『2011/06/21(月) こうなってからでは......』でも触れてますが、チェルノブイリ原発事故のその後に関しては、実にさまざまな国のジャーナリズムが大きな組織であるか否かを問わず、渾身の取材を続けていたのだなぁ、ということが、調べれば調べるほどよくわかってきます。

1986年4月26日の事故から12年が経過した時にも取材がおこなわれていました。
これは1998年、JCO東海村臨界事故の1年前になりますね。











「福島はチェルノブイリとは違うから大丈夫だよ」という意見も事故発生当初から多数見聞きしましたが、「チェルノブイリでは事故の過小評価が人々の健康被害を拡大させた」という事実が気になります。
日本政府の「ただちに健康に影響はありません」が、チェルノブイリと同じような過ちを繰り返しているのではないかと気になるのです。

日本で過去に起こった多数の公害病や薬害などに共通する「大丈夫大丈夫→(何年または何十年も経って病人だらけになってから初めて)ごめんごめんやっぱり有害だったんだわ」と同じパターンなのではないか、と。
福島第一原発事故に関しても、政府や行政の対応にどうしてもそういう「悪しき共通点」がはっきり読み取れるので、少なくとも油断だけはしてはいけないだろう、とどうしても思うのです。

なにしろ、チェルノブイリ原発4号炉と、福島第一の1~4号炉とでは、炉の中にあった合計の燃料量は福一の方が圧倒的に多く、福一は3か月以上経っても石棺化のめどが経っていないわけですから......。

どうやったら起こるであろう予測を回避できるか、少しでも回避すべく対処していくためには現実に背を向けてしまうと対処方法が見えなくなってしまうと、個人的にはどうしても思うので......。



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