叱言(こごと)
“小言”じゃないの
と言われそうですが、わたしはどうしても叱言の方を使ってしまいます。
ふだんから、なるべく叱言は言わないようにしよう、と思っているのですが、ときにどうしても腹に据えかねることがあって、口からこぼれてしまうことがあります
。もちろん職場など外のひとに対してではなく、一緒に暮らす家族に対してです。
韓国・ソウル市内のとある写真スタジオにて(2016年12月)
昨日もそうでした。
子どもといってもすでに皆社会人で、そういう意味では大人ばかりの家族です。それぞれに仕事が忙しく、夫とわたしは生活パターンがほとんど固定していますが、子どもたちは帰宅時間
も定かではなく、だんだん家族全員が揃うことの方が珍しくなってきました。
叱言の内容は書くのも烏滸がましいようなごく些細なことで、実際内容が問題なのではなく、叱言は言われるのも嫌なものですが、言う方もかなり嫌なものだとつくづく思いました。我慢の限界を超えて口に出したのに、言ってすっきりするどころか、よけいにこころの中に澱(おり)が溜まったような気分です。
こんな素敵な窓辺の机でなら、きっといい文章が書けるはず~![]()
同上のスタジオにて。
家族は一番小さな『社会』だといいます。家族ではあっても、いえ一番近い家族だからこそ、言ってはいけないこと、逆に言うべきこと、お互いに守りたい最低限のルールがあると思います。子どもたちが小さいころは、親として正しいと思うことを教え導くために、叱言ではなく言い聞かせて躾(しつけ)をしてきましたが、いまや躾ではなく、対等の大人同士としてこれは言っておかなければならない、と思うからこそ意を決して叱言を言うわけです。
言われて嫌だろうな、と思いながら、でも言いかけた手前途中で止めるわけにもいかず、できることと言えばなるべく早く切り上げることだけ。『はい、じゃ以上
』とひときわ元気に言って終了を告げるわけですが、言ってよかったのかどうか、忸怩たる思いは残ります。
ところで、『躾』という字は美しい文字ですね。「身を美しく(保つ)」あるいは「美しい身のこなし」という意味からできた漢字でしょうか。わたしは『躾』という字を見ると必ず同時に『嗜(たしな)み』という字を連想します。『嗜み』には“好み”や“心得”という意味だけではなく、“慎(つつし)み”や“節度”という意味もあり、きちんとした躾を受けたひとに備わっているものとして、わたしの中ではつながっているようです。
ソファに寝転んで、好きな本を読む至福のひととき・・・。やめられないっ![]()
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“叱言”とはずいぶんかけ離れてしまいました![]()
えっ
昨日の叱言の内容ですか![]()
ほんとうにつまらないことなんです。晩御飯
の用意をして帰りを待っているのに、子どもたちが終電
近くになっても帰って来ない、連絡しなさい、とか、その日一番最後に入浴するひとがお風呂
のお湯を落として浴槽を洗う、とみんなで約束しているのに洗っていない、とか・・・。こうして書くとほんとうに何でこんなことで
と思うのですが、度重なると『もうっ![]()
』となるわけです。分かってもらえるかなぁ~
。
ちなみに“こごと”は辞書
では“叱言”ではなく“小言”で載っています。
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yantaro ![]()
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※この文の初出は韓国のNGO団体Gilstory(ギルストーリー)の掲示板で、2016年2月に投稿した文に一部追加・訂正したものです。


