「第12回カルナータカ州武術選手権大会」観戦のためにバガルコットに滞在していた間のできごと。
あてがわれた宿泊所から試合会場までヒゲ氏と二人で徒歩移動していたら、地元民とおぼしき子供達が数人あまり我々二人にワラワラとついて来て、笑顔で「Which country?America?America?(どこのひと?アメリカ?アメリカ?)」と口々に叫びます。
「この顔見てどうしてアメリカが出てくる?思いっきりモンゴロイドの顔してるじゃん私達」
とヒゲ氏と苦笑いしたのですが、ちょっと考えてみれば実はこれは無理もない反応なのですね。
日本や香港やシンガポールのように「領土内のすみずみまで情報が行き渡り、国民の基礎教養レベルに差異が少ない国・地域」というのは、実は世界ではとても少数派のはずだからです。
先進国の筆頭と認識される超大国アメリカですら、ちょっと都市を離れると「日本?それはどこにあるんだい?(悪気マイナス100%)」と純粋な好奇心をともなった笑顔で質問されるのが珍しくない、と何回か聞いたことがあります。
中国だって田舎に行けば、「リーベン(日本)?リーベンってどこだ? (漢字で「日本」と書いてあげる) ああ!ズーベンか!!で、ズーベンってどこだ?!(普通に仲良くなろうとして訊いてくる)」ですし、当然インドは何をかいわんや、です。
(中国でのこの「ズーベン」ネタについては、星野博美さん著『謝謝!チャイニーズ』をお読みください。
詳しくはここをクリック! )
すべての公式メディアが日本語だけで記述される日本と違い、インドの大半の地域では基本的には英語・ヒンディー語・現地語の中から最低2言語でのメディア展開があります。マンガロールの場合は、英語とカンナダ語の新聞が並び、ヒンディー語新聞は基本的に見かけません。
また、単に言語が違うだけでなく「英語を話せない=教育教養が低い傾向にある」ことも残念ながら否定できない一面があるため、「新聞を読んでる」という行為ひとつ取ってみても、「詳細な国際ニュースがほとんど乗らない超ローカル現地語新聞」と「インド各州版が展開されている英文新聞」という具合に読む新聞が違うと、各位が得られる情報というのは相当大きく違ってくるわけです。
バガルコットは、人口こそマンガロールと大きくは違いませんが、街並みや地元住民の教養レベルはまさに「インドローカル」と言ってもさしつかえないでしょう。
つまり、中国などの田舎と同じで「自国しか知らない。現実的体験だけでなく、知識・情報・教養としても」だと、ヒゲ氏と私は認識しています。
そういう状況下においては、「外国=アメリカ」と短絡的にしか連想できなくても仕方ないのです。
だって、私が小学校低学年生だった時分の日本も「外国といえばアメリカ!しか基本的に連想しない」でしたもの。
(^^;;
我々もたどってきた道なので、「あ、たどる道は一緒なのねw」と思うだけなのでありまする。
でもね、子供達よ。
残念ながら我々はアメリカ人ではないのだよ。
すまないのう……君たちの期待に応えて「そう、アメリカ人なんだよ!」と言ってやれなくて(意味不明)。
あてがわれた宿泊所から試合会場までヒゲ氏と二人で徒歩移動していたら、地元民とおぼしき子供達が数人あまり我々二人にワラワラとついて来て、笑顔で「Which country?America?America?(どこのひと?アメリカ?アメリカ?)」と口々に叫びます。
「この顔見てどうしてアメリカが出てくる?思いっきりモンゴロイドの顔してるじゃん私達」
とヒゲ氏と苦笑いしたのですが、ちょっと考えてみれば実はこれは無理もない反応なのですね。
日本や香港やシンガポールのように「領土内のすみずみまで情報が行き渡り、国民の基礎教養レベルに差異が少ない国・地域」というのは、実は世界ではとても少数派のはずだからです。
先進国の筆頭と認識される超大国アメリカですら、ちょっと都市を離れると「日本?それはどこにあるんだい?(悪気マイナス100%)」と純粋な好奇心をともなった笑顔で質問されるのが珍しくない、と何回か聞いたことがあります。
中国だって田舎に行けば、「リーベン(日本)?リーベンってどこだ? (漢字で「日本」と書いてあげる) ああ!ズーベンか!!で、ズーベンってどこだ?!(普通に仲良くなろうとして訊いてくる)」ですし、当然インドは何をかいわんや、です。
(中国でのこの「ズーベン」ネタについては、星野博美さん著『謝謝!チャイニーズ』をお読みください。
詳しくはここをクリック! )
すべての公式メディアが日本語だけで記述される日本と違い、インドの大半の地域では基本的には英語・ヒンディー語・現地語の中から最低2言語でのメディア展開があります。マンガロールの場合は、英語とカンナダ語の新聞が並び、ヒンディー語新聞は基本的に見かけません。
また、単に言語が違うだけでなく「英語を話せない=教育教養が低い傾向にある」ことも残念ながら否定できない一面があるため、「新聞を読んでる」という行為ひとつ取ってみても、「詳細な国際ニュースがほとんど乗らない超ローカル現地語新聞」と「インド各州版が展開されている英文新聞」という具合に読む新聞が違うと、各位が得られる情報というのは相当大きく違ってくるわけです。
バガルコットは、人口こそマンガロールと大きくは違いませんが、街並みや地元住民の教養レベルはまさに「インドローカル」と言ってもさしつかえないでしょう。
つまり、中国などの田舎と同じで「自国しか知らない。現実的体験だけでなく、知識・情報・教養としても」だと、ヒゲ氏と私は認識しています。
そういう状況下においては、「外国=アメリカ」と短絡的にしか連想できなくても仕方ないのです。
だって、私が小学校低学年生だった時分の日本も「外国といえばアメリカ!しか基本的に連想しない」でしたもの。
(^^;;
我々もたどってきた道なので、「あ、たどる道は一緒なのねw」と思うだけなのでありまする。
でもね、子供達よ。
残念ながら我々はアメリカ人ではないのだよ。
すまないのう……君たちの期待に応えて「そう、アメリカ人なんだよ!」と言ってやれなくて(意味不明)。