結局、この作品の中での“天竺”のポジションは何だったのだろうか?という微妙な疑問らしきものも残りますが......
でも、悟空のセリフにはやはり泣かされてしまいました。
自らの死と引き換えにお経を手に入れるべく修行に身を投じている三蔵に向かって、三蔵を失った後の自分たちの心も考えて欲しいと、必死に訴え続ける悟空。その場面のセリフで、泣かされました。

「お師匠さん、オレは500年待ったんだ。あんたが生まれてくる前から...」

「あんたのことを思い出すたびに、心がバラバラになる奴がいる」

大切に想う人に、先に死なれてしまうことのつらさ。

それがこのセリフで描かれようとしていたのでしょうか。

「500年待った」の部分でなぜかセカチュー(『世界の中心で愛を叫ぶ』)の「私はサクが生まれるのをこの世で待っていたのよ」というセリフを思い出してしまったのですが←何故?、相手が生まれる前からそのめぐり合いを待ち続け、やっとめぐり合ったと思ったらその相手に先に死なれてしまう。もしもそうだとしたら、それはどれほどつらい事だろう。
そう思わずにいられませんでした。
この場面での悟空の悲しさは、それだったのでしょうね。

そう思うと。

先に生まれたすべての者の運命は、後に生まれてくる者とのめぐり合いを待ち続けるものなのかもしれない。

そう痛感せずにはいられませんでした。

ストーリーの展開とか何とかはさておいて、心を揺さぶられ涙腺を刺激されまくったドラマではあったのが、今クールの『西遊記』という作品であったようですね。


ところで。

マチャアキ(堺正章)はいったいどこで出るんだ~~~???とずっと思いながら観ていたら、最後の最後に出てきましたね。
しかも。
「お釈迦様」

.........えっ?!
釈迦如来ですか?!?!?!


そういう展開なん?????

だったら。

あの“天竺”はいったい何なん?????
(で、この日記の冒頭に続く........ってエンドレスかい!)