誰かを「赦す」という行為は、

仮にその相手のそのものを赦せなくとも、相手の改善や改心を「認める」または「受け入れる」ことは、

赦す相手のためというよりは、むしろ自分のために大切なことなのだなぁ。

と、最近起こっていた事象から、そんな風に改めて感じ学び直す今日この頃。
なのであります。


(一例:ドラマ『ケータイ捜査官7』をじっくり通して視聴して噛みしめると、その意味が理解できたりするかも)