雑に遺体が積み上げられて放置され野ざらしにされてるならまだしも、一人一人の分にちゃんと墓標が立てられて手厚く埋葬されてるのを見ても、「ほら残虐でしょ」と誰かに言われればあっさり信じてしまう一定数の人がいるのを見ると、我々人間はいともたやすく刷り込みに誘導されてしまいやすい生き物なのだと思う。(自戒込めて)
一人一人別々にちゃんと埋めてそこに墓標を立てるには人員を複数割く必要があって時間もかかるし、敵に対してわざわざそのリソースを割り当てて時間と手間をかけて埋葬することは、真に残酷残虐な人間なら億劫がってやろうとはしないように思えるのだが。
遺体を埋めて証拠隠滅ならそもそも墓標など立てたりするはずもない。
(第二次世界大戦中のナチスドイツや日帝軍は大きな穴に大量の遺体を無造作にポンポン放り込んだり川にぽんぽん流したりしていた。残虐とはむしろそういうことを言うのではなかろうか)
見せられた事象を構成している条件を深掘りして読みこもうとする姿勢の重要さは普段から感じているが、日々その思いは強まるばかりである。
「自分の認知が何によって醸成されてきたものか」という自省を。今後も日々忘れないように努めたいと思う所存。