善光寺御開帳の翌日は、かねてより一度訪れたいと思っていた霊山戸隠山の麓に鎮座する戸隠(とがくし)神社(長野県長野市)の五社巡りに行くことにしました。

 

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 戸隠山の名の由来は天岩戸(あまのいわと)伝説からきています。太陽神天照大御神(あまてらすおおみかみ)が弟素戔嗚尊(すさのおのみこと)の乱暴狼藉に腹を立て天岩戸お隠れになると、世界は暗闇に包まれ様々な災いに見舞われました。八百万の神々が天の安河原(あめのやすのかわら)に集まって、何とか天照大御神に外に出てきていただこうと神議(かみはかり)を開き策を練ります。そのとき、半裸の天宇受売女命(あめのうずめのみこと)が面白おかしい舞を披露して神々の拍手喝采を浴びるものだから、何事かと訝しく思った天照大御神は、岩戸をほんの少しだけ開けて外の様子を伺おうとします。その機を逃さず力自慢の天手力雄命(あめのたぢからおのみこと)が岩戸を開け放ち、二度と閉められないよう岩戸を下界へと投げ落とします。一枚は九州宮崎の高千穂へ、そしてもう一枚がここ信州戸隠に落ちて、その岩戸が山になったのが戸隠山といわれています。


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 伝承によれば、天照大御神の岩戸隠れに大きな功績のあった天手力雄命(あめのたぢからおのみこと)がこの戸隠山の奥社(おくしゃ)の地に鎮まられたのが紀元前210(孝元天皇5)年といわれ、奥社の隣に鎮座する九頭龍社(くずりゅうしゃ)の創建はそれよりもさらにふるく、戸隠一帯の地主神(じぬしのかみ)だった九頭龍大神(くずりゅうおおかみ)が天手力雄命を迎え入れたとも言われているそうです。

 

 九頭龍社、奥社につづき949(天暦3)年に宝光社(ほうこうしゃ)、1087(寛治元)年に中社(ちゅうしゃ)、1098(承徳2)年には火之御子社(ひのみこしゃ)が創建され、その五社から成る戸隠神社は二千余年の歴史を刻む由緒正しい神社です。マップをみると奥社と九頭龍社以外は県道36号線沿いに点在しているので車で移動もできるのですが、やはり古の巡礼者のように歩いて回りたく、“戸隠古道”の五社巡りコースを行くことにします。

 

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 さて地図によると長野市街に近いところに“一之鳥居”があり、まずそこから始めようと行ってみると、今は鳥居そのものはなく、1847(弘化4)年の善光寺地震で倒壊した当時の鳥居の石材の一部が遺されていて、“一之鳥居苑地(えんち)”として整備されていました。二枚上の写真が一之鳥居苑地への入口で、“戸隠古道”の道標の立つ小道を数分歩いたところにあります。遺された石材を見るとおそらく真っ二つに割れた笠木(かさぎ)の部分で、それと足元の台石(だいいし)の位置からみても、かなり大きな鳥居だったと思われます。

 

 一之鳥居苑地から車で10分ほど走ると、戸隠神社“宝光社(ほうこうしゃ)”の石段と鳥居が見えてきます。

 

 宝光社の一の鳥居。鬱蒼とした戸隠山の杜の奥にもさらに石段がつづいています。

 

 宝光社は949(天暦3)年、奥社の相殿(あいどの)として創建され、1058(康平元)年この地に遷座されたそうです。

 

 狛犬さんに激励!?されながら長い長い石段を上ります。こういうところを歩きたいがために日々の散歩をつづけているのに、やっぱり息が切れてキツいです汗。途中から脇にゆるやかな女坂もあるのですが、ここはがんばりどころビックリマーク

 

 石段の横の杜のなかに、ふるい鳥居と小さな祠が見えます。

 

 石段上りの休憩がてら寄ってみましたが、境内社らしいということしかわかりませんでした。

 

 宝光社の社殿は、長い石段を上って辿りついたご褒美かと思うほどに美しい龍や鳳凰、象の木鼻などの精巧な彫刻で飾られていて、見上げるだけで疲れが吹き飛ぶ気がします。それもそのはず宝光社の社殿は五社のなかで最もふるく、1861(文久元)年に建てられたものだそうです。

 

 御祭神は天表春命(あめのうわはるのみこと)で、この後行く中社(ちゅうしゃ)の御祭神、天八意思兼命(あめのやごころおもいかねのみこと)の御子神さまです。五社のうち一番手前に位置し女性にも参拝しやすいことから、家内安全、安産、縁結びなど女性や子どもの守り神でもあるそうです。

 

 上からのぞくとまた違った趣が感じられる石段。

 

 戸隠神社“宝光社”の御朱印です。

 

 宝光社で御朱印帳を求めたら、通常書き置きでの授与のところ、ご住職が直接書いてくださいました。この勇ましくも風雅な龍神が銀糸で刺繍された御朱印帳に一目ぼれビックリマークラブラブ

 

 五社は麓から宝光社、火之御子社、中社、九頭龍社、奥社の順で並んでいるのですが、戸隠古道を歩くときの車の駐車の関係と、火之御子社には御朱印の授与所がないことを考えて、少しだけ順序を入れ替えて参拝します。無料の駐車場としては一番駐車台数の多い中社に車を停めて、中社正面の大鳥居前へ来ました。明神型の美しい姿の鳥居です。

 

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 大鳥居をくぐると目の前に、“三本杉”とよばれる樹齢800年を超える杉の大木が聳えています。木肌に触れるとほんのりと温かく、豊かな気を分けていただきます。

 

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 正面の手水舎。

 

 境内社の“日吉社(ひえしゃ)”。比叡山の日吉大社より勧請されたそうです。朱色の覆屋(おおいや)のなかに、小さいけれどさらに朱の濃い本殿が鎮座しています。

 

 大鳥居前のまっすぐ上る正面石段。

 

 ここにも左手にゆるやかな女坂がありますので、足元が不安な方でも上ることができます。

 

 さて中社には、なんと三対もの狛犬がいました。最初は大鳥居をくぐったすぐのところ、そして石段を上りきったところに二対並んでいます。

 

 狛犬の奥には樹齢700年を超える御神木。

 

 中社の社殿も均整のとれた美しい形をしています。御祭神は天八意思兼命(あめのやごころおもいかねのみこと)で、天岩戸伝説では岩戸に籠った天照大御神を誘い出すのに岩戸の前で宴(太々神楽)を開こうという策を思いついた神さまです。そこから知恵の神といわれ、あわせて“いろいろな思慮を兼ね備える”という意味のその御名からも学業成就、商売繁盛にご利益があるとされています。

 

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 拝殿内部の天井には狩野派の絵師河鍋暁斎(かわなべぎょうさい)の“龍の天井絵”があり中社の見どころのひとつなのですが、内部の写真撮影はできませんので外から鑑賞するのみです。見たところ、上の御朱印帳の図柄の龍のもとになった絵のようでした。

 

 社殿の右奥には注連縄の張られた“さざれ滝”。 

 

 大鳥居の右手に小さな石段があり、その上には赤い屋根の“諏訪社(すわしゃ)”と書かれたお社とその右の鳥居の奥には“天神社”、 

 

 さらに天神社の右手には“宣澄社(せんちょうしゃ)”という祠があり、この一画だけでひとつの御神域のような雰囲気です。中社の境内社と呼んでいいのか、また別のお社なのか、よくわからなくてすみません。

 

 天神社の裏手の杜のなかには石仏群もありました。

 

 戸隠神社“中社”の御朱印です。

 

 中社の参拝後、最初に訪れた宝光社からはじまる“神道(かんみち)”を辿って五社巡りをしたく、宝光社まで戻ります。中社から宝光社までは歩いて30分足らずです。ここが宝光社の社殿右奥にある神道の入口。

 

 “神道(かんみち)”は神さまのお通りになる道、という意味でしょうか。宝光社から奥社入口までは車でも行けるので、ここの神道ではほぼ誰ともすれ違うことなく、森閑とした雰囲気のなかをゆっくり歩いて次の“火之御子社(ひのみこしゃ)”を目指します。あまりの静けさに、途中の『熊出没注意』の看板もあながち脅しとも思えず、この区間は熊除けの鈴をしっかりと鳴らしながら歩きました。

 

 途中にある“伏拝所(ふしおがみしょ)”。その名のとおり、遠い奥社まで歩いて行けないひとや女人禁制で奥社を参拝できない女性たちのための遥拝所跡です。むかしはここから奥社が見えたそうですが、今は木々に遮られて望むことはできません。

 

 火之御子社への分かれ道。

 

 石垣に紛れて見落としてしまいそうな苔むした火之御子社の御手水。

 

 神道から境内に入ってしまったので、改めて鳥居から入りなおします。

 

 火之御子社の社殿です。御祭神は天岩戸の前で舞い踊り、八百万の神々からやんやの喝采を浴びた天宇受売女命(あめのうずめのみこと)で、芸能全般のほか、縁結びや火伏の神としての信仰も篤い神さまです。また天宇受売女命は天孫降臨の際、道案内に来た猿田毘古神(さるたひこのかみ)の怪異な風貌にもまったく動じることなく堂々と渡り合った男勝りの勇ましい女神さまでもありますね。

 

 境内には西行法師の逸話が伝わる“西行杉(さいぎょうすぎ)”に、

 

 社殿の横には結びの杉ともいわれる縁起のよい“夫婦杉”もあります。実物は写真で見るよりうんと風格を備えた立派な杉です。

 

 火之御子社には社務所がないので、御朱印は宝光社か中社でいただきます。

 

 ふたたび杜のなかの神道に戻り、中社を目指します。

 

 神道らしく道端の木陰には石仏が集まっていたり、

 

 鬱蒼とした杜を抜けると、のどかな田園風景もひろがります。暑いけれどとても清々しい道行きです。

 

 県道36号線に出ると、中社までの間には宿坊や土産物屋、食事処に酒屋などが並んでいます。そのうちのひとつの武井旅館の前には“親鸞聖人御旧跡”の石碑があり、親鸞聖人が戸隠を訪れたとき、ここにあった行勝院に百日間滞在なさったと記されています。

 

 中社の大鳥居前に戻ってきました。宝光社からはじまった“神道(かんみち)”は大鳥居前にある戸隠観光情報センターの横で終わります。

 

 中社の参拝は済んでいるので正面石段脇の女坂を上り、奥社と九頭龍社に向かう“奥社道”のほうへ行きます。

 

 中社には正面大鳥居のほかに奥社道へつづくほうにもう一つ、西鳥居と手水舎が別にありました。

 

 西鳥居前は中社の西参道入口駐車場(約20台)です。

 

 観光バスも停められるほど広いもうひとつの駐車場(約100台)を過ぎると、奥社参道入口までつづく“奥社道”に入ります。

 

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