『2011/06/11(土) 611脱原発アクション神奈川 <2>』に続き、新宿アルタ前での集合に向かいました。

首都圏で午後のデモ参加者のうち可能な人は集まって欲しいとの告知がネット上では流れており、行けそうだから行ってみよう、と思ったわけでして。

新宿駅に到着し、地下を経由してアルタに近い出口へ向かうと、警官により封鎖されてます。
違う出口へとまわり、何とか地上へ出てアルタ前広場が見えるところへとたどり着くと、警備の警官数も広場の中の人もかなりの数が。
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警備のものものしさが、「日本の市民活動に対する圧力の強さ=実際には民主主義が尊重されていない」ことを感じさせます。
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今まで無関心を装い続けてきたツケが事故に繋がったことの一端であることへの反省と、自分達の手に市政を取り戻さなければ、という思いが爆発しているような状態に見えました。
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アルタ側から回り込んで広場内に入ると、シュプレヒコールの嵐。
ここで女優の松田美由紀さんが様子を見にいらしたので、「Twitterでツイート読んでます」とご挨拶させていただきました。
彼女も思うところをいろいろとつぶやいていたのを、よく拝見していたからです。
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無関心を装っていた自分自身を顧みて声を上げること、自分にできることを、と動き出している人が増えているのは市民社会としては悪いことではないものの、気になったのは参加してシュプレヒコールで「ああスッキリしたー!」と鬱憤が晴れただけで終わっている若者がいたこと。
たまたまそういうセリフを聞いてしまったとはいえ、ただ反発してシュプレヒコールを上げるだけでは効果的な行動につながらないかも、という考えさせられることもありました。
(無関心を貫くのが一番まずいとはやはり思いますが)
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事故発生から3か月。
メルトダウンを政府が認めてから1か月が経過しようとしているにも関わらず、まるで「311以前に戻ったよ」と言わんばかりに日常が続く周囲。

事故発生直後から「もしかしてメルトダウンしているのではないですか?」と会見で疑問を投げかけたフリージャーナリストがトンデモ呼ばわりされ続け(結局その推測が当たっていた)、メルトダウンの可能性を示唆しただけで更迭された原子力保安院関係者がいたり(結局実際メルトダウンしていた)、という具合に政府発表がことごとく「(私は予測ついてたけどやっぱり)間違ってたやん!」ということが3か月ずっと続いているので、「情報を一度に出す量と出し方の工夫で、こんな風に大衆は影響されていくのだな」という実際の光景を再三見せてもらっている、という状態です。
私は普段から、断層的に記憶を積み重ね続けていくタイプなので、その「情報の出し方の恣意性」にいつも「あれ?これ前は違うこと言ってたよね」と気が付きやすいのですが、よほど「何でも覚えていたい」とか「どんな事にも探究心を持って」いないと気が付くのは案外難しいだろうなぁ、と完全平常平和モードの周囲を見ていて痛感します。

放射能そのものよりも、その「気が付かない」ことの方が恐ろしくて仕方ありません。



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