お昼を食べたあと、ビンを連れてとなり駅にある神社までウォーキングしようと準備していたら



鶴岡の親戚から着信が…



私、その着信画面に、即座にハッとしました。
すぐに訃報だと察しました。
うちの亡くなった母のおじが昨日急逝したとの連絡でした。



おじさんは、年齢もすでに90歳を超えていて、2018年の8月に久しぶりに鶴岡の母の実家に帰省した時は、おじさんが入っている特養ホームに会いに行きました




おじさん夫婦には子供が出来なかったので(うちと一緒ね…)、おじさんが一番可愛がっていた姪っ子(うちの母)の子供である私のことは、本当の孫のように「めんこいのぉ、めんこいのぉ」と、会うとずっとそばにいて頭をナデナデしてくれるほど可愛がってくれてました。



10年以上ぶりに会った昨夏の再会時も、【私のことわかるかな?】と心配だった私の予想を覆し、「イップちゃんだがぁ?あれまぁ、イップちゃんだのぉ?」と、鼻に酸素チューブはめて苦しそうなのに、頭はハッキリとしていて、私が目の前にいることに驚いて喜んでくれて。



90歳を超えての逝去ですから「大往生、充分人生を謳歌したね、おじさん。天国にかわいい姪っ子であるうちの母が待ってるから寂しくないよ」という言葉を送りたいという気持ち半分、「さくらんぼの季節に会いに行く予定だったのに、なんで急いで行っちゃったんだよ泣」という気持ち半分です…



ビンは「ずっと長い間行かずにいた鶴岡に、思い切ってチケット取って行くことができたのも、きっとおじさんの仕業だね。説明が出来ない不思議なタイミングってあるよ。ほら、瀋陽のボクのおばさんも、ボクが四年半ぶりに瀋陽に帰った時に再会できて、イップも会わせることができて、二ヶ月後に天国に行っちゃった。日本に渡ってからずっと瀋陽に帰る気なかったのに、あの時はなぜか勢いで帰省する気になった。あれはおばさんに呼ばれたんだと思う」って




理屈じゃない、不思議なタイミングみたいなのがあるのかないのかは分からないけど…



人生、色々なことに追われて、一丁前に「忙しい」とか言いたくなっても、おごらず騒がず、まず家族に感謝して、一番大切なことを失わないように、タイミングを見逃さないように、目を見開いて、心を開いて、足元をじっくり見て、背伸びしないで身の丈で生きていきたいです




農作業だけでなく、仕事にも就いて、ひたすら精進して長生きしたおじさんに天国から呆れ果てられないように、、、