降伏文書に著名した日でもないのになぜか「終戦記念日」とされている日本の8月15日。

 

その当時(1945年8月15日)の報道を振り返って「実はあれは作為だった」という記事もあとあとになってから出ています。

 

そりゃまあ、プロパガンダというものは限られた特定陣営だけが実行する行動ではなく、どこの陣営がやっても、誰がやってもおかしくはないし、国家間なら「どこもやってる」のが実は当然なのでして......。

 

当然、日本も例外ではないわけであります。

 

気の毒なのはそのプロパガンダにかり出されたことが心の傷になっている人もいること。

上記の引用記事でも「知らずにポーズをとり、後で事情を知って心の傷になった」的なことが紹介されてます。

 

戦時中の公式報道映画『日本ニュース』もアーカイブスを確認していると、プロパガンダの香りが終始ぷんぷん漂っておりまして......(汗)

 

 

いつの世も、いかなる事態でも、「ある片方だけがプロパガンダを流していて、もう片方だったり残りの全方位がプロガンだを流していない、そういうことは原則ありえない」という前提を心に留め置いていることが大事なんだな、とさまざまなことに接すれば接するほど何度でも何度でも痛感する次第です。