ひとつ前の記事の入間西洋館を見学したとき、上棟の棟札の写真とともに、西洋館の建築に携わった設計者と宮大工の方々のお名前が紹介されていました。その設計者、室岡惣七(むろおかそうしち)氏の代表的な建築作品として“旧遠山家住宅”というのがあり、案内板によると国の重要文化財にも指定されているとのこと、住所の川島町(かわじままち)はそれほど遠くないし、せっかくのご縁なので早速訪ねてみることにしました。

 

 所在地は埼玉県比企郡(ひきぐん)川島町で、入間西洋館からは車で40分ほどの距離です。“旧遠山家住宅”と記されていたので一般的な住宅をイメージしていたのですが、途中ところどころに出ている道路標識には“遠山記念館”と書いてあるし、到着してみると観光バスも停められそうなひろびろとした駐車場に、門の前には大きなお濠まであってびっくり仰天ビックリマークどうも遠山家はふつうの“住宅”ではなく、相当大きなお邸のようです。

 

 遠目には住宅の屋根のように見えたのは正面入り口の長屋門(ながやもん)で、個人宅とは思えないような立派な門構えといい松の木の枝ぶりといい、失礼ながら埼玉の田舎の田園風景の真ん中に、こんなにも大きなお邸があるとは想像もしていなかったので、邸内に入る前からとても期待感が高まりますラブラブ音譜

 

 

 竹垣で覆われていますが、“長屋門”なので文字どおり門の脇には門番兼使用人の住居が付属しています。垣根のあいだから覗くとこのおうちだけでも我が家より広そうであせる、ご本宅の大きさが知れようというものです。

 

 長屋門からつづくアプローチも、もはや公共の庭園の入り口のような雰囲気ですラブラブ

 

 道なりに進んでも、美しく整えられた前栽でお邸の入り口すらまだ見えません。

 

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 右手にあらわれたのが敷地内に建つ美術館で、案内板によるとここが遠山記念館全体の受付も兼ねていて、入館料おとなひとり800円(※イオンカード提示で640円になります)を納めます。個人宅に別棟の美術館があるって・・・すごいっ合格

 

 美術館の前から表玄関の前庭を望みます。いただいたパンフレットを見ると、ここは前栽を中心にロータリーのようなつくりになっていて、左手奥が今入ってきた長屋門、手前にぐるりと回って右手が遠山家住宅の表玄関、その奥の築地塀(ついじべい)から先がお邸の庭園になっているようです。

 

 この日はご覧のとおりの曇り空でしたので、雨が降り出す前にお庭を拝見することにして、ひとまず表玄関を行き過ぎます。

 

 長屋門からつづく築地塀が切れたところに庭園入口があります。

 

 矢羽根模様の網代(あじろ)の扉や敷き詰められた踏み石など、細かい部分の意匠のひとつひとつがとても凝っていて、お邸の持ち主の深いこだわりが感じられる気がします。

 

 飛び石づたいに木立を抜けて視界が開けたところは広い芝生の庭で、そこには思わずあっと声が出るほど美しい入母屋づくりの二階建ての日本家屋がありました。

 

 申し遅れましたがこちらの遠山家住宅は、パンフレットによると日興証券(現在のSMBC日興証券)の創立者、遠山元一(とおやまげんいち)氏のお邸だそうです。

 

 もともとこの川島町の豪農だった遠山家は元一氏の幼少期に家が没落、兜町の丁稚奉公に出て一念発起、苦難の末に川島屋商店(日興証券の前身)を設立されたそうです。証券会社を興すまでに出世を遂げた元一氏は、その後手放していた生家を再興しようと土地を買い戻し、苦労をされたお母さま美以(みい)さんの住まいとするために、全国各地から選りすぐりの材料を取り寄せ、当時最高の建築技術の粋を集め2年7ヶ月の歳月を費やして、建坪約300坪にも及ぶこの豪邸を建てられたのだそうです。

 

 落成の1936(昭和11)年当時、一枚がこんなにも大きく透明度の高いガラス戸があったのだろうかと驚嘆するほどに美しい縁側で、今まで大切に守られてきたのが奇跡のように感じます。掃除にも維持管理にも相当な手間がかかるはずですが、磨き上げられたガラス戸は、やはりサッシの窓にはない日本家屋の情緒にあふれていますラブラブ

 

 畳廊下の端っこに置くにはもったいないような大きくて立派な一枚の沓脱石(くつぬぎいし)!! その向こうは渡り廊下のようです。

 

 お邸づたいに飛び石を渡りながら庭を歩くのですが、いったいどこまでつづいているのはてなマークと本気で思うくらい、つぎつぎと趣の違うお部屋があらわれます。ここは京風数寄屋造りの落ち着いた離れのような雰囲気です。

 

 建物だけではなく、目に入る一木一草まですべて計算し尽して配置されていて、もはやため息しか出てきません・・・ほんとうにここは京都ではなく埼玉の川島町ですかはてなマークと誰かに確かめたいくらいです照れ

 

 お邸を離れ、庭園の散策に出ます。

 

 お庭は典型的な回遊式庭園で、背の高い松の木を中心に、もみじや躑躅、梅、桜、さつきなどの木々がふんだんに植えられています。

 

 いずれも手入れの行き届いた樹木のあいだには大小さまざまな石燈籠や十三重塔が配されて、さながら大きな寺社仏閣の庭園のような風情です。

 

 庭園の一番奥には今はほとんど使われていないと思われる茶室が二棟ありました。垣根に遮られて見づらいのですが、ひとつの待合から双方の茶室に行けるようになっています。

 

 庭園を歩き回り、ちょうど一息入れたいところに休憩所。

 

 その前に赤い鳥居が見えるので行ってみると、案内板に“遠山稲荷”とあり、邸宅の建設に携わった大工や左官など大勢の職人の方々が、仕事を与えてくれた遠山元一氏に感謝して建てたもので、京都の伏見稲荷を勧請して祀られたのだそうです。

 

 小さいながらも銅板葺きの屋根に、ほんものに勝るとも劣らない本殿の細工は見事で、昭和の時代の職人さんたちの心意気を見る思いです。

 

 お庭に戻ります。

 

 邸内のこの川のせせらぎは、外のお濠に流れ下るそうです。

 

 まったく趣の違う邸が並ぶ様子も見られます。

 

 さて、邸内の見学はこの表玄関から入らせていただきます。パンフレットによると邸宅全体は建築様式の異なる三つの棟(東棟・中棟・西棟)から成り、それを畳廊下と渡り廊下でつなぐ形式になっています。重厚な千鳥破風(ちどりはふ)の茅葺屋根の表玄関は東棟にあり、ここは元一氏の生家であった豪農遠山家の再興を象徴しているそうです。

 

 総欅(そうけやき)造りの表玄関。天井は欅のなかでも最高級の“玉杢目(たまもくめ)”による格天井(ごうてんじょう)で、しかもその玉杢目や色味の具合が重複しないよう、絶妙なバランスで組み合わされています。

 

 玄関の式台を上がるとすぐに六畳の間があり、左右に八畳の控えの間がついています。

 

 向かって左手の控室は床の間つきで、雪見障子が美しいです。

 

 表玄関前の畳廊下。邸というよりお城みたいです。

 

 表玄関よりひろびろとした内玄関には、農家の土間とは呼べないような亀甲模様の石が敷き詰められ、太い梁にはランプの灯りがともっています。内玄関なので、家族や使用人はふだんはこちらを使っておられたのでしょうね。

 

 内玄関から上がった18畳もある居間。豪農だった実家を再現したもので、囲炉裏が切られ田舎の民家ふうに見えますが、縁(へり)なしの変形畳は遊び心にあふれ、網代(あじろ)天井や飾り障子など、実はとても贅沢なつくりなのがわかります。

 

 中棟へとつづく畳廊下は、質実剛健な東棟の畳廊下とはかなり印象が違います。

 

 畳廊下の途中の右手には洗面所と脱衣所、奥に浴室があります。

 

 明るくて清潔な浴室。なんと頭上の壁にはシャワーまでついていますビックリマーク

 

 浴室の隣には化粧室があり、お母さまの美以(みい)さんが使われていたそうです。鏡台に向かってお化粧をしながらちょっと手が汚れても、振り向けば水道があってとても便利ですね。肌に馴染む優しい色合いの壁と合わせて、配慮が行き届いています。

 

 畳廊下に沿って奥へとすすむと、

 

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 そこはこれ以上ないというほどに贅沢な書院造りの大広間でした。床柱は北山杉、天井は柾目(まさめ)の春日杉、微妙に紫色の入ったような特徴的な土壁が落ち着きを添えています。あビックリマークこれらの用材はもちろんわたしの知識ではなく、すべて床脇の地袋(じぶくろ)の上の説明書きに詳しく記されています。(読んでもわからないものがいっぱいありますが・・・あせる)

 

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 なかでもこの付け書院の欄間の透かし彫りビックリマークもう惚れ惚れと見入るほかはありません目

 

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 18畳の大広間に続く10畳の次の間には、3月~5月は間の襖を取り払い節句人形が飾られています。五月人形というと今では鎧兜のみがほとんどですが、加藤清正公や金太郎人形などが並ぶ本式の武者飾り一式を、久しぶりに見せていただくことができました。

 

 中棟大広間と次の間をぐるりと囲む畳廊下。賓客になったつもりで大広間の真ん中に座り、先ほど散策してきた美しい庭園を眺めるのもまた良きかな、ですラブラブ。中棟の二階部分には洋間の応接室などもあるそうですが通常は非公開とのこと、いつか特定日の公開のときにきっと訪れたいです。

 

 主に来客の接待に使われた中棟を過ぎると、お母さまの美以(みい)さんのために建てられた西棟へ行く渡り廊下があらわれます。屈折する廊下の床も欅です。

 

 その途中には見たこともないような立派な土蔵の扉があります。五月人形の幟旗(のぼりばた)にも同じ“丸に二引き”の紋がついていました。

 

 西棟に入り最初のお部屋は踏込のついた8.5畳の客間です。控えの間や水屋のある配置からみても、じゅうぶん茶室としても使える部屋だと思います。飾り気の少ない付け書院や、平らではない壁や天井の意匠など、随所に凝らされた工夫に目を見張ります。

 

 8.5畳の間の踏込から八角形の内窓を通して、次の7畳の茶室の軒内(のきうち)を眺めます。日本人の美的感覚ってほんとうにすばらしいですね照れ合格キラキラ

 

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 西棟の次の部屋は7畳の客間。畳に炉が切ってないので風炉釜(ふろがま)を置いて使うのだと思いますが、ここもおそらく茶室です。初めて見る濃淡の縞模様が浮き出た土壁は、用材の説明書きによると“墨差天王寺(すみさしてんのうじ)”とありますが何のことかわからず、帰宅後調べたところ、天王寺という土に墨を混ぜてつくる土壁の手法のひとつなのだそうです。まさに“侘び”ですね。

 

 7畳の茶室を出てさらに畳廊下をすすみます。もう幾曲がりしたのかわからなくなって、方向音痴のわたしは夫がいなければとっくのむかしに家の中で迷子ですっ!!

 

 上の7畳の茶室は床から一段高くなっていて、そのぐるりは畳廊下ではなく、黒い敷瓦(しきがわら)が貼られています。

 

 西棟最奥の美以さんの居間は12畳もあります。畳二畳の床の間がつき、贅を尽くしていながらも華美には走らず、女性の居室らしい優美さにあふれています。このお部屋の用材もきっとすべてが一流品なのでしょうね。

 

 美以さんの部屋から畳廊下のほうを望みます。土壁に埋められた欄間は桐の透かし彫りで、上品な菊の文様の襖とよく調和しています。

 

 美以さんの居室のすぐ横には仏間があります。須弥壇(しゅみだん)中央の扉には鳳凰の浮彫りが施され、周囲を金色の雲が取り囲んでいます。障子もさり気なく手の込んだ吹き寄せ障子です。

 

 西棟の玄関。沓脱石の下の三和土には、硯などにも使われる那智黒石(なちぐろいし)がびっしりと敷き詰められています。

 

 三棟すべてが落ち着いた色調でまとめられている遠山邸のなかで唯一目を惹くのが、はっとするほど美しい赤色の壁に彩られた西棟の仏間と玄関の間にあるお手洗いです。この壁は“紅差大津磨き(べにさしおおつみがき)”といい、土に弁柄(べんがら※)を混ぜて赤くしたものだそうですが、とても土壁とは思えないほどつやつやに輝いています。

※弁柄は“大地の赤”ともいわれる土から採れる酸化鉄で、江戸時代インドのベンガル地方産のものを輸入したところからそう呼ばれるのだそうです(Wikipediaより一部引用)

 

 7畳の間の前の廊下を通って中棟へ戻ります。

 

 戻りながら改めて見ても、趣のちがう三棟のあいだに違和感はなく、これがきっと住むひとも訪れたひとも飽きさせない、元一氏流の“おもてなし”なのかもしれないな~と思います。

 

 最後に美術館のなかを見学します。遠山元一氏のコレクションの数々を収蔵した美術館には国の重要文化財に指定されている貴重な品々もあるそうですが、指定の作品をのぞき館内の写真撮影OKですと言われて驚いていたら、実際に展示されているものは、ほとんどが精巧な模本や模品だからのようでした。きっと文化財級の品々は、さきほど見てきた巨大な土蔵に収められているのでしょうね。現在は、NHK大河ドラマでおなじみの『源頼朝の時代~平治物語と源平合戦』展が開催されています。

 

 お母さまの安住の地として建てられた遠山邸は、美以(みい)さんの没後は主に元一氏の迎賓館として使われていたそうですが、私邸でありながらも近代和風建築の粋を集めて建てられた邸の文化財的価値を守り伝えるために財団法人の認可を受けて、1970(昭和45)年より“遠山記念館”として一般公開されているのだそうです。

 

 わたしの拙い写真と文ではとてもこの遠山記念館のすばらしさをお伝えすることができないのが残念でなりません。下記のホームページでは邸内を体感できるバーチャルツアーも公開されていますが、やはり実際に足を運び、その場に身を置いてこそ見えるもの、感じるものがあると思います。埼玉の片田舎で少し交通の便が悪いところではありますが、どうぞ多くの皆さまに訪れてほしいと思う癒しの空間、それが遠山記念館です。


https://www.e-kinenkan.com/左矢印遠山記念館ホームページ

 

 

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