最近の情報番組は、オミクロン株による新規感染者急増のニュースばかりでいささかうんざりしています。昨年(2021)末一時的に感染者数が激減したときは、コロナに関して不自然なほど何の音沙汰もなくなったのに、年が明けて予想どおり増えはじめると、待ってましたとばかりに各社元気に報道する様子を見ていると、マスコミってほんとうはコロナ感染者が増えたほうがいいと思っているんじゃないかと勘繰りたくもなります。
昨年(2021)12月21日に生まれた次男のところの孫の初宮参りに、日枝(ひえ)神社水天宮(東京都清瀬市)へ行きました。ここは同じ敷地に水天宮と日枝神社のふたつが鎮座するという珍しいつくりなのですが、神社については『戌の日、帯祝い』(2021年7月26日付)の記事で紹介しています。
マスコミの扇動的な報道をよそにわたしたち国民はいたって冷静で、ほとんどのひとたちは皆落ち着いて、今じぶんにできる感染対策を継続しながら日常生活を営んでいるというのが実情だと思います。だって国が補償するのは飲食店だけなのですから、どんなにコロナが怖かろうと、移動するな、自粛しろと言われても、大多数の他職種のひとたちは必然的に仕事に行かなければ生活が成り立たないんですもの、仕方がないですよね。いわゆるエッセンシャルワーカーはもちろんのこと、リモートワークなどできない仕事や職場環境が整っていないケースが多々あるのに、そういうところには一切触れないことにも意図的なものを感じます。
帯祝いの御祈願は隣の水天宮で行い、初宮参りはこちらの日枝神社で行われます。コロナ禍の今は昇殿できるのはママと赤ちゃんと、柏手を打つためにもうひとりのみということで次男が付き添い、親子三人での御祈願になりました。外からそっと一枚だけ~
こういうときだからこそ業界を挙げて率先してリモートでやればいいと思うのに、テレビをつければ出演者のほとんどはマスクもつけずお顔丸出しで、飾り物のようなパーティションが置かれているだけ、バラエティ番組では皆が楽しそうにおしゃべりしたりゲームに興じたり、芸能人があちこちお出かけして飲み食いするグルメ・旅行番組なども多くて、それを見るたびに、マスクをつけずに家を一歩でも出ようものならすぐに白い目を向けられるわたしたち一般人との感覚のズレをおおいに感じます。最近芸能人の感染がしきりと報道されていますが、さもありなん、ですよね。
生まれてちょうど一ヶ月、すくすくと育ってくれてほんとうにありがたいです
ウイルスが生き残りをかけて今後も変異を繰り返すのは感染症の専門家でなくても予想できるし、新型コロナウイルスがインフルエンザ並みにコントロールできるようになるまでには相当の年数がかかるだろうということもわかります。じぶんや家族が絶対に感染しない、していないとも言い切れないし、罹ってしまったら重症化するかもしれないという怖れももちろんありますが、世の中怖いものはコロナだけではないのも事実です。焦点をコロナのみに合わせるのではなく、やはりわたしたちひとりひとりのかけがえのない人生を生きるために、リスクには備えつつも日常の楽しみを捨てることなく、全方位的な視点でバランスのとれた自身の暮らしをマネージメントしてゆきたいとこころから思うのです。
じぃじ、パパ、ボクの三世代、男三人で記念撮影~
どんどん追加されるまん延防止等重点措置も、もはやどことどこに、いつからいつまで出されているのかわからないようでは効果も半減、それよりも、わたしたちにはこの二年間の貴重な経験の積み重ねがあるのですから、それを信じて、それぞれの生活パターンに応じた対策を講じながら、今までどおりの暮らしを維持することのほうがよほど大切ではないかと思います。会社や学校のような大人数が集まるところでは共通認識や最低限のルールが必要ですが、そのなかでも他者への配慮や譲りあう気持ちは忘れたくないものです。
ばぁばもちょこっとだけ参加させてもらいました。それにしても孫ちゃんはず~~とぐっすり眠ったままで、一度もおめめを開けてはくれませんでしたとさ。
国民への3回目のワクチン接種も始まったばかり。後手後手感は否めませんが、手を変え品を変え襲いかかってくるウイルスとの闘いはその都度はじめてなのですから、失礼ながらあまり学習能力のない政府の面々のかじ取りには、期待をしないほうがよさそうです。当初は憤慨してあれこれ批判もしましたが最近ではそれにも疲れ(笑)、やはり基本はじぶんの身はじぶんで守る、じぶんの身に起こることの責任はじぶんで負うと心得ておくのが一番納得がいくことに気がつきました。そういう意味でも、マスコミ報道にはもう振り回されないぞと思っています。
yantaro