山梨日帰り散歩の最後はやはり、武田信玄公ゆかりの“恵林寺(えりんじ)”を詣でて〆たいと思います。

 

 恵林寺は甲府市から少し離れた甲州市塩山(えんざん)の地にあります。

 

 境内の入口では、“雑華世界(ざかせかい)”と書かれた扁額の掛かる黒々とした総門が迎えてくれます。

 

 “雑華世界”とは、この門の内は仏の住まう悟りの世界であり、悟りの眼をもってして見れば、仏の世界は華咲き乱れる美しい世界であることがわかる、というような意味だそうです。雑華世界に対して総門より外を“複雑世界”と呼ぶそうで、とするとこの総門はその境目の役割を果たしているといえそうです。

 

 真っすぐに続く静寂な参道を歩いて行くと、その先に“下馬石(げばせき)”があり、

 

 正面に山号“乾徳山(けんとくさん)”の扁額を掲げる朱塗りの“四脚門(しきゃくもん)”が姿を現します。四脚門は織田信長による甲州征伐の際の焼き討ちで焼失しますが、その後徳川家康が1606(慶長11)年に再建した当時のもので、往時の姿を今に伝える貴重な遺構のひとつだそうです。またこの四脚門を通称“赤門”、先の総門を“黒門”とも呼ぶそうです。

 

 四脚門からつづく参道の両側は美しい日本庭園です。

 

 池に松。

 

 洞(うろ)が天然の蹲踞(つくばい)のような趣の臥龍(がりゅう)の松。

 

 石橋を渡ると、

 

 ひときわ荘厳な“三門(さんもん)”があります。ここは武田氏滅亡の後も織田信長に恭順せず、立て籠もっていた僧侶たち百名以上が火攻めにあい非業の死を遂げたまさにその場所だそうです。今なお語り継がれる『滅却心頭火自涼(心頭滅却すれば火もまた自ずから涼し)』は、燃え盛る三門の上でときの住職快川(かいせん)国師が大喝一声(だいかついっせい)した遺偈(ゆいげ=辞世のことば)の一節で、その前節がもう片方の棟札に記された『安禅不必須山水(あんぜんかならずしもさんすいをもちいず)』だそうです。快川国師はそれにより皆の動揺を鎮め、その後静かに端座し火定(かじょう)に入られたそうです。

 

 三門をくぐるとすぐ正面に“開山堂”が見えてきます。

 

 開山堂には1330(元徳2)年、恵林寺を開山なされた夢窓(むそう)国師、上記の快川(かいせん)国師、そしてもうお一方、焼き討ちの際に快川国師の命を受けて三門から逃れ、後に恵林寺の再興を成し遂げられた末宗(まっしゅう)和尚の三像が安置されているそうです。

 

 この日は夢窓国師像の調査点検のため扉は固く閉ざされ、中を拝見することはできませんでしたが、見上げた軒裏の龍と雲の彫刻には思わず唸ってしまいました。すごいビックリマーク

 

 境内の端にある三重塔は“佛舎利宝塔(ぶっしゃりほうとう=納骨堂)”だそうで、申込受付中の看板が立っています。

 

 恵林寺は武田信玄が生前より自らの意思で菩提寺と定め寺領を寄進していたところで、境内には信玄公の墓所もありますが通常は非公開、月命日の12日のみ特別公開されるそうです。また石碑に刻まれた“武田不動尊”とは、信玄公が比叡山より大僧正(だいそうじょう)の位を受けたとき、京都より仏師を招いて対面で模刻(もこく)させたという等身大の不動明王像のことで、その像はこの先の“明王殿”に安置されています。

 

 閑静な境内には清らかな小川も流れています。

 

 明王殿の唐門(からもん)。明王殿の裏に信玄公の墓所があり、その背後には70基を超える家臣団の墓が控え、今も信玄公をお守りしているそうです。上洛の途上53歳で病没した信玄公は自らの死を3年間秘匿するよう遺言しますが、嫡男の武田勝頼はそれをよく守り、3年を経た後、ここ恵林寺で快川(かいせん)国師の手により盛大な本葬儀が執り行われたそうです。

 

 唐門の横にあるこちらの建物は経蔵(きょうぞう)のようですが、唐破風(からはふ)の上に載る般若(はんにゃ)の鬼瓦がとても目を惹きます。

 

 参道脇の鐘楼堂。

 

 開山堂の前に戻ります。

 

 ここまでの境内は自由に見学できますが、拝観案内によるとこの先の本堂や日本庭園などは有料のようです。

 

 薬医門をくぐると庫裡(くり)の前庭に出ます。わたしの身長の2倍はあろうかという大きな鬼瓦ビックリマーク

 

 正面には“武田信玄公訓言の石碑”。その冒頭には「凡(およ)そ軍勝五分を以って上と為し、七分を中となし、十分を以って下と為す」と刻まれ、“戦に限らず全てにおいて五分を心がけよ”と諭されています。現代にも通ずる名将武田信玄公ならではの訓言ですね。

 

 左手が唐破風(からはふ)の美しい本堂の玄関。随所に武田菱(たけだびし)が見えます。

 

 庫裡前に聳える大木。

 

 恵林寺本堂の拝観受付がこの“大庫裡”で、入口の券売機でチケットを購入します。拝観料はおとな500円です。

 

image

 庫裡の入口頭上には木製の駕籠が吊るされていて、天井がないのでがっしりとした小屋組みも見ることができます。

 

image

 庫裡の三和土(たたき)には大きな竈があり添えられた写真を見ると、恵林寺では戦時中、東京中野からの学童疎開の子どもたちを受け入れていたそうで、その煮炊きに使われていたもののようです。

 

image

 信玄公の旗印“風林火山”の屏風。

 

 靴を脱いで上がらせていただきます。

 

 庫裡の入口を入ってすぐの広間。職員の方が丁寧に箒がけをしておられました。

 

 堂内の案内図がないので広間の名前や用途などがよくわからないのですが、先の学童疎開の子どもたちが並んで食事をしていた写真はここかもしれません。

 

 奥に風炉釜(ふろがま)が見えるのですが目、すると庫裡のここは書院と思っていいのでしょうか。すみません、よくわかりませんあせる

 

image

 行ってみると柱に“八右衛門座敷”とあり、風炉釜(ふろがま)と風炉先屏風が置かれ、右奥の障子は水屋(みずや)への出入口と思われるので、茶席にもなるようつくられている座敷です。小さなお茶席なら向かって右手の座敷を、大人数なら正面床の間前の座敷も使えばいいようです。

 

 広間前の廊下をすすみます。 

 

 途中にある和室は中へ入れるようです。

 

 額絵のような景色音譜

 

 和室の縁側から中庭を眺めます。右手が庫裡。

 

 左手が方丈(ほうじょう=禅寺の住職の居室)です。そのふたつは池泉の上に掛けられた渡り廊下でつながれています。

 

 和室の床の間。

 

 振り返ると、外から見ていた本堂の玄関です。

 

 そして見えてきたのが本堂の正面にある息をのむほど美しい“方丈庭園”の石庭。松を中心に配置した枯山水(かれさんすい)で、奥に見える門は、天皇の勅旨を伝えにくる使者が通るための“勅使門(ちょくしもん)”だそうです。

 

 先ほど境内を散策していたときに撮った写真を見返すと、これが勅使門の正面のようです。

 

 本堂内は立ち入りも写真撮影も禁止なので、廊下から静かにお参りをします。

 

 恵林寺の御本尊は釈迦如来です。上の写真は恵林寺のホームページよりお借りしました。

 

 端正な石庭の奥には開山堂が見えています。 

 

 本堂前の廊下を反対側から。

 

image

 廊下に沿って本堂をぐるりと回ります。本堂の西の間には勅使がお座りになる貴人席も設けられているそうです。

 

 本堂西の間脇の廊下を行くと、

 

 左手に太鼓橋があらわれます。

 

 ここが“武田不動尊”の安置された“明王殿”、そして“武田信玄公墓所”へとつづく入口で、この太鼓橋の先はキュッキュと鳴って不審者の侵入を知らせる“うぐいす廊下”になっています。内部にはそのほかに“冥歩禅(みょうぶぜん)”というお戒壇巡りに似た暗闇を祈りながら歩く瞑想路もあるのですが、ここから先は撮影禁止なので写真はありません。二童子を従えた等身大の武田不動尊はその迫力に圧倒されるほどですが、伝承によると信玄公は剃髪した毛髪を焼いて漆に混ぜ、自らの手で像の胸部に塗りこめたそうです。

 

 太鼓橋の上からは遠くに“柳沢吉保(やなぎさわよしやす)夫妻の墓所”が見えます。吉保は江戸幕府第五代将軍徳川綱吉の側用人を務めた人ですが、甲斐15万石の領主でもあり、出自が信玄公と同じ甲斐源氏であることから、恵林寺が廟所となっているそうです。

 

 太鼓橋からそのまま先へ進むと、そこは本堂裏手に一面にひろがる美しい“恵林寺庭園”です。国指定の名勝にもなっているこの庭を築庭されたのが恵林寺を開山なされた夢窓国師(夢窓疎石)で、師は臨済宗の禅僧にして日本初の作庭家ともいわれ、その作品である京都の天龍寺庭園と西芳寺(苔寺)庭園は“古都京都の文化財”のひとつとして世界遺産にも登録されているそうです。

 

 庭園に下りることはできませんが、典型的な池泉(ちせん)回遊式庭園のようです。

 

 奥の築山には枯山水、その頂上に三重石塔も見え、手前には池に注ぐ滝があしらわれています。

 

 庭園に張り出した川床(ゆか)のようなスペースに腰かけて眺めるのも風雅です。

 

 庫裡の広間へ戻ってきました。

 

image

 本堂の見学を終えて靴をはいていると、庫裡の入口の三和土(たたき)に寝そべっていた尻尾の長いキジトラの猫ちゃんがにゃおんと話しかけてきます。三和土はひんやりして涼しいことをよく知っているのですね。人懐こくて、撫でるとゴロゴロ喉を鳴らしていました照れ
 

 庫裡の前庭には瑞々しい蓮の花。 

 

 恵林寺の御朱印です。こちらは通常の御朱印ですが、信玄公の祥月命日の4月12日と、月命日の12日にはそれぞれ限定の特別御朱印がいただけるそうです。甲斐善光寺にはじまり、甲斐国一宮浅間神社、信玄餅、そして恵林寺と、はからずも信玄公ゆかりの地を巡ることになった夏の一日でした。

 

音譜音譜音譜 yantaro 音譜音譜音譜