最近家の近くのスーパーマーケットやホームセンターがこぞってセルフレジを導入していて、もはや慣れるしかなく勇気を出してチャレンジしているのですが、それぞれお店によって機種というか使い方が少しずつ異なっていたりして、会計をすべて終えるまでは未だ緊張の連続です。しかも、セルフレジ周りを見回る係のひとに“監視”されているような気もして必要以上にアセッてしまい、操作を間違うこともしばしば・・・。スムーズに会計できるよう“見守って”くださっているのに、ほんとうに申し訳ないことです。
そして我が家は田舎のせいか、今のところスーパーマーケットよりコンビニエンスストアのほうがまだ対面レジが多く残っていて、近くのいつも行くコンビニのレジで若い大学生のアルバイトの学生さんが元気に応対してくださるのがとても新鮮に感じます。コロナ禍以降、コンビニでも会計が済んだ商品は自ら持参の袋に入れるのがふつうになっていますが、ときにその店員さんが率先して「入れましょうか」と言いながらわたしの買い物袋に入れて「はいっ、ありがとうございましたっ」と手渡してくれたりすると、なんだかじ~んとするほど嬉しくて、とても幸せな気持ちになるんです。今までは当たり前のサービスだったのにね。
ところで先日、近所の回転ずしの店に行きました。外食の機会が減っていることもあり食事はとても美味しくいただいたのですが、会計を終えてからふと気がつきました。今日わたしたち、この店の店員さんたちの声はいっぱい聞いたけれど、誰の姿も見なかったなぁって・・・。まず店内に入ると、入口にテレビみたいなタッチパネルのモニター画面があって、それに人数と席の希望を入力すると座席番号を書いた紙がプリントされて出てきて、誰にも案内されることなくじぶんでその席を探して座り、注文ももちろんタブレット画面、上下二本のレーンに載って次々と運ばれてくるお寿司を食べて、最後のお会計まで当然のごとくセルフレジ、というわけです。
コロナ禍のなか、来店する客の不安を少しでも取り除こうという店側の最大限の配慮と感染対策であることはよくわかるのですが、その徹底ぶりが逆になんとも味気なく、お腹はいっぱいなのに心がちょっぴり寂しくて、まるでじぶんがロボットになったような気分です。外食の楽しみって食事の美味しさだけではなく、まわりの雰囲気や店のスタッフさんとのふれあいなども含まれているんだということを改めて感じて、どうか一日も早くコロナが治まって以前の姿に戻ってほしいと思うのですが、一度こういう無人のシステムができあがってしまったものが対面接客に戻る可能性はあるのだろうかと、とても気になるところです。
わたしが子どものころ、はじめておつかいに行ったのは、田舎の家のすぐ近くにあった雑貨も売っている小さな食料品屋でした。タッパーウエアと小銭を握りしめて毎日お豆腐を買いに行くのですが、今思い返すとそこでどれだけ多くの貴重な経験をし、どれだけ周りのひとたちに見守られ、慈しみ育ててもらっていたかに気づくのです。今の時代店舗の大型化は致し方ないとしても、セルフレジの店が増え、最近の広いスーパーマーケットやホームセンターなどでは探しものが見つからなくて店員さんに尋ねたいと思っても、その店員さんを見つけるのがまたひと苦労。安心と効率化の果てにたどり着いた今の業務形態のなかでは、小さな子どもたちはどこで“はじめてのおつかい”を経験するのだろうと、老婆心ながらちょっと心配にもなりました。
誰にも会わず、誰とも話さず、黙々と買い物も外食も済んでしまうなんて、コロナ感染は避けられてもやはり、正常な姿ではないような気がしてなりません。コロナ禍を乗り越えたら、また小さな子どもたちの“はじめてのおつかい”を周囲の大人たちが優しく見守り、声をかけ、手助けしてあげられるような世の中なってほしいと切に願っています。
yantaro