戸隠古道の神道(かんみち)と奥社道(おくしゃみち)を歩き途中のお寺さんや史跡を辿りながら、県道36号線沿いの戸隠神社奥社入口まで来ました。

 

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 ここから戸隠神社の奥社へ至る参道がはじまります。その入口に立つ大鳥居。足元には“下馬石(げばせき)”が見えます。ここから先は何人たりとも馬や駕籠から下りなければならないというしるしです。ちなみに今でもよくつかう“下馬評”は、ここ“下馬先”で乗せてきた御主人さまを待ちながら、伴の者たちがあれこれ噂話をしていたことをいう「下馬先の評定」からきたことばです。おもしろいですね。

 

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 奥社参道入口から奥社までは片道約2kmもあるそうで、参道としては国内でも一二を争う距離ではないかと思います。しかもその2kmのほとんどが、山中にも関わらず素直にまっすぐ奥社へと伸びる道で、鬱蒼とした社叢(しゃそう)に守られ、木陰とせせらぎに涼を得ながら御神域を一歩一歩進んでゆくのが、何にも代えがたい至福の時間のように感じられます。

 

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 参道脇の水路のところどころには、花は終わっていますが大きな葉を広げるアメリカ水芭蕉がありました。先日たまたま尾瀬の水芭蕉を見てきたばかりなので、清楚で控えめな日本の水芭蕉にくらべてさすが外来種、他を圧倒するほどのおおらかさが逆にほほえましいくらいです爆  笑

 

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 しばらく歩くと参道の右手に“高妻山神鏡碑”があります。高妻山(たかつまやま)は戸隠連邦の最高峰にして日本百名山のひとつでもある標高2,353mの山ですが、江戸時代の末期、仏心という僧侶がその高妻山に青銅の神鏡を奉納した記念に建てられたものだそうです。クレーンなどない時代、40kg以上あるという大きくて重い青銅の鏡を山頂まで運び上げるのがどれほど大変だったか、この道を歩くだけでも想像できる気がします。

 

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 参道のはじまりは、こんなに楽に行けるのなら2kmもそれほど苦にならないかな・・・と思えるくらい平坦で歩きやすい道です。ここまで、いやもう少し先まではね~爆  笑

 

 奥社参道入口から約1km、ちょうど中間点あたりに狛犬に守られた隋神門(ずいしんもん)があります。前方に人だかりができているのは、車椅子で参拝に来られている御一行が記念写真を撮っておられるのを後から行く参拝者が静かに待っていたからです。つまり上り坂の道に入るまでなら、でこぼこ道ではありますが車椅子の方でも来れるということですよね。

 

 隋神門の前の狛犬さんは比較的新しく、モダンな出で立ちです。

 

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 苔むした、というよりもはや茅葺屋根が見えないほど草を載せた隋神門。そろそろ葺き替えどきではないかと思いますが、せめて一雨ごとにぐんぐん伸びる夏草は取り除いたほうがよいようにも思います。でも不思議と、この地には似合っている気もするんですよね。

 

 一段高いところに控える随神は、向かって左が“櫛岩窓之神(くしいわまどのかみ)”で、右が“豊石窓之神(とよいわまどのかみ)”、瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)が高天原(たかまがはら)から日向国(ひゅうがのくに=今の宮崎県)の高千穂(たかちほ)へ天下られるときに随行した神さまだといわれています。

 

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 隋神門がフレームになって、これぞ戸隠という奥社杉並木の景色が切り取られています。ほんとうに絵画みたい・・・。

 

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 この景色が見たくてここまで来たといっても過言ではない奥社参道杉並木。樹齢400年を超す巨木たちに守られながら歩いていると、こころのなかに溜まった澱(おり)も蟠(わだかま)りも、ひとつずつ流れ落ちてゆく気がします。

 

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 杉並木をふくむ戸隠神社奥社社叢林(しゃそうりん)は1973(昭和48)年に長野県の天然記念物に指定されたそうで、案内板には「51haという広大な規模は県下に類を見ず、樹木の伐採が禁じられたおかげで原生林に近い稀有な森林植物相を呈する」と記されています。

 

 杉並木の途中に“奥社院坊跡(いんぼうあと)”の案内板が立っています。院坊は僧侶の住まいのことで、神仏習合だった平安時代後期から明治になるまで、ここには戸隠山顕光寺(戸隠神社の前身)に奉仕する僧たちの院坊が立ち並んでいたそうです。今では一面下草に覆われていますが、足元に残る石垣だけがその痕跡を伝えています。

 

 社叢の案内板には「江戸時代の初め頃に挿し木によって植樹された200本を超えるスギの巨木が並木をつくり・・・」とあり、自然の恵みにひとの手を加えることで、この奥ふかい御神域が守られてきたことがわかります。

 

 大きな洞(うろ)を持つ杉の大木のひとつに注連縄がかかっているのは通称“小百合杉(さゆりすぎ)”で、2010(平成22)年に放映されたJR東日本『大人の休日倶楽部』のCMで、女優の吉永小百合さんがこの奥社道を歩かれたとき中に入られたことに因み名前がついたそうです。BGMの「Amapola(アマポーラ)」のメロディーとともに懐かしく思い出します。

 

 隋神門を過ぎたところから約500mほど杉並木がつづきます。

 

 聴こえるのは水の音と鳥の声、そしてじぶんの足音くらい・・・。

 

 参道脇には一段高いところにところどころ、周囲の景色に溶け込んで石碑や多宝塔などがあります。

 

 杉並木が次第に途切れはじめると、後半約500mの上り坂の石段がはじまります。ここから先を歩くためにも、足元はサンダルやパンプスではなく、しっかりと足を保護するスニーカーやトレッキングシューズで行かれることをおすすめします。この日も前日も雨天ではないのですが参道はしっとりと湿り、ところどころ濡れて滑りやすいところもあるので、急がずゆっくりと上るのがよいようです。

 

 上り坂の連続は見た目以上に足にこたえ、なるべく段差の少ないところを選び、ときどき立ち止まって休みながらも励ましあって一生懸命歩きます。このために来たんですからビックリマーク

 

 おっ目 視界が開け、左手前方に奥社の社務所らしき建物が見えてきましたキラキラ。最後のひとふんばり、がんばれ~ビックリマーク

 

 やった~飛び出すハートお社の屋根らしきものがやっと見えてきました。奥社の境内は標高約1,350mの山中にあるので、平地ではなく階段状の配置になっているのが見て取れます。

 

 まずその最下段には手水舎(てみずしゃ)。常に流れ落ちる戸隠の水で手と口を清めます。

 

 手水舎前の狛犬は角(つの)が生え、お尻を突き出した独特のスタイルです。隋神門前の狛犬にくらべると、苔むしたこの古さにも愛着が湧きますラブラブ。手水舎から狛犬越しに見えているのは九頭龍社。

 

 戸隠神社“九頭龍社(くずりゅうしゃ)”の社殿です。御祭神の九頭龍大神(くずりゅうのおおかみ)は古くからこの地を守る地主神(じぬしのかみ)であり、水を司る神さまです。水は生命の源であることから五穀豊穣、縁結びの御利益のほか、ピンポイントに“虫歯の神”の御神徳もあるそうですビックリマーク。わたしは虫歯には縁がないのですが、九頭龍神と虫歯にどんなつながりがあるのかはとても気になります。また案内板には、九頭龍大神が「本社の御祭神である天手力雄命を当山にお迎えした」とも記されています。

 

 決して大きくはない社殿ですが、悠久のときを経て今なおこの地に根づく力強さと、途切れることなく訪れる幾多のひとびとの祈りを静かに受け止めてきた懐のふかさが感じられる空間です。

 

 手水舎を一段目、九頭龍社を二段目とすると、さらにその上段の最上階に奥社が鎮座しています。地理的な条件だけではなく、きちんと計算された伽藍配置かと思われます。石段の先にはシンプルな神明鳥居も見えています。

 

 奥社へ上る石段の横の一段低いところには、まるで古殿地(こでんち=遷宮前に社殿が建っていた旧敷地)のようなスペースがありました。何に使われるものなのか気になります。

 

 麓の宝光社(ほうこうしゃ)から神道(かんみち)1.4km、奥社道(おくしゃみち)2km、さらに2kmの参道を歩いて、ようやく戸隠神社五社巡りの最後となる“奥社”に到着しました。いつか必ず・・・との念願叶いここまで来れたことがありがたく、感謝の祈りを捧げます。奥社の御祭神は天手力雄命(あめのたぢからおのみこと)で、天照大御神(あまてらすおおみかみ)の岩戸隠れの折、機に乗じて岩戸を引き開けた力持ちの神さまです。そこから開運、心願成就の御利益に篤く、スポーツ選手の必勝祈願も多いそうです。

 

 奥社の脇には中に“戸隠大神”の扁額のかかる小さな社もありますがとくに案内板もなく、詳細がわかりません。地酒の樽や絵馬が奉納されています。

 

 社務所で御朱印をいただきながら振り返ると、手水舎、九頭龍社、奥社と階段状になった境内地の様子がひと目で見渡せます。奥社の創建は紀元前210(孝元天皇5)年と伝わり、二千年を超す歴史を未来へとつないでゆくその時間のなかに一瞬でも身を置けたことが、ほんとうにありがたいと思います。

 

 さて、上ってきたぶんだけ今度は下ってゆかねばなりません。

 

 下り道は時間は短縮できますが、昨日の善光寺御開帳もふくめここまでかなり酷使して来た両の足には負担が大きくて、上り道以上に慎重に、膝をかばいつつ歩きます。

 

 杉並木に戻ってきました。

 

 なんとありがたい平坦な道ビックリマーク

 

 夏草を茂らせる隋神門にも思わず駆け寄りたいくらいの親近感を感じます。霊山から里山へ無事に下りて来られた安心感でしょうか~。

 

 五社を巡り終えた安堵と感謝の気持ちをもって見ると、行き道の高揚感とはまた違う感慨が湧いてきます。

 

 朝ホテルを出て中社の無料駐車場に車を置き、ゆっくり歩いて五社を巡ってきましたが、時計を見るとここまでちょうど5時間の行程でした。わたしたちは歩く速度も遅く、寄り道が多いので通常より時間がかかっていると思います。

 

 大鳥居を出ると少し遅めのお昼、目の前にはお疲れさま~と言ってくれるように食事処『奥社前なおすけ』さんがあり、名物の戸隠蕎麦をいただくことにしました。夫は辛味大根おろしざるそばの大盛り(10ボッチ)、

 

 わたしはアツアツの鴨汁につけていただく鴨ざるそば。どちらも疲れた体に染み入る美味しさです。“ボッチ盛り”という馬蹄状の束にして盛るのが戸隠蕎麦の特徴だそうです。

 

 戸隠神社“九頭龍社”の御朱印です。 

 

 同じく“奥社”の御朱印。

 

 五社参拝を終え五社の御朱印を受けると、記念の栞をお授けくださいます。また戸隠神社の“祈祷御神籤(きとうおみくじ)”は、数えの年齢を申し出るとその場で神職が丁寧に祝詞をあげてから、一人ひとりに籤(くじ)をひいてくださいます。賽銭をあげてじぶんでひくおみくじとはまたちょっと違う趣があっていいですねラブラブ。 “小百合杉”のJR東日本『大人の休日倶楽部』ふうにいうとまさに、「大人になったら、したいこと。」のひとつかな。

 

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