※参考:『2011/05/23(月) 映画『ヒバクシャ 世界の終わりに』 <前篇>』
http://ameblo.jp/dawuyan/entry-11012783889.html

<前篇より承前>

場面は、イラクから2002年10月のアメリカ・ワシントン州へと移ります。

広島・長崎で使われた原子爆弾とイラクで使われた劣化ウラン弾は共にアメリカで作られました。

ワシントン州には、広島・長崎で使われた原子爆弾が作られたマンハッタン計画が進められていたハンフォード核施設があります。

肥田舜太郎先生は、ハンフォードの風下で農業を営むトム・ベイリー氏を訪ねます。
トムはハンフォードの風下に広がる広大な農業地帯の開拓一家に生まれました。
自分たちがハンフォードから出された放射能に汚染されていたことをトムが知ったのは1984年。
被曝の事実を知ってトムの人生は大きく変わりました。

トムは地域の人々を代表してアメリカ政府に被曝被害の賠償を求め戦っています。

1984年にアメリカ政府がハンフォードに関する何万ページもの機密書類を公開したことにより、マンハッタン計画で原爆を作り始めたときから何十年にもわたり放射性物質を環境に放出してきたことが明らかになりました。
その中には放射性ヨウ素131が実験的に気象観測用の風船をつかってばらまかれたという記録もありました。

アメリカ政府は被曝被害者への補償よりも、911の後始末や対イラク戦、アフガニスタン、フィリピン内戦など米国が仕掛ける戦争のほうが大事だとトムは語るのです。

トムの母親・ローラはかつてマンハッタン計画に基づく原爆製造の総指揮をしていたオッペンハイマーのタイピストをしていました。
肥田先生はローラに聞き込み調査をしていきます。

肥田先生は、オッペンハイマーが「原爆を作るときに、爆弾にするよりも放射能を畑の上に撒いてたくさんの人にそれを食べさせた方が効果があるという話をしていた」という雑談が雑誌に掲載されていたことから、「そういう形でラディエーション(放射能)が人を殺すということを(オッペンハイマーは)どうも知っていたように思うんだけど」とローラに確認します。

ローラは「私も同感。絶対に知っていたはず」と答えます。

拡散実験によりハンフォードから農場に飛んできた放射性ヨウ素131が人体に侵入したとローラは語ります。
トムが生まれる前、ローラの最初の子供は流産。
牛乳中の放射性ヨウ素131を摂取した夫はその後、骨ガンで他界。骨組織にはダルメシアンドッグのような白黒反転模様が出ており、骨の至るところに黒い斑点が出ていたそうです。


肥田先生と鎌仲監督は、トムが「デス・マイル(死の1マイル)」と呼ぶ、ハンフォード風下農場を車で案内してくれました。
1マイル内に住む彼の友人の病歴が、車を運転しながら説明されます。

トムの母はガンを患い、父はガンで逝き、妹2人はガンと闘い続けてかれこれ10年が経過。
彼自身は幼い頃に体が麻痺し、皮膚のガン切除も経験。家族全員がアレルギー体質で、よく鼻血も出しており、それに虚弱体質だったとのこと。5歳のときに歯が朽ちて抜け落ちたこともあったそうです。

友人達の病歴説明は、当人達への配慮から車を止めず走らせながら「そこの家で何が起きたかという病歴をガンと甲状腺障害と子供の障害に関して」されました。

リー夫妻。
リー氏はガンで他界。夫人はガンと闘病。息子が4人、1人はガンで死亡。

バース家。
バース夫人は奇形児を出産後、赤ん坊を風呂で溺死させ自分も手首を切り自殺。

ホームズ夫人は骨ガンの進行が早く罹患から長く持たなかった。
娘2人は今も甲状腺の治療中。
ホームズ家は去ってしまい誰ひとりハンフォードには残っていませんでした。

バローズ夫妻。
夫人がガンで38歳の若さで他界。娘も全員が甲状腺機能障害。

娘が一人いたが先天性の上肢片欠損という家庭も。

独身の兄弟。
兄弟がガンで死んだ後、その農場を買った男性がいたが家族と移住してきた3年後にやはりガンで死亡。その妻はハンフォード勤務だった。



延々と続くトムの説明。
およそ1マイル四方に住む28家族のほとんどすべての家の女性に甲状腺障害があり一家に何人もガン患者が発生したと言います。
また、主婦で流産を経験していないものは1人としていませんでした。


一軒だけ話をすることに同意してくれたワインバーガー家を一同は訪ねます。
同家のマーシャが産んだ子には生まれつき眼球がなかったそうです。
ワインバーガー家のリンダとルイーズに会い、取材をする肥田先生。

リンダは長い間腎臓をわずらった後、5年前に腎臓を摘出。
10歳下の末の弟は2歳のとき、目や鼻から突然出血。放射性物質の拡散実験をしていた気球をながめていた時だったようです。

リンダの母ルイーズも「免疫力のない子供の方が影響を受けやすいようだった。ここの学校の女子生徒は皆、婦人科の手術を受けた。症状は人それぞれだった。中には死んでいった子も」と語ります。
肥田先生の広島での経験も同様でした。子供ほど放射線の被害がひどくやられて、小さい子供は皆死んだと先生も話します。


肥田先生の思い。
「せまい体験だけど、自分の身体がどんな風になって、戦争が終わったあとね、働きたくても身体でこんなで働けないと、結局おちこぼれて死んでいくという、そういう人生を経験すると、こういうことはね、どこの国の人にも味あわせたくないという、みんな気持ちになるんだと。だから一生懸命話すと」

ルイーズも同意します。
「このまま生きていくだけ。でも後に続く世代には同じ思いをさせたくない」
と。


<さらに続く>



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