皆様,こんばんは。

 

 昨日も暑い一日でした。

 

 

 

 

 夏休み明けの宿題テストの答案が返ってきつつあります。

 

 折しも学校では文化祭シーズン。

 

 勉強どころではないのかもしれないのですが,塾は通常通り営業しています。

 

 

 

 

 何かのめり込めるものがあるのは素敵だと思います。

 

 それが一生の思い出になれば何よりです。

 

 何か成し遂げたものが一つでも増えれば,それがあなたの自信になり,生きるための糧となるでしょう。

 

 青春時代に素晴らしい思い出をたくさん作れますように。

 

 

 

 

 生徒,学生の本分はやはり勉強です。

 

 学校の成績なんてどうでもいい,と言っていいのはものすごく優秀な人だけではないかと思います。

 

 私だってオール5なんてとったことはありません。

 

 美術と保健体育・・・・・・・・・そして理科。

 

 

 

 

 本当にできないことって確かにあると思います。

 

 私はこの年齢になってもいまだに泳げません。

 

 バタ足をするとなぜかバックしてしまいます・・・。

 

 ボール投げもろくにできません。

 

 鉄棒も,縄跳びも小学校の頃に散々やったわりにできないです。

 

 絵も上手には描けないです。

 

 実験器具だけは描けるようになりました。

 

 粘土細工や木工も作ろうと思ったものの斜め45度下のものが出来上がります。

 

 夏休みの宿題で最後まで残していたのは決まって図画工作の宿題でした・・・。

 

 

 

 

 それでも努力である程度まではできる・・・のでしょうか。

 

 両親は運動が得意なので,悩んでいる私を見てだいぶん心配していたようです。

 

 

 

 

 私には運動の才能がないということなのでしょうか。

 

 いや,努力不足なのでしょうか。

 

 海上自衛隊の幹部候補生学校では「遠泳」がありますが,泳げない人もそのための訓練をする中で必ず泳げるようになるそうです。

 

 私もそちらに行っていれば泳げるようになっていたのでしょうか・・・。

 

 

 

 

 生徒には「やればできる」と言っている立場なので,スポーツのことを言われると途端に言葉に窮します。

 

 できないことをできると言い張ることはできませんし。

 

 ・・・って私はなんでこんなことを書いているのでしょうか。

 

 勉強は先天的な能力が影響するのかどうか,生まれつき勉強に向かない子がいるのかどうか。

 

 なかなか議論が避けられているように思われるこの問題を考えてみたいと思いました。

 

 塾を営んでいるものとしては「地雷」なのかもしれません。

 

 私はこの地雷原を五体満足で通り抜けることができるのでしょうか。

 

 

 

 

 すみません。

 

 やはり才能は大いに関係すると思います。

 

 どれだけ頑張ってもできない人はいます。

 

 もちろん教える側の人間は生徒の可能性を探しています。

 

 何かきっかけを見つけて欲しい,何かできることはあるのだからと。

 

 それでも無力感を感じることがたくさんあります。

 

 安くないお金をいただいて塾をしているくせに,臆面もなく何てことを言うのだと思われるかもしれません。

 

 本当のことを言うのが正しいとは限らないですし,あえて嘘をつき通すことも大事なことがあります。

 

 世の中はオールオアナッシングではありません。

 

 その「中間」が無限にあります。

 

 

 

 

 才能がないからと言って,才能がゼロなわけではありません。

 

 50くらいあるのかもしれません。

 

 周りの子に比べて才能がないだけであって,絶対的な能力は高いのかもしれません。

 

 数学ができないのは頭が悪いからなのでしょうか。

 

 物理が大得意な人は数学もできるのでしょうか。

 

 数学ができない子は東大に入れないのでしょうか。

 

 なんでも短絡的に考えてしまう人は決まって数学ができないと私は思います。

 

 

 

 

 さて,夏休みの課題テストの答案を見てみましょう。

 

 もう私は呆れています。

 

 問題をそもそも読んでいないから,何をしていいのかわからなくなっている。

 

 式を途中で写し間違えてしまい,計算ミスで混乱している。

 

 プラスとマイナスを間違えたり。

 

 数値計算は「ただするだけ」ですが,そこでやらなければいけない計算の量に途方に暮れている例もあります。

 

 ・・・実はやり方があるのですが。

 

 教えたことがわかっていないわけではない,と生徒は言います。

 

 確かに勉強はしていると思います。

 

 私が見ている前で一生懸命問題に取り組んでいました。

 

 一つ一つ越えなければいけないチェックポイントを超えていくのを確認していました。

 

 

 

 

 そこまでやってもまだ「凡ミス」は無くならないのですね。

 

 

 

 

 「凡ミス」と書いていますが,実はこれは実力の表れだと思います。

 

 これがなければ〇〇点だ!とか言って,自分はもっとできるはずだと言い張る生徒がいます。

 

 それは違いますよ。

 

 符号を間違えて書いてしまうのも,指数をつけるところを間違えてしまうのも,全部あなたの実力なのです。

 

 ・・・授業中に式の間違いを指摘される私も然り。

 

 これも実力のうち。

 

 間違えたらどうしよう,と思うに決まっています。

 

 それで集中力が削がれることはわかっています。

 

 不安な状態で問題を解くから落ち着いて問題に取り組めないのです。

 

 一生懸命勉強してきたものだからこそ,こんなことがあるものです。

 

 しかし,厳しいことを言いますが,それでも間違えるのはあなたの実力不足。

 

 私も実力不足なのです。

 

 

 

 

 私は「横綱相撲」で問題に取り組むのがいいと思っています。

 

 変なテクニックとかを使わないで,真正面から問題の取り組むのが一番。

 

 解法を間違えていないだろうかという不安を抱えることなく,ただひたすらに練習してきた通りに問題を解くのです。

 

 普段の勉強の中でできなかったことが試験で急にできることなんてないわけです。

 

 だから塾の授業の中でできるようになってもらうためにこちらも努力するわけです。

 

 力が及ばないこともありますが,それでもできる限りのことをしようと思っています。

 

 

 

 

 

 凡ミスは練習をすることで減らすことができます。

 

 まだまだ勉強が足りないと言うことなのだと思います。

 

 あるいは才能がないという残酷な現実があるのかもしれません。

 

 

 

 

 才能が勉強の能力に反映されるのは紛れもない現実です。

 

 ですが,あなたの能力が少しでも開くきっかけをここで見つけて欲しいと思います。

 

 英語も数学も体育も美術もと,色々と勉強しないといけないのは,その中のどこかにあなたの才能があるのではないかと思っているからです。

 

 何もかもができない人,全く役に立たない人なんていませんから。

 

 存在意義がない人なんて誰一人としていませんから。

 

 あなた一人の中のどこかにとてつもない可能性があります。

 

 それを探すためにしているのが色々な勉強なのだと今の私は思います。

 

 

 

 

 なんで理系志望なのに古典の勉強をしないといけないの?とか言わないで。

 

 あなたの才能は本当は別のところにあるかもしれないからです。

 

 元文系だった私のメッセージ,ここまで読んでいただきありがとうございました。

 

 

 

 

ONゼミナール代表 長田 俊将

www.on-semi.jp