昨日は本当に暑かったですねぇ・・・。
子どもたちも真っ黒になってやってきました。
日焼け止めを使っている子が多いと思いますが。
いやはや,近鉄特急は座席ごとにエアコンの吹き出し口があるので,こういう時は助かります。
夜はだいぶ涼しく,助かりました。
普段より一時間ほど早く家路につきました。
自宅の書斎は何か物事を考えるにはいい場所です。
アウトプットをすることが多いかな。
インプットは通勤中に。
最近,将来のことを考えます。
色々な本を読みながらです。
ずっとその日その日のことで精一杯で,たまの人形劇の活動日が気分転換。
そんな日が五年ほど続きました。
赤字を垂れ流すこと五年,昨年の夏頃には,予備校講師をしていた頃の貯蓄が底をつきかけていました。
家のものも心配するわけです。
「塾なんぞやめて,どこか会社に入れ」など言います。
・・・申し訳ないけれど,サラリーマンをしている自分が想像できないのです。
なったらなったでいいこともあるかもしれませんし,辛いことばかりかもしれませんが。
家族の反対を押し切って意地で塾の経営を続け,昨年に大きなリニューアルを行い,それで赤字が解消して間もなく一年。
なんとか軌道に乗ってきたところであります。
いまは本当に生徒指導に全力を注ぎ込めるいい環境です。
毎日遅い時間まで授業をすることが多いですが,それはそれでいいのです。
私の授業を聞きにきてくれる生徒がいて,私と話をしたいと思ってくれる生徒がいるわけで。
それで贅沢を言っていたらバチが当たるというもんです。
それでもねぇ・・・いつまでもこのままではいられないなぁ・・・。
先述の通り,今の塾に何の不満もありませんが,居心地がいいと感じているとついつい執着してしまいそうでね・・・。
それではもしもの時に対応できなくなってしまいます。
何かの事情で塾を続けられなくなりそうになったら・・・。
最悪の事態が起きた場合を想定して,その時に自分がどう動くのか考えています。
自分の軸が折れそうになることもあるかもしれません。
でも!何が起きても,自分の軸は守らないと。
人生,やりたいことだけをして生きていくことは難しいです。
というか,かなりしんどい思いをすることもあります。
どうしてこんなことをしなければいけないのか,と思ったことは一度や二度ではありません。
あるときは「できること」を選んでやらないといけないこともあります。
未来のことを考える前に、昔の自分の姿を思い出そうと思います。
十年前の私は代ゼミで講師をしていました。
今や名鉄インの裏側でひっそりやっている予備校になってしまいましたが,昔は交差点の角に建つ地上7階建ての学びの殿堂でした。
いまもかつての同僚の先生方が今も頑張っておられます。
他の予備校の先生方に決して引けを取らないどころか,それはそれは優秀な先生方がいっぱい。
出講開始から二年ほどは,あの講師室に入るとお腹が痛くなったものです。
校長室みたいな雰囲気が・・・ちょっと・・・。
昔言っていたような街塾の講師室なんて,事務所の隅っこに申し訳程度に作ったような小さなテーブルとパイプ椅子が並んでいるだけ。
あるいは学校の教室にあるような机と椅子が並んでいるだけ。
それがいきなり立派な肘掛け椅子が並んでいる「講師室」という両開きのドアがあるような部屋に通されて,しかもそこに自分が座る席があるという。
あ,すみっこにはソファまである!そこにも座っていいんだって!!
なぜか部屋の中にさらに「応接室」・・・覗いて見たら,そこにもソファと仕事用のデスクとチェアが。
原稿の締め切りに追われている先生が缶詰になるためのお部屋でもあり,講師が教務の偉い方からお叱りを受ける場でもあります。
高校生の指導経験がそこそこあったし,化学をずっと学んできたとはいえ,街塾しか経験していなかった私。
ここでどう振る舞えばいいのだろう。
そういえば他の先生の鞄・・・みんな高そう・・・。
スーツを着ている先生がいると思えば,20万円はするような高級のなスーツで。
皆さんがとんでもなくお金持ちに見えてきて・・・。
これまで塾で出会ってきた人たちとは全く異質。
ここにいてもいいのだろうか・・・場違いなのではあるまいか。
見かけだおしのハッタリ先生ならもしかして・・・という甘い期待もしていた頃がありました。
でも当然それは甘いわけで,そんな人は私が代ゼミにデビューした頃には淘汰されていました。
金無垢のロレックスとか,ポルシェとか,とんでもないものを買えるほど稼いでいるということは,それだけ生徒からの支持を集めていて,能力もあり,色々なテキストを書いたり,全国津々浦々の校舎を廻られたりしているわけで。
見た目だけではなく,実力も折り紙付き。
もちろん,多くの生徒たちから支持を集めているわけです。
代ゼミはパフォーマンスだけの先生の集まり,と言うイメージを持たれるかもしれませんが,実力を兼ね備えたパフォーマー揃いなのです。
一緒に仕事をしていた先生方,本当にすごい方ばかりでした。
トップレベルの先生と一緒に仕事ができたことは,一生の宝物です。
同じ教科だったり,年が近い先生とはよくお話をしたものですが,毎週が学び,毎週刺激を受けていました。
あのなかにいたら,私が落ちk・・・という自虐はもうやめましょう・・・💦。
自分の弱さや隙を見せることが大事な時もあるけれど,必要以上に自分を卑下する必要はない。
顔には青髭が覆っていますので,明日の朝には剃らなければ。
じゃなくて。
私が一緒に仕事をしていた先生方は,本邦トップレベルの指導力を持っている方々です。。
重鎮というに相応しい方々と共に働けたことを光栄に思っています。
私の授業を受けてくれていた生徒たちはもちろんですが,ものすごい同僚の方々に育てていただきました。
もちろん,他の予備校で講義を受けてくれた生徒たちからも,たくさんんことを学ばせていただきました。
とくにONゼミナールでは予備校に来ないレベルの生徒に教える機会をいただきました。
東大や京大に当たり前に入る生徒たちの成長過程を目の当たりにしてきました。
これは大きな予備校にいたのでは味わえない経験です。
大きな予備校の,東大や京大に特化したクラスを教えていても,そうそう全員がこれらの大学に入るわけではありません。
まして東大の理Ⅲや,京大の医学部に入るレベルの生徒は少ないはず。
・・・でも,ONゼミナールではたまにそういう生徒と出会します。
かれらはものすごく要求が高く,授業準備の仕方を変えました。
彼らが参ったと言うような問題を選りすぐって,毎回チャレンジしてもらいました。
それでも,東大に入った二人組はディスカッションをして解いてしまう・・・。
そして言われるのです。
「先生,もっと難しい問題をお願いします」
「えーーーっと・・・これ以上難しい問題は大学入試にはないよ!」
と言うセリフを引っ込めて,またまた探します。
毎週が生徒との真剣勝負でした。
生徒ができない問題を探し出すのがものすごくいい勉強になりました。
毎日色々な予備校で化学だけを教えるようになって,化学の講義を週に15コマくらいできるようになりました。
そうこうするうちに,ある一定の質の講義ができるようになっていました。
やはり数をこなさないと,質は上がらない・・・。
まだまだ自分は満足していませんでしたから,もっといい講義ができるはずなんだ!と知恵を絞っていた毎日でした。
うん,こう言うとかっこいい人生に見えないこともないな。
とはいえ。
かっこいいところばかりではない人生です。
代ゼミの講師採用試験に受かったのは「運」の要素が大きかったと思います。
そののち,代ゼミを離れて別の予備校に移る際も。
クリスマスイブに,移籍先の予備校から粋なクリスマスプレゼントをいただきました。
でも,これも多分後押ししてくれる先生がいたから。
私自信は全然すごい講師ではないのです。
全国中継されるような華やかな講義はしていませんでした。
まぁ黒板は自信がありましたが!
美しいことには誰にも引けを取りませんでした。
えっへん。
とはいえ・・・。
デビューしたての頃はこのような板書もできませんし,講義の時間配分もめちゃくちゃ。
まさに未熟そのものでした・・・。
黒板ね,最初は不慣れで,「醜いです・・・じゃなくて,黒板が見にくいです」と言われることも多々あり・・・。
教務課の方のアドバイスをいただきながら,改善を図りました。
ONゼミナールや他の予備校に出講させていただくことになり,毎日化学の講義ができるようになって,ようやくコツが掴めてきました。
何度も言いますが,勉強と同じ,量をこなさないと上達はしません。
それこそ,誰もいない部屋で模擬授業をすることもありました。
正直かっこいい風景ではありません。
もっとうまくできないのか,と苛立つことが本当に多かったのです。
でも,能力が及ぶか及ばないかは別として,その場でできることはしてきたという自信はあります。
努力をするのは当たり前,それを超えるパフォーマンスを出せるようにしないと,と思って毎日講義をしていました。
ONゼミナールでも。
駆け出しの時は,ある程度売れた時のことを思い浮かべていました。
化学だけで食べていけるようになった自分を思い浮かべていました。
・・・果たしてそうなりました。
でも,ここ数年間で変革を迫られました。
五年ほどもがきました。
もがいた甲斐があって,弊塾の運営はだいぶ安定してきています。
でも,最初の話に戻りますが,この状況に安住しているわけにはいかないのです。
もっといい塾にするとか,ちょっとずつでも塾を変革させていくとか。
まずは未来の自分がどうなるのかをイメージしないといけません。
どの辺りで,どんな服を着て,どこに住んでいて,どんな車に乗っていて,どんな教室で生徒に教えているのか。
そのころには数学の力はついているのだろうか。
物理は人並み以上に教えられるようになっているのだろうか。
どこまでいけるかは分かりませんが,肝心なことを一言申し上げます。
大事なことは,うまくいった時の自分をイメージすること。
そして,最悪のことが起きた場合にどうなるのか,考えておくこと。
最悪のことが起きても対応できるように。
最悪のことが起きると言うことは,それ以降は浮かび上がっていくしかないわけで。
うまくいっている自分のイメージをしないといけません。
そのためにはロールモデルを作るのが一番。
自分がどうなっているのか,イメージをしようと思います。
そこから今やるべきことを逆算して考えていく。
成功した自分のことをイメージして,そうなるように行動して,「勝ち癖」をつけないと。
負け癖はつきやすく,なかなか払拭できないので気をつけないと。
十年後の自分はどれくらい成功しているのだろう。
最悪のことが起こるとしたらなんなのだろう。
最悪の想定をして楽観的に行動しようと思っています。
まとまりのない文章でしたが,ここまでお読みいただきありがとうございました。
ONゼミナール代表 長田 俊将
www.on-semi.jp