皆様,こんばんは。
一日中机の前に座っていました。
これは中学受験の効果かも・・・っていつまで言っているのやらわかりませんね😅。
職業に貴賎なし。
その通りだと思います。
国会議員と議員秘書で,どちらが尊いかというと・・・そんなのは比較できません。
役割が違うだけです。
国会議員は国民から選ばれているので,当然それに見合った待遇を受けます。
議員秘書は資格が必要なこともありますが,最初はその資格を活かした仕事はできないと思います。
国会議員がやるべきだと言われている「雑巾掛け」の実働要員にされるかもしれません。
議員の支持者が亡くなった場合に,議員本人に成り代わって弔問に行くこともあります。
出張の時は議員はファーストクラスでも,秘書はエコノミーか良くてビジネスクラス。
そんな実例を挙げられて「職業に貴賎なし」と言われてもなぁ。
ちょっと頭を抱えてしまいます。
こんなことを言っては失礼ですが,小さな塾の講師と大手予備校の講師でも違います。
小さな塾の講師は,自分が使う教室でなくてもいちいち掃除をしないといけません。
生徒の親御様からの電話対応をしないといけません。
面談に来られた親御様をお見送りする時は,きちんと席から立ち上がってお見送りをします。
生徒の登塾指導をするために,教室の前に立たないといけないこともあります。
ビラを配りに行かなければいけないこともあります。
営業活動をしないといけません。電話をかけまくって,面談のお約束を取り付けたり。
授業をしていると「遊んでいるんじゃない!」と叱られます。
講義準備などもうとんでもない・・・。
こんなことをしているなら,とっとと近くの学校へビラ配りをしてこい。
一件でも面談の約束を取り付けてこい。
そう言われてオフィスから追い出されます・・・。
生徒は待っていても来ませんからね。
生徒募集をしないと塾は立ち行かなくなります。
生徒募集のために始めたブログの執筆ですが,「書きたいことを書く」だけではやっていけないということがよくわかりました。
フォロワー様の人数が増えないことが私がブログに対する姿勢を表している・・・かも。
それでも保護者の方がいつも読んでくださるので,読んでくださる方にちょっとでもお役に立つように書いているつもりです。
昨日書きました「塾や家庭教師を利用する価値」のお話。
塾の先生と家庭教師の方,予備校講師の違いもわかるようになっています。
長くなりました。
予備校講師は基本的に講義以外のことはしません。
・・・あ,個別指導もありますが。
自分が指導する教科・科目のテキストを作ったり,予備校でやっている添削指導で出てくる答案を添削させてもらったり,模擬試験を作る会議に出てどういう試験にするか話し合ったりも講師の仕事。
それ以外の時間は講師の裁量に任されます。
何をしていようと誰からも叱られません。
授業のために校舎に行くと,校舎の職員さんとは別に「講師室」という部屋があります。
大抵職員さんより立派な椅子に座って講義の準備をします。
中には電気マッサージ椅子があるところもあります。
私がこの世界に入った頃の代々木ゼミナールでは,職員さんがお茶を入れてくださいました。
暑い時期は氷水も一緒に。
これは20代半ばの当時は驚きました。
あらかじめお願いしておくと食事の出前をしていただけたり,講義の後にコーラとかコーヒーなどを用意していただくこともできました。
講義に向かう時は校舎の責任者の方や職員さんがエレベーターの前に並んで
「よろしくお願い致します」
と頭を下げられて見送られていたものです。
数年後に「お茶のサービス」は廃止されてしまいました。
しかしそれ以降も講師専用の給茶機がありました。
お手洗いは講師専用。
相変わらず講師が講義に向かう時には,手が空いている職員の方が「よろしくお願いします」と挨拶してくださいます。
エレベーターには職員の方が同乗して講師が行く階まで見送ってくださいます。
講義の予習をしていても誰からも叱られません。
むしろ講義の準備で手を抜くと生徒に有益な講義ができなかった場合に評価が下がります。
・・・言い換えると「クビ」が近づいてきます。
学期の真ん中あたりで「講師アンケート」というイベントがあります。
まだ数ヶ月も受講していない講師の講義の質がここで生徒によって評価されます。
そして,講師の待遇はここで決まります。
翌年度にもらえるコマ数,コマあたりのギャラの額,講義以外にもらえる仕事の種類。
その内容が悪いと・・・だんだんコマ数が減っていき,仕事の種類も少なくなり,最後はクビです。
逆にアンケートの内容が良くても,最近ではあまり待遇が変わりません。
多少コマ数が増えればいい方で,現状維持イコールプラス評価となることもあるようです。
塾の営業ではありませんが,どれだけ自分の授業に生徒を集めることができるかは問われます。
ただ,個人情報は予備校側が握っていて渡してくれませんから,電話をかけまくるという手段は使えません。
授業の中で生徒に自分の授業の良さを知ってもらわないといけません。
もちろん,自分の知識や能力を見せびらかすスタイルはあまりいいものではありません。
各自が生徒の望む講義を考えて,その斜め上の講義をしないといけません。
生徒の希望通りの講義をしても「上」にはいけません。
あと,最近の予備校講師は派手すぎる人間はあまり好まれません。
人気がある先生は日頃真面目に勉強している人が多いように感じます。
ちなみに講師が出張する際に利用する新幹線は最低でも「指定席」。
距離が長いなどの事情がある時は「グリーン車」の切符が渡されます。
ホテルもかなり優遇されていました。
このご時世ではそうもいかなくなりつつありますが。
職業に貴賎はありませんが,各自の役割があります。
その役割を全うしないと自分の居場所を失います。
これは国会議員でも議員秘書でも,塾の講師でも予備校講師でも予備校の職員でも同じ。
それぞれの仕事の人が受ける待遇は違います。
あくまで各自の役割がありますから,自分の役割をわきまえて仕事をしているというだけです。
どちらが偉いとか下の立場とか,そんなものはないのです。
恥を忍んで一つ白状しましょう。
予備校講師をしながら,
「自分は大きな予備校の講師だぜ!校舎に行けば重役待遇だ」
とかいう情けない勘違いをしていたことがちょっとだけあります。
だからあまり偉そうなことは言えません。
「塾とは違うのだよ,塾とは」・・・「塾→ザク」と読み替えていただくと往年のアニメの名台詞になります😅。
あくまで自分の仕事を全うするだけ。
一緒に仕事をする仲間同士であることを忘れてはダメです。
・・・で,大学の話です。
どうせいい大学に行けばいい人生が待っているという話をするだけだろう,と思われるかもしれません。
そんなことを書いても誰にも読んでもらえませんから!
何が求められているのかを考えながら書いていこうと思います。
大学は自分ができることを開拓しに行くところです。
能力の物差しが何本かあるとします。
数学的思考力,語学力,マネジメント能力・・・。
とりあえず一つでいいから,何かできることを伸ばしに行くところです。
能力の物差しを「カンスト」するつもりでいかないと,これからの人生は難しいと思います。
ある程度できますよ・・・という人ならばそこらじゅうにいっぱいいます。
そして価格競争などで周りの人に簡単に負けてしまいます。
そうなると低い給与で甘んじなければならなくなります。
所詮学部程度の勉強で,学問のレベルを「カンスト」するのは難しいのですが,何かの能力を人並み以上に上げておくことは必要ですし可能です。
一万人に一人のレベルに行くことは可能でしょう。
大学院に進むとよりレベルが上がります。
学問のゲージの数値がより上がるかもしれませんし,研究チームをまとめ上げるマネジメントスキルがつくかもしれません。
論理的思考力が身につくでしょう・・・これは論文を書く時に鍛えられます。
コミュニケーションスキルも,学会でのポスター発表や登壇しての発表で身につくかも。
訳のわからない質問をしてくる人をうまく「かわす」のも大事なスキルです。
仕事を始めてからは,学問のゲージの値が要らなくなるかもしれません。
その他の大学で身につけた能力が生きると思います。
もちろん私のように大学で専攻してきたことがダイレクトに生きることもありますが。
一億人からの人が働いているこの社会では,自分程度の能力を持っている人は「ごまん」といます。
ここで普通に過ごしていたらまたしても周りとの競争に敗れます。
優劣を論じているのではなく,「生き残れるか」のレベルのお話をしています。
その中で頭角を表そうと思ったらどうしないといけないか・・・。
なにか別の能力ゲージを上げていくことになると思います。
研究してきたことを活かす能力を鍛えた上で,教育のスキルを身につけるとか。
他の業界の人とうまく交渉して,何か面白いコラボをするとか。
これからの世界では「単線型のスキル」では生き残れない気がします。
社会が求めるものを考えた上で,自分ができることは何かを考えないといけません。
あるいは自分の能力をさらに高めるために勉強をすることになるかもしれません。
その時にする勉強が自分の得意分野ならそれほど苦ではないのですが,もし苦手な分野を勉強しなければならないとしたらどうしましょうか。
耐えられますか?予行練習なしぶっつけ本番で。
これからは「複線型スキル」あるいは「複々線型スキル」が要求されると思います。
一つのジャンルで一万人に一人のレベルになること。
三つのジャンルでそのくらいの人になれれば,「一兆人に一人」の人材になります。
・・・地球上にそんなに人はいませんぜ,というツッコミはここでは置きます。
皆さんは何のために大学に行かれますか。
何か大好きな勉強があってそれを極めにいくのですか。
医師になりたくてそのための勉強がしたいのですか。
一人一人の選択は本当に尊いです。
皆さんの夢が叶うこと,そして満足がいく人生を歩まれることを心から願っています。
しかし,何度も言いますが単線型の生き方ではこれから厳しくなります。
いくつかの「取り柄」を持っておかないと。
他の人では変わりになれない存在になれないと,足元を見られて安く買い叩かれます。
高いのがいいのか安いのが悪いのかという議論をしたいわけではありません。
生きていくにはお金が必要です。
お金がたくさんあればできることが増えます。
お金がないとできることは明らかに減ります。
だからある程度生活に余裕がある程度の収入がもらえた方がいいと思います。
そのためには,自分自身が高いギャラに見合う人間になる必要があります。
いわゆる「いい大学」には能力に恵まれた学生がたくさんいるものです。
いい手本を見ながら今後の自分の生き方を考えるのがいいでしょう。
志の高い友人と出会い,お互いを高め合っていくことができるのも大学のいいところです。
私がこの仕事を始めた頃,化学を教えられる人間はあまりいませんでした。
大手予備校にいるというだけでそれなりにいい待遇をしていただけました。
しかし,そんな時代は長くは続きませんでした。
「芸域は広い方がいいですよ,先生」とかつての明聖アカデミーの社長が面接の時に教えてくださいましたが,その時は「んなわけあるかい」と思いながら数学の授業を引き受けていました。
本当は化学の授業だけに専念したいのに・・・。
時代は流れ,化学一本で生活できるようにはなりましたが,少子化の影響と良い参考書の登場,名講師の教えを受けた生徒が講師になりデビューするといったことが重なって起こりました。
そうすると,単に化学を上手に教えられるというだけではやっていけなくなります。
塾をしていくにしても,化学一本ではやっていけなくなります。
所詮選択科目ですから,受講してくれる生徒の人数も限られてきます。
選択科目担当講師の悲哀がここにあります。
結局化学の教科能力以外に何か能力をつけないといけない。
世の中が何を求めているのだろうかしっかりと見極めて,大いなる勘違いをしないように気をつけつつ。
大学で「化学者」でもあり「生物学者」でもある先生に出会ったことが大きな転機になった気がします。
フランス人でノーベル化学賞を1989年に受賞されたJean Marie Lehn (ジャン・マリー・レーン)先生です。
私の師匠である増田秀樹先生も一つの分野に閉じこもることに対して強い警鐘を鳴らしておられました。
「有機化学と無機化学の区別をする意味なんてあるんか?」
とおっしゃった時にはものすごく驚いたものです。
25年以上経った今でも覚えているほどです。
私が籍を置いていたのは,無機化学の研究室という枠組みの研究室でしたが,実際は何でもする研究室でした。
有機合成をされる方,大腸菌の培養をしている方,薬学部の研究室に移って仕事をしている方。
色々な方がいました。
何も一つの分野に閉じこもっている必要なんてないのだ,と思ったものです。
大学に行くことでそういうことが学べるかもしれません。
経済学部だからって経済のことだけを勉強していればいいというわけではない,といった具合に。
はっきりいってそこにいる学生の気質と,そこで出会う先生で大学生活の大部分が決まると思います。
もちろん勉強だけが大学生活ではありません。
アルバイト先で「この人はすごい」と思える人と出会えるかもしれません。
そこで大きな学びがあるかもしれません。
それまでは決められたレールの上を走り続けてきた高校生が大学に放り込まれて最初に与えられる「刑」があります。
それが「自由という刑」です。
何か自分から積極的に動こうとしなければ,学部の単位をとって卒業研究をしただけで学生生活が終わってしまいます。
いわゆる「レベルが低い大学」ではそれすら全うできなくなる可能性が高いです。
できないことが当たり前という思想を植え付けられている学生の割合が高いのです。
高校時代の勉強があまりに難しくて割と早い時期に深海魚になった子が入る大学では,初めは高校レベルの復習から始めるところもあります。
国立大学でもそうなのです。
しかし,わからないものはわからないまま終わることが多いようで・・・。
できないことは相変わらずできないまま学生生活を終えることが多いです。
できないまま済ませるのではなく克服しようというエネルギーは,そういうところではなかなか生まれないと思うのです。
元気な学生がたくさんいる大学に行くことを強くお勧めしたいと思います。
極端ですが,東大はいい環境の大学だと思います。
入る力があれば狙うべきだと思います。
東大は色々な専門の学生が一つのキャンパスに集められます。
彼らとの付き合いの中で人間の幅を広げることができる可能性が高まると思います。
学生本人の気質によるところが大きいのはもちろんですが,東大は何かを積極的に学ぼうとするエネルギーが高い子が多いと思います。
東大でなくても,自分の入れるレベル一杯一杯のところに行った方がいいです。
自分より遥かにできる学生に会うだけでも価値があります。
撃墜王と呼ばれる先生の試験に合格するために必死になって勉強するのも大事な経験です。
その中で学問の面白さに気づく可能性も小さくありません。
と言いますか,そういう厳しい先生の試験に通る勉強をするために何度も24時間営業のミスドで徹夜を経験していますが,夜明けの帰り道でピカッと閃いたことが何度もあります。
その繰り返しがまさに私の数式を読む力を向上させてくれました。
少なくともこの生活のおかげで無用な数学アレルギーは完全に吹き飛びました。
そういえばこの頃から化学を専門にしながら物理の勉強もしていました。
化学に近い他の領域の勉強も積極的にしに行っていました。
手前味噌ですが,こういう元気な学生が多い大学は活気があって楽しいです。
自分から学ぼうと動く人に大学は最大限力を貸してくれます。
あなた自身の可能性を伸ばすためにも,夢に近づくためにも,大学をフルに使い倒してください。
そしてできることを一つでも多く増やしましょう。
中途半端ではダメ。
少なくとも一万人の一人のレベルになれることを二つ作りましょう。
私もその方向を目指して進んでいました。
学んできたことを融合して,最初では思いもよらなかったようなものをぶち上げてみましょう。
分子複数が弱い結合で繋がって独特な構造を作ったとき,その分子は元の分子を超えた性能を発揮することがあります。
こういう分子を作ってみようとして起きた学問がレーン先生の「超分子化学」です。
「私は普段は化学者ですが,時には生物学者にもなります」
このお言葉のスケールのデカさもすごいですが,学んできたことのポテンシャルを超えるものを生み出すことができたらどれだけ楽しいことか。
どうなるか想像できないだけになおいっそう楽しみです。
千里の道も一歩から。
まずは目の前の課題ときちんと向き合いましょう。
およそ勉強という名がついていることには学ぶ順序があります。
それをあまり壊さない方がいいです。
きっちり学んでいた講師ならば,その順番を大きく間違えることはないものです。
焦らず一つずつできること,知っていることを増やしていきましょう。
それが繋がって意外なものができることを楽しみに。
お読みいただきありがとうございました。
ONゼミナール代表 長田 俊将
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