1995年3月20日に発生した地下鉄サリン事件から30年が経過しました。

世界初の化学兵器・サリンによる無差別テロであり、ハイジャック事件等々も含めるとこういった事例で「日本が世界初」となったことは残念ながら過去に複数ございます。

 

1995年3月20日当時テレビを所有していなかったため、ラジオのニュースで地下鉄サリン事件のことを知ったものですが、あれから30年が経過し情報収集のための技術もいくぶんかの発達を見せ、西側諸国の巷では「陰謀論」と呼ばれる領域にも個人レベルでちょっとばかり首をつっこむようになってしまっております。

 

そういった過程で感じるのは「西側諸国とりわけ英米西欧(プラス我が国日本)が声高に”正史”として喧伝してきた近代史」というものを、多方面かつ多角的に洗い直して「蓋然性が高い事象」を浮き彫りにして見出し、それをさらに深掘りして調べていかないといけないな、ということです。

(その過程で別の角度からの変な解釈にハマる可能性もあるので、その点は重々注意が必要なわけですが)

 

で、地下鉄サリン事件をめぐるあれこれにも当然さまざまな憶測や陰謀論が付いて回るわけですが、これとて「真実はこれだ!」「そうなんだ!」と丸呑みしてしまうのではなく、よく観察してあれこれ確認し、整合性を追求して考察・判断していかないといけないのだよなあ...とも考える次第です。

「言うは易く行うは難し」ですのでそのあたりのところは自分に言い聞かせないといけないわけでもありますけれども。

 

地下鉄サリン事件自体の被害者の中にはいまも苦しみの渦中にいらっしゃるかたも少なくないと思います。

当日犠牲になったかたがたも含め、被害を受けられた皆さまへの哀悼やお見舞いの気持ちを、改めて強くする所存でございます。