荷神社”“胡夫太夫明社(えびすさん)”“産霊神社”“呉服之神社”“磯前神社”だそうです。
この方形の美しい建物は“舞殿”で、11月1日の例祭では「羽衣の舞」が奉納されるそうです。背後の松の木の高さはほんとうに見上げるばかりです。
つづいて境内社の“子安(こやす)神社”へ。
安産・子育てにご利益のある子安神社にはたくさんの柄杓が奉納されています。その柄杓には小さな穴が開いていて、水を汲むとその穴から水が滞りなく流れ落ちるように、赤ちゃんがすーっと下りてきて安産になりますようにとの願いが込められているそうです。
子安神社脇の境内社は“人の社会を守る神々”と紹介されていて、向かって右から神明社、八幡神社、八雲神社の相殿です。夫は神明造りなのに神明社が真ん中じゃないんだ~と不審がっていました。言われてみれば確かに・・・。
拝殿を横から眺めます。屋根の上に載る飾りが独特ですね。
拝殿の後ろの本殿。
正面鳥居から境内をまっすぐに抜けた裏側にも鳥居と社号標があります。
御穂神社の御朱印です。
一日目の夕方は羽衣ホテルの横から羽衣の松のある海岸に出たので、今日は御穂神社からもうひとつの絶景ポイント“鎌ヶ崎”へ歩いて行ってみます。
10分ほどで鎌ヶ崎の海岸に出ました。今日もいいお天気~。
朝の海。昨日よりも波が穏やかです。
そして、見えました、鎌ヶ崎からの富士山。
“名勝 鎌ヶ崎”の石碑。
鎌ヶ崎から羽衣ホテルへ戻る途中の松原では、古木の間にたくさんの松の若木が植樹されているのを見ることができます。これだけの松林を維持してゆくにはやはり古木の手入れだけではなく、若い樹々を育てることも大事なのだなぁと思います。
おや、松林の中に猫ちゃんが・・・。
羽車神社前の海岸まで戻ってきました。
昨日の夕方、ここからは見えなかった富士山が今日は見えるかな・・・。
うっすらとですが、見えました。感謝。
松の緑も朝陽を受けて、とても色鮮やかに見えます。
日本三大松原のひとつにも数えられる三保の松原をもう一度目に焼きつけて、ホテルに戻ります。朝食前の小一時間、心身ともに浄化されるようなありがたいひとときでした。
チェックアウト後、三保半島の世界遺産構成資産区域(プロパティエリア)の一部をぐるりと車で回ってみました。前方の白い塔はその中の“清水灯台”。てっぺんの風見鶏は、三保の松原らしく天女の形をしているそうです。
そこからも、雲の間から富士山の頂上だけが少し見えました。
そしてこちらは羽衣ホテルのすぐ目の前にある通称“みほしるべ”という「静岡市三保松原文化創造センター」で、三保の松原に関する資料展示や映像シアター、ミュージアムショップなどを備えた誰でも無料で利用できる文化施設です。フランス人舞踏家エレーヌ・ジュグラリスが謡曲『羽衣』を舞うときに実際に身につけた能面なども展示されています。
一階にはサンルームのような明るい“通り土間”もあり、歩き疲れた足を休ませながら企画展の展示などを見るのもいいです。館内は写真撮影禁止のようでしたので、企画展の写真展が写り込まぬよう、天井だけを撮影させていただきました。
古より和歌や絵画に数多く描かれてきた三保松原。白砂青松に富士山の絶景は、今見てもこころの琴線に触れて、忘れられない旅の思い出の1ページとなりました。
yantaro