我が家は埼玉県のなかでも田舎なので、家の周囲にもまだたくさん雑木林が残っています。よく言えば自然豊かなのんびりしたところなのですが、それでも最近、気づくといつの間にか雑木林が伐採されて、住宅が建ったり、ひろい駐車場を備えたコンビニエンスストアになっていたりします。

 

孫を連れて、所沢航空記念公園(埼玉県所沢市)へ遊びに行きました。

 

 雑木林といっても住宅地の近くなので、市の環境緑水課や、私有地なら持ち主の方が枝落としや下草刈りなどの手入れをしてくださっていると思うので、まったくひとの手の入らない純粋な雑木林ではないはずですが、必要以上にきれいに整えられていないそんな自然に近い雑木林が身近にあるのが嬉しくて、散歩のときにはその近くの道を好んで歩いたりします。

パンジーとネモフィラがきれいに咲いています。

 

 じぶんの持ちものでもなく、まして手入れの大変さを知っているわけでもないわたしが偉そうに言うことではないのですが、できることなら、公園でも遊園地でもないただの雑木林をできる限り残しておいてほしいなぁと思うのです。ビルディングや高層マンションの立ち並ぶ都会では難しいことはよくわかるので、せめて郊外に残されている雑木林の伐採は必要最小限にしていただき、木々が与えてくれる豊かな恵みを肌で感じられる空間があるといいと思います。

航空公園の中央に立つシンボルタワーの放送塔。

 

 朧(おぼろ)げな記憶なのでおそらく昭和30年代の後半ころ、わたしの実家の風呂は父が外の焚口に薪をくべて沸かしていましたが、ときには生垣(いけがき)を剪定したときに出る木切れを乾燥させて使ったりもしていた覚えがあります。雑木林ではないのですが、そういえば最近は家の周りに生垣を巡らしてあるお宅も少なくなり、ほとんどはブロック塀や見栄えのよいアルミのフェンスなどに代わっています。生垣は定期的に剪定しなければならないし、ときには虫がついたり蜂が巣をかけたり、雑草がまとわりついたりして手入れが必要ですが、今になると生垣のある風景ってよかったなぁ~と懐かしく思い出します。

奥には航空発祥記念館、その手前には昭和の時代に活躍した航空自衛隊の中型輸送機“天馬”の実物も展示されています。

 

 我が家の裏手にも雑木林があり、そのまま奥の山林につながっているのですが、あの大きな被害の出た東日本大震災のときにもわずかな揺れを感じただけだったのは、やはり裏山の木々がしっかりと根を張り、揺れを吸収してくれたおかげではないかと思っています。地元のご老人たちに話を聞くと、もともとこの一帯は地盤が固く背後に山林があるので、じぶんたちの知る限り、地震はもとより大雨による地滑りや鉄砲水などの災害が起きたことがない土地柄なのだと口を揃えておっしゃいます。

所沢航空記念公園は1911(明治44)年、日本ではじめて航空機専用飛行場(所沢陸軍飛行場)ができた場所で、終戦後は米軍基地として接収されていたものが一部返還されて、その跡地を整備して1978(昭和53)年に開園した県営の公園で、“日本の航空発祥の地”として知られています。

 

 そんな田舎だからと高を括っていたのに、何やら急に視界が明るくなったと思ったら、いつの間にか近くの雑木林の一部が伐採されて道路が通り、左右には歩道もできています。そういえば久しぶりに歩いた山道のウォーキングコースの途中も、鬱蒼としていた森が伐り開かれて燦燦と陽のふりそそぐ公園になっていたし、それはそれでいいことなのですが、あ、またひとつ、雑木林がなくなってしまった・・・と思うと少し寂しく感じたりもします。

遊び疲れてネンネしてしまったたっくんの横には、ポケモンの絵が描かれたマンホールのふた、通称“ポケふた”が目ビックリマーク所沢にはこのほかにもあと2枚、ポケふたがあるそうです。

 

 春になれば、道路脇の雑木林の木々の間に山桜が顔をのぞかせ、少し遅れてまるで舞妓さんの簪(かんざし)のような藤の花が隣の木に寄りかかりながら重そうに房を垂らしているのを見ると、誰が水を与えるわけでも肥料を施すわけでもないのに、毎年必ずこうして咲いてくれることが殊のほかありがたく感じられます。誰ひとり足をとめて眺めてくれずとも、その美しさは、有名な花の名所で咲く花々と何ら変わりはないんだなぁとしみじみ思います。わたしたちの暮らしのすぐそばにあって、見えないところでひとびとを守り育んでくれる雑木林がこれ以上なくならないでほしい、とこころから願っています。

 

音譜音譜音譜 yantaro 音譜音譜音譜