春本番ラブラブ。あたたかな陽気に誘われて伊豆半島を訪ねます。圏央道のおかげで当地埼玉から中央自動車道や伊豆方面へのアクセスがとてもよくなり、熱海、伊東あたりまでならゆっくり走っても2時間弱の快適ドライブ車で到着します。

 

 行き当たりばったりの“ゆる旅”はいつものことなので、宿だけ予約しておいて、行先は車に乗ってからガイドブックを開いて目についたところが目的地ビックリマーク今回はガイドブックの写真に一目ぼれした“東海館(とうかいかん)”(静岡県伊東市)から行ってみることにします。

 

 東海館は1928(昭和3)年、伊東の街に建てられた温泉旅館で、現在は旅館としての営業を終え、建物の見学と日帰り入浴もできる観光名所になっているそうです。細い路地に面したこの堂々たる表玄関を見ても、木造三階建ての圧倒的な存在感を誇る外観を見ても、老舗の温泉旅館らしい風情にあふれ、往時の繁栄と賑わいが偲ばれます。唐破風(からはふ)の懸魚(げぎょ)は昇る朝日に鶴という何ともおめでたい意匠になっています。

 

 入口を入ると板張りのひろい玄関ホールがあり、左手が受付です。見学のみなら入館料はおとな200円、日帰り入浴も込みなら500円だそうです。係の方が、ここは創業者の稲葉安太郎氏が材木商を営んでいたため随所に杉や檜などの高級木材をふんだんに使い、当時地元で評判の腕利きの棟梁3名に頼んで作らせた名建築なので、どうぞゆっくり見学していってくださいと教えてくださいました。

 

 玄関ホール右手から入ります。

 

 温泉旅館当時の品々や、

 

 実際に使われていた映写機などの展示コーナーを過ぎると

 

 右奥が日帰り入浴ができる大浴場で、この日は午前11時から営業とのことでした。

 

 吹き抜けの中庭を左に見ながら廊下をすすむと、その奥が旅館の客室のようです。

 

 磨き上げられた廊下は真っすぐではなく、緩やかにカーブしています。

 

 一番手前の“桔梗(ききょう)の間”。

 

 三畳の踏込(ふみこみ)つきです。

 

 簡単な床の間と縁側のついた落ち着いた和室です。

 

 縁側からの眺め。

 

 同様の間取りの“菖蒲(しょうぶ)の間”をはさんで次の“蘭(らん)の間”は、入口にあしらわれた古木からして高級感が漂っています。

 

 蘭の間は桔梗、菖蒲より一回り広く、踏込の脇には次の間もついています。変わった形の床柱に加え、書院の障子の桟(さん)には遠景に富士山、手前に帆掛け船と松林の図柄が組み込まれ、縁側と座敷の間の障子の桟も吹き寄せ障子ふうにするなど、手の込んだ装飾が施されています。

 

 一階一番奥の“葵(あおい)の間”は、入口にも飛び石のような沓脱(くつぬぎ)と額入り障子を配し、

 

 踏込(ふみこみ)の脇の次の間も、主室の座敷もいちばん広々としています。

 

 次の間にも座卓と火鉢が。

 

 手前の桔梗の間から順に客室の広さも装飾も、調度品のひとつに至るまで“松竹梅”のように少しずつグレードアップしているのがよくわかります。当然お部屋によって宿代も違ったのでしょうね。

 

 蘭の間の床の間には付け書院があり、障子は目の細かい変わり組み、上の欄間(らんま)には縁起のよい鳳凰(ほうおう)の透かし彫りが施されています。

 

 広縁(ひろえん)の椅子に腰かけると、すぐ横を流れる松川が一望できます。

 

 二階へ上がります。一階葵の間の真上の“牡丹(ぼたん)の間”。

 

 客室ごとに違う手の込んだ意匠にもずいぶん目が慣れてきましたが、それでも中に入るたびに思わずわ~っと声が出ますラブラブ。書院障子の文様は何だろうはてなマークと思いパンフレットを見ると、“網干し状のデザイン”と書かれています。なるほど漁網(ぎょもう)を吊るした構図なのですね。相模湾が目の前の伊東ならではの意匠が素敵ですキラキラ

 

 一階には源泉かけ流しの大浴場もあるし、夫と「できることならこの部屋で今宵一夜の宿をお願いしたいねぇ~」と言うくらい居心地がいいです照れ

 

image

 広縁からの景観も比べてみると、一階と三階よりこの二階から眺めるのが一番いいような気がしますラブラブ

 

 二階のここから先の客室は、伊東にゆかりのある人物を紹介する資料展示室になっています。まず最初は“歴史の小部屋 三浦按針(みうらあんじん)の間”。

 

 日本名を三浦按針(あんじん)と称したウィリアム・アダムスは、大航海時代にオランダのロッテルダムから極東を目指して航海に出たイギリス人航海士で、1600(慶長5)年にほうほうの体で豊後臼杵(今の大分県大分市)の海岸に漂着したそうです。その後通訳や外交顧問として徳川家康に重用されていましたが、船大工としての経験を買われて当地伊東に日本初の造船ドックを設け、同じく日本で最初の洋式帆船を建造したと伝えられています。そういえば日本史で習いましたっけ!?

 

 ところで廊下に対して客室が少しずつ斜めにずれているこの珍しい配置は、帰宅後調べたところ、“雁行型(がんこうがた)”という建築様式なのだそうです。雁(がん)が隊列を組んで飛ぶときの様子に似ているところからつけられたもので、そういえばマンションの外壁が真っすぐ直線ではなく、一戸ずつ前後にずれてカクカクした外観になっているのを見たことがありますが、それも雁行型のひとつだそうです。

 

 雁行型の配置のおかげで客室の入口が直に廊下に面していないので、目隠しにもなり一石二鳥ですねニコニコ。さて次の歴史の小部屋は“伊東の開祖 伊東祐親(すけちか)の間”です。

 

 伊東祐親は昨年(2022)のNHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』にも登場した平安時代の武将で、もともと平家の家人だったため、平治の乱に敗れて伊豆に流された源頼朝の監視役を仰せつかります。ところが流人の身でありながら頼朝は祐親の娘八重姫(やえひめ)と懇(ねんご)ろな仲になり、子どもまで授かります。床の間の絵は、生まれた赤子を愛し気に見守るふたりと、それに眉をひそめる祐親の様子を描いたもののようです。

 

 材木商ならではの慧眼(けいがん)と豊かな経済力をもって選び抜かれたであろう装飾用の木々も野趣に富み、さらに名棟梁の手にかかればこのように、この世にふたつとない味わい深いデザインになるのですね。

 

 歴史の小部屋の三つ目は、“伊東のまちを愛した世界の提督 東郷平八郎元帥(げんすい)の間”です。

 

 東郷平八郎は言わずと知れた大日本帝国海軍の軍人で、日露戦争では旗艦“三笠(みかさ)”に乗艦し自ら作戦を指揮して、当時世界最強と謳われたロシアのバルチック艦隊を日本海海戦において撃破し日本を大勝利に導いた連合艦隊司令長官として有名ですが、伊東との縁は、リウマチを患っておられた奥さまの温泉療養のために別荘を建て、晩年を過ごされたことに由来するそうです。

 

 ここは客室ではないので廊下が真っすぐです。

 

 つづいて同じ二階の客室をリフォームしたところは“東海館ギャラリー”になっていて、彫刻作品等の常設展示が行われていました。

 

 ここは客室ではなくおそらく物置か何かだと思うのですが、その障子にも帆掛け船が組まれていて、まるで一幅の絵画のようですラブ。桟(さん)のままでも用はじゅうぶんに足りるのに、これを贅沢と言わずして何と言いましょうか・・・。

 

 各種展示がつづきます。

 

 こちらのコーナーには伊東が生んだ医学者であり文学者、芸術家でもあった木下杢太郎(もくたろう)氏に関する資料が展示されています。ここを見ると、市内の“木下杢太郎記念館”へぜひとも行ってみたくなりますビックリマーク

 

 座卓が置かれ、隅には衣紋(えもん)掛けに乱れ箱。むかし懐かしい温泉旅館がそのまま再現されているような趣です。

 

 二階の広間。

 

 三階へ上がります。

 

 踊り場の壁の明り取りにもひと工夫。

 

 “孔雀(くじゃく)の間”。

 

 付け書院の障子はさらにさらに細かい幾何学模様です。

 

 川風が心地いい三階客室からの眺望。

 

 つづいて“鶴の間”。

 

 同じく雁行型(がんこうがた)の廊下です。

 

 シンプルながら格調高い座敷です。

 

 ひとつとして同じ意匠のない凝りに凝ったつくりというのはこういうのを指すのだろうなぁ~と思います。

 

 つぎは“千鳥の間”。

 

 パンフレットによると、三階の鶴の間と千鳥の間は、リモートワークルームとして使わせていただくことができるそうです。冷暖房はなしですが高速Wi-Fi完備とのこと。なるほどそれで、客室のインテリアや調度品も極力シンプルに、広縁でもパソコン作業ができるよう、ソファではなくデスクと椅子になっているのですね。納得ビックリマーク

 

 三階の道路側は温泉旅館には不可欠の“大広間”です。

 

 一段高い舞台の両袖には孔雀と牡丹が精巧に彫り込まれた一枚板の装飾が施され、金屏風とともに豪華さを添えています。温泉といえば芸妓(げいこ)さん、入れ替わり立ちかわりこの舞台で謡や踊りを披露されていたことでしょう。

 

 舞台から見たぶち抜き120畳敷の大広間ビックリマーク。飲めや歌えの賑やかそうな当時の宴席の様子が目に浮かびます。

 

 木目の美しい杉材の格天井(ごうてんじょう)にはモダンなシャンデリア、欄間障子の桟(さん)は細かい青海波(せいがいは)に千鳥が飛んでいます。

 

 五月人形もこれだけ揃うと見ごたえがありますね。 

 

 鶴の間前の階段から四階の“望楼(ぼうろう)”へ上がります。

 

 城ならまさにここは天守閣という造りの望楼は全面硝子戸でとても明るく、伊東の街並みをぐるりと一望することができます。

 

 緑色のドームは、東海館の隣の外国人向けゲストハウス“K's House(ケーズ・ハウス)”の望楼だそうです。K's Houseは実際に宿泊することのできるホステルで、外国人旅行者やバックパッカーなどに人気が高く、ゲストの約8割が外国人なのだそうです。

 

 一階へ下りてきました。中庭の奥のこの障子の向こうは喫茶室になっています。

 

 古きよき時代の生き証人のような東海館。贅を尽くした造りでありながら、高級さを売りにするのではなく、来るものを拒まない親しみやすさが肌で感じられるのはやはり、伊東という温暖で開放的な土地柄に育まれたものなのだろうなぁと思います。

 

 松川にかかる“いでゆ橋”を渡り、対岸の遊歩道からは白い提灯が目印の“東海館”と、並び建つ“K's Housse”の全容を見ることができます。ガイドブックで一目ぼれした写真もまさにこれ、でしたビックリマーク。この日は朝いちばんに訪れましたが、温泉街は昼と夜の表情がまったく違うもの。つぎは東海館の夜景も見てみたいと思っています。

 

音譜音譜音譜 yantaro 音譜音譜音譜