少し前のネットニュースで、新年度からPTAを廃止あるいは休止することになった学校の話題を読んで、今もむかしも変わらない問題なのだなぁと思いました。

 

一面に咲く菜の花音譜

 

 子どもが幼稚園や小学校に通いはじめると、保護者にとって切っても切れないのがPTAですね。PTAはParent Teacher Association(ペアレント ティーチャー アソシエーション)の頭文字をとったもので、文字どおり保護者と教職員とで構成される団体であり、その活動の目的は「保護者と教職員が協力して子どもたちの健全な育成を図る」とされています。わたしも長男が小学校に入ってから知ったのですが、PTAへの参加はあくまで任意であり強制されるものではないそうです。ただ、わたしが子育てをしていた20数年前は事実上全員参加が当たり前で、よほどの事情がない限り、PTAに入らないという選択肢はなかったような気がします。

散歩の途中で見つけたのですが、何の花でしょうはてなマーク苺みたいにも見えるのですが・・・

 

 そんなわけで子どもの入学と同時にいつの間にか入会しているPTAですが、各種PTA活動の中で問題になるのはむかしも今もやはり、役員選びの負担ではないかと思います。PTAが一般的に広まった戦後すぐの頃は女性の社会進出も今ほど進んでいなかったし、三世代同居の家庭も多かったですが、今や男女問わずフルタイムで働きながら子育てをするのがスタンダードになりつつあり、そんな中で以前と同じような活動や役員の数を維持してゆくのは至難の業だろうというのは容易に想像がつきます。

以前くまさんに教わったハナニラ・・・ですよね!?

 

 何よりむかしと今では子どもの数が違います。わたしが小学生だった昭和40年代は1クラス45人学級で、どの教室も生徒の机と椅子でいっぱい、授業参観のとき、親たちは教室内に入りきれず廊下から中をのぞいていたのを覚えています。でも今は1クラスの上限が35人の少人数学級が主流なので、当然親の数も減るし、その少ない人数の中から同じ数の役員を出さねばならないとなると、小学校だけでも6年間のうちには一度ならず二度、三度と回ってくることもあり得ます。事実わたしのときですら“子ども一人につき最低1回”なんていう暗黙の縛りがありましたし、中学校へ行っても高校へ行っても、新学期=PTAの役員選びという構図からはなかなか抜け出せないのが現実でした。

凛としたシャガの花。

 

 かく言うわたしは頼まれもしないのに好んで引き受けるほうでしたので(笑)、毎年年度初めの役員選びのときは「わたしもやるので、どなたか一緒にやってくださいませんか。」と呼びかけるとわりとスムーズに決まることが多く、あまり苦労をした記憶がないのですが、だからと言って「皆さん、役員をやりましょう。」などととすすめるつもりは毛頭ありません。PTAは学校ごとの団体なので活動内容にもそれぞれ違いがあるし、コロナを経てPTAが参加する学校行事等も減っているかもしれず、その上で今、改めて存続を含め、PTAのあり方そのものを見直そうという動きになっているのだろうということはとてもよくわかります。

アリウムトリケトラムっていう早口言葉みたいな名前のお花だそうです。

 

 コロナ禍の3年間はPTA活動だけでなくすべてのひとの動きが制限されていましたが、それでも当初の休校措置などを経て、現場はマスクの着用や消毒に試行錯誤しながらも、何とか子どもたちの学校生活は維持されていたので、もはやPTAがなくても不自由はないんじゃないのはてなマークと思うひとが増えているのかもしれません。自治会活動などを見ても、コロナ禍により一度休止したものを復活させるのにはかなりの労力が必要なので、今更PTAを復活させて、また役員選びの苦労を背負い込むこともないという意見もあるでしょう。確かにそれも一理あるとは思います。

濃いピンク色の小さなお花・・・名前がわからなくてごめんなさいあせる

 

 ただ、PTAがなくなったから保護者は学校にはまったく関わらなくていいというのではなく、やはり子どもは、特に小中学生は、学校と家庭と地域がひとつになって守り育てるというのが基本ではないかと思います。だからこそ小中学校には“学区域制”が導入されていて、もちろん“学校選択制”もありますが、住み慣れた地域の学校に通うことで、自然と地域のコミュニティとのつながりが増えるというメリットがあります。親は家庭で子どもを育てますが、学齢期以降は、学校や地域のなかで育てられていく部分もとても多いものです。わたしが長年のPTA活動を通して実感したのはまさにそれでした。

今まさに飛び立たんとするタンポポの見事な綿毛ラブラブ

 

 子どもは親だけで育てているのではないし、同じく学校でだけ学んでいるのでもありません。ともに子どもたちを見守り、育むためにあったはずのPTAをどうか邪魔もの扱いせず、無駄なところは省き、役員決めが大変ならばその都度協力できる保護者を探すなどの方法を模索しながら、保護者の皆さんには我が子が日々を過ごす学校への関心を持ち続けてほしいと願っています。

 

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