『2011/12/31(土) 目指しているものは「社会」』本文中の後半部パラグラフで「2011年終わりまでの時点ではこの「社会を造り上げるのだ」という面で意志というか意見がしっかり合致した人にはめぐり合えてない気がします」という感想に至った私ですが、2012年の一年間を振り返ってもやはりめぐり合えなかった気はします。
「コミュニティ」という言葉や発言はいくつか目耳にした記憶はありますが、「社会=ソサエティ」は目耳にしてないように記憶してますし、私自身が「社会=ソサエティ」に言及しても伝わった手ごたえを感じられないままだったのですね。
単に「伝わった手ごたえがない」と私がひとり勝手に感じてるだけかもしれず、その可能性は否定できないこともいちおう考えてはおりますが、個人的に感じたこと限定でいえば「手ごたえが感じられなかった」としかコメントできないのでありまする。
たった1人や2人だけの力で「ある一定数以上の人が暮らすソサエティ」など構築できるはずもないのに、普段行政サービスを当たり前に受けてることに疑問を持たずに暮らしてくるとそうなってしまうのだろうか???ハテサテ???と個人的には思うわけであります。
果たして今後そういう人は出てくるのでありましょうか?
それは神という存在がいるのならば、「神のみぞ知る」というところかもしれませんです、ハイ。
「コミュニティ」という言葉や発言はいくつか目耳にした記憶はありますが、「社会=ソサエティ」は目耳にしてないように記憶してますし、私自身が「社会=ソサエティ」に言及しても伝わった手ごたえを感じられないままだったのですね。
単に「伝わった手ごたえがない」と私がひとり勝手に感じてるだけかもしれず、その可能性は否定できないこともいちおう考えてはおりますが、個人的に感じたこと限定でいえば「手ごたえが感じられなかった」としかコメントできないのでありまする。
たった1人や2人だけの力で「ある一定数以上の人が暮らすソサエティ」など構築できるはずもないのに、普段行政サービスを当たり前に受けてることに疑問を持たずに暮らしてくるとそうなってしまうのだろうか???ハテサテ???と個人的には思うわけであります。
果たして今後そういう人は出てくるのでありましょうか?
それは神という存在がいるのならば、「神のみぞ知る」というところかもしれませんです、ハイ。