先日4月15日
バースセンターのすぐ近く
北九州市 若松区の乙丸にある
貴船神社でほら貝祭りがありました


毎年10時から開催されるお祭りに
参加したいと
思っているのですが
今年も参加できず
残念ですが・・・

私の大好きなパワースポットなので
その日の午後参拝してきました



八重桜が満開で綺麗でした・・・

神功皇后舟留の松があったところに
石碑がたっていますが

昭和の初期まで松があったとか・・・

舟を留めたということは
昔はこの神社の鳥居の前は海だったんでしょうね・・・

そしてこの松には・・・もうひとつ有名なお話があるんです

それは。。。200年前から続く
ほら貝祭りの主人公
六百歳生きた女が・・・
松の根元の祠に
不老不死のほら貝を奉納した場所・・・・

このお話はアニメにまっているんですね・・・

詳しく紹介しているサイトをみつけましたので
興味のある方はこちら・・・・

六百歳生きた女


クリックしてみてください

私はこのアニメをみていないので残念ですが

創作された部分は
源氏の怨念で・・・

原文は平家の
安徳天皇がでてきます
どうも・・・
この話には源平の合戦が
深く関わっているようですね・・・・

バースセンターのある
遠賀郡芦屋町 山鹿は・・・

壇ノ浦の源平の合戦で
最後まで平家とともに戦い
当時最強の水軍といわれていましたが・・・
500艇の水軍が全滅し
ひとりも帰ってこなかった・・・山鹿水軍の本拠地です

この話には
600年の歳月を超えて

山鹿水軍の生き残りの
子孫が
故郷の懐かしい話を600年伝承していた
という話かもしれませんね・・・

この貴船神社のある場所や
バースセンターの近くの美しい海の話を
帰れないからこそ
懐かしんで伝えたのかもしれません・・・

ほら貝は
ほら吹きというように
嘘っぽいニュアンスもあります

装飾もあったかもしれません

最近 大河ドラマで有名になっている
吉田松陰が尊敬する
山鹿素行も
山鹿水軍の子孫だと名乗っていたそうですが

山鹿素行で調べてみると


、山鹿素行は会津で生まれましたが、
その遠祖は九州山鹿党の旗頭・山鹿兵藤次秀遠。
この人は、三千人の家来と共に平家方の将として、
平家暦の寿永四年(一一八五年)、屋島・壇ノ浦で義経率いる源氏軍と戦いましたが、敗北を悟り、安徳天皇と清盛未亡人・時子(二位の尼)を擁して、
壇ノ浦から秘かに船団を組んで越後国三島郡片貝に落ち延び、
名を山賀と改名したと言います。

 実は、これは歴史の裏話で、表向きとしては、
八歳の幼帝・安徳は二位の尼(祖母)と共に壇ノ浦で入水して死亡。
山鹿党はその後、三重県伊賀の上野に落ち延びたとなっています。

 越後に着いた平家落人たちの多くが、
さらに福島県(会津地方)へと落ち延びて新天地を求めた事実がありますが、
会津生まれの素行の誕生系図を想うとき、山鹿党主が越後国へ落ち延びた説は信憑性があると思います。≫



表も裏も
凄いですね

裏話を信用すれば
この六百年の女は
安徳天皇がらみで
山鹿水軍が
奥州まで落ちのびたことを
伝えているように思えますし

表の話だと
伊賀の上野に逃げたとは
忍者の里じゃないですか・・・・・

どっちも凄いです

やはりこの
山鹿の土地には
何か秘められた凄いパワーを感じます

おかげで
バースセンターも驚異的なというより
神がかり的な
安産率と

これまた神がかり的な
大発展の仕組みを用意されているとしか

考えられないような日々を送っています


地域の守護神様に感謝です

ありがとうございますペコリーペコリーペコリーペコリーペコリー


齋藤でした