明日2月4日は北京冬季五輪2022開会です。

オリンピックが開催都市・開催国にもたらす経済的ダメージとIOCによるその食いつぶしの規模を考えると、五輪の存在自体を根底から考え直す時期にすでに来ていると思うのですが、今般の北京冬季五輪2022は、我が国日本に直接経済的ダメージを与えるわけではないので「五輪の存在自体を再考して議論した方がいいですよ」という意見にとどまります。

(2030年に札幌に五輪を招致したいという案には初めて聞いた時から、わたくしとしてはとっくに大反対の構えですけれども)

 

で、昨夏の東京五輪2020+1からさして時間も経過していない状態での北京冬季五輪2022、開会式は昨夏のそれに負けることはないことが私としては予想されます。

と言いますのも、昨夏の東京五輪2020+1開会式が行なわれている最中、眠りこけていた我が家は、

起きてからも東京2020の開会式を見ることなく、「しょぼい」「いやすばらしい」というSNS上の反応を見ていたのがもっぱらの行動。

個人的に感じた傾向は、「日本国内外両方のいろんな情報を多言語で日頃からたくさん見聞きしている人が”しょぼい”と評し」「日本語で日本国内の情報ばかり見ているだけの人が”すばらしい”と評して」いる感じ。あくまでも個人的にそう感じた、という話で絶対にそうだという断言では決してありません。

 

とはいうものの、ちょっと調べれば東京五輪2020開会式でのドローンアトラクションはインテル社の、それも「パッケージ商品をアレンジしてもらってただけらしい」という...つまり日本の技術ではない、ということがわかるのですが、「さすが日本の技術」と言い出す人がかなり散見されておりました。

 

他にも、西アジア国家のイランを公共放送のアナウンサーが中継で「中東」と紹介してしまったり、Covid-19(新型コロナウイルス感染症)による一般無観客状態という事情があるとはいえ「テレビ放送の画面だけを意識してるようにしか見えないアトラクション」「ただの散漫なアトラクション」という見方ができなくもない内容だったらしい...という評価の数々。

「まあ、最初に誘致が決まった瞬間から微塵も賛成してないし、武術(Wushu)競技も採用されてないし、なんだか酷評らしいから、こっちでも見ておくか...」

と北京五輪2008開会式の動画を視聴しにアクセスしたら......

あまりにも何もかも違いすぎてお口あんぐり......になってしまいました。

 

コメント欄も「2021回来看的人(2021年にまた(これを)見に来た人)」的なことが書いてあって、「東京五輪2020+1の開会式の代わりに見に来た」と思しきコメントがごっそり書き込まれてました。(今の時期から遡ると5ヶ月前の時期のコメントがそれに相当します)

 

五輪関連に限らず各種事業の「中抜き」が再三問題になっていた日本の諸々...が、「世紀の大イベントである五輪開会式」という形で露呈してしまった感です。

当初の演出陣営が交替する(&させられる)ことなく、報道されている予算が適切な割合で投入されていればもっと豪華で日本の威信を高めるアトラクションが展開がなされていたと思うんですよね。

 

......とまあ、つい5ヶ月ほど前にそのようなことを思ったわけでありました。

 

さて、そんな記憶が私の脳裏にはまだ生々しいうちに、北京冬季五輪2022は開幕を迎えようとしております。

きっと、「やっぱり負けたか」とその開会式に思うのかもしれません.........。

こんな私の予測は当たるのか外れるのか。

 

当たる方にガリガリ君1本賭けときます。