周回遅れ気味というか何というかそういう状態で、SHT(スーパーヒーロータイム)の録画を消化してまして、『動物戦隊ジュウオウジャー』第5話「ジャングルの王者」を一週遅れですが一昨日視聴。

で、昨日くらいからしみじみこみあげてきたのは、ジューマン世界から人間研究のフィールドワークのために人間界にやって来て、人間に撃たれた経験があるゴリラ態ジューマンのラリーさんについて。

第1話でジュウオウイーグル=風切大和が叫んだ「人間だって、動物だー!」から始まって、心に残るセリフが続々出てくるのが今期の脚本のクオリティの高さだな…と思うわけですが……

人間が(ある意味自分勝手に)作り上げた街の中でも、犬や猫・時には牛やヤギ、街によっては豚やロバがゆるく共存してる環境を持つインドに住んでいる身からすれば、「人間だって、動物だー!」は「当たり前じゃないですかそんなの。人間だって所詮動物の一種でしかないわけで」と思うわけですが、日本はすっかりそういう感覚を失ってしまったのではなかろうか?と何ともやるせない気持ちになってしまうのですね。
個人的には「人間だって、動物だ」は日本に住んでいたときから思っていた持論ではあるのですが、日本の生活においてはそれは実に観念的なものであり、実感として強くそれを感じることができるようになったのは、インドに住み始めてからだなぁ、と身にしみて思うようになりました。

そういう生活に身を起き始めてから五年目にさしかかった目で観る『ジュウオウジャー』という作品は、日本という国とそこに住む「主に日本人というくくりに入る住人たち」の、「自然環境とこの地球に対する過剰なまでの万能感と自信過剰」を奇しくも浮き彫りにしているように思えます。
極めて当たり前すぎる「人間だって、動物だ」をあえて叫ばなければいけない、人間世界と動物世界の乖離、過剰なまでの野生動植物排除気味の生活………

そういったものが、「動物が大好きで動物学者になった風切大和」と「人類が存在しない、違う進化形態を持つ世界の住人ジューマン」をメインキャラクターに据えてチームビルディングすることにより、視聴者の目の前に展開されていくことになっている気がします。

で。

前出のゴリラ態ジューマン・ラリーさんは、「人間に興味を持ち、人間学者となり、人間のことを学びたくてフィールドワークにわざわざやって来た」キャラクター。
人間と仲良くなりたくて、人間達の前に姿を見せるのですが、即座に驚き恐れおののき逃げ出す人間達。
逃げるだけならまだしも、ラリーさんの姿を見るなり、銃を構えていきなり発砲する警官。

そりゃ見た目は違うし最初は驚くし、怖いだろうけど………

いきなり撃つなんてあんまりじゃん!(涙)

と眼から汗が流れそうになり、ラリーさんは撃たれて怪我までする経験を………。

スーツアクター日下秀昭さんと、声をあてている石塚運昇さんの演技もあいまって、ラリーさんの悲しみと「好きな人間を嫌いになってしまったつらさ」が伝わってきます。

この回を見終わって、時間が少し経って、ふと私の脳裏に浮かんだのは、
「インドだったら、いきなり撃たれないで済んだかもしれないのに」
でした。
安全のためそりゃ逃げるだろうけど、姿を見た瞬間に即発砲!まではいかないんじゃないか、と。
野生動物保護法があるせいもあってか、SNS上でも「人間だけが偉いと考えるのは人間の傲慢だ。我々人間だって動物の一種なんだぞ」「動物のほうがよっぽどヒューマニティがあるじゃないか」という内容をインド人が書かれたコメントには多数見ることができます。
そこから考えると………もしラリーさんが下り立ったのが日本じゃなくてインドや他の国だったら展開が変わっていたかもしれないなぁ……なんですよね。
ラリーさん、行き先が日本だったから自分のことを理解してもらう余地もなく即座に撃たれちゃったんじゃないかしら………そんな気がして仕方ない………
そんな風に感じました。

考えすぎかもしれませんけど、ね。



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