久しぶりの雨でしたね。
だんだん季節相応の気温になっていくのでしょうか。
今年の年末は例年よりも寒くなるそうですが,どうかお気をつけてお過ごしください。
今日は中学生の授業の様子をお話ししましょう。
中学生とはいえ,ある程度成績の差が出始めています。
超上位層と層でない子の間の差はさほどないと私は思いますが,生徒たちはそうは思わないようで,「私はあの子とは全然違う,敵わない」などと言うのをよく聞きます。
「住んでいる世界が違う」んですって。
なんだか私も中学生時代に言われたことがあったような。
あの時は鼻高々になっていたのですが。・・・ガキンチョですねぇ。
中には高校の内容を勉強してる子もいます。
実は全員少しずつ先手を打って高校の内容を勉強しているのですが。
自発的にどんどん先に勉強を進めている子はいます。
中学二年生で三角関数がわかる子とか。
公文式だと微分や積分を小学生でやることもできるようですが。
仕組みはまだまだわからないと思うのですが,すごいですよね。
「私,連立方程式の文章題が苦手なんです」
と言う生徒。
「どれくらい問題を解いてみたの」
と私。
「いや〜分からな過ぎて一問も解いていません」
お〜い,解いていなければ分からないのは当たり前だろうさ。
勉強しないでできるはずはないわけで。
あなたは勉強しなくても既に全部わかっているつもりだったのかい?
そんなことはないのでしょうが,それまでは大した苦労をしないでやってきた子ならば,初めて分からない問題に出会ったときに腰が引けてしまうことはわかる気がします。
問題を見た瞬間に解けるのが当たり前だったけれど,この問題は違う・・・。
そうか,私はこの分野が苦手なんだな。
いやいや,まだちょっとも勉強していないでしょうが。
でも,これまでに経験したことがない感覚を味わって,「こらあかん」とでも思ったのかもしれません。
自分だって,中学入試の算数を勉強していたときに,単なる四則計算が手も足も出なかったのを覚えています。
頭の中にはベートーベンの「運命」が流れていました。
いや,ムンクの顔やヒョウタンツギの顔がたくさん頭の中で浮いていたかな。
「あ〜ダメだこりゃ」
いかりや長介さんみたいだ😂。
できないことを経験して腰が引けて,自分はできないのだと思い込まされる。
塾通いをしているとそんな経験をすることがあるかもしれません。
そして塾の授業を聞いていると先生が得意満面の顔で
「こんな問題,簡単だよ。ほら,こうすればいいのだよ」
などとスラスラ解いてしまった日には,もうその先生の信者になるかも。
そこまで行かなくても,その先生の授業なしでは勉強できないという,講師に依存しきった生徒が出来上がります。
これってビジネス上は美味しい方法なのですが,教育上はよろしくないと思います。
だから私はそういう授業の仕方はしません。
昔はやっていたこともありました。
確かに生徒が増えて懐も温かくなったのですが,まぁね,生徒が何も考えなくなってしまうのですよ。
私なしで勉強できなくなってしまうのです。
私が生徒の邪魔をしていることになる。
それって,教える人間としては「下の下」の所業だと思うのです。
例えば・・・。
数学は誰かに教えてもらってわかる教科ではないと思います。
きっかけがあって,いつしかパッと目の前が明るくなって色々とわかってくる教科なのではないでしょうか。
教えてもらうのが当たり前,と考えている生徒は永遠に数学はできるようにならないでしょう。
かつての私のような生徒は無理。
今の私だって色々本を読み漁って勉強しているふりをしているレベルですから。
それでもまだ何もわかりません。
問題があって小問の誘導があったりすれば,何をする問題なのかわかります。
そして自分で考えて問題を解くことも可能です。
しかし,何をするのか分からない問題も結構多い。
そういう問題ではどうするのか。
「定石」を教えてお茶を濁すしかないのが現実です。
そうせざるを得ない先生は結構いると勝手に思っています。
実は分かっていねぇんじゃねえの?と思いたくなる先生の授業ノートに当たったりもします。
何かの参考書に書いてある文章を丸写しにしたとしか思えないノートとか。
・・・私も気をつけないと。
もともと優秀な子だったけれど,ある人気のある先生の授業を聞くようになってから,だんだん生徒が書く答案が雑になってきた。
その子は元々は旧帝大の医学部に受かるかなと目されていたのですが,地元の国公立の医学部に落ちた・・・そんな例にたくさん触れています。
こういう話に接しているうちに,講師がどんなに人気があっても,その人気とやらは能力を担保するものではないのだなぁと思うようになりました。
大手予備校で60歳くらいまで活躍している先生は別です。
ああいうところで30年以上活躍できている先生は例外なく優秀です。
教え方がうまいかどうかではなく,きちんと数学とか自分の指導教科ができるという意味で。
ちょっと脱線しました。
「この分野の問題,苦手なんですよ」
と言う生徒には,「じゃあやってみたら」と言うようにしています。
それが一番効き目がある言葉だからです。
ちょっと一緒に問題を解いてみて,「そんなに難しいか?」と尋ねます。
そうすると,「案外できそう」と言うのですよ。
「じゃあ,時間をあげるからやってごらん」
と私は生徒に指示をします。
その後しばらくすると大抵の場合きちんとできています。
そんなものなのです。
よほど私の話し方が合わない人でなければ,話を聞いて理解をしてもらって,実際に解いて貰えばできるようになるのです。
・・・でもね,やる前から「私には無理です!」と言う子が一定数いるのです。
「考えても無駄だから考えるのを放棄します!」と声高に宣言した元学年一番の子がいました。
第一志望校を受けるところまでいけませんでした。
せっかく中学受験で一番で入ったのに・・・(私たちの塾では一番で中学校に入った子は結構いるのです。割と長い間やっているので・・・),勿体無いと思うのです。
「考えてごらんよ。あんたは賢いんだから」
と言っても分かってもらえなかったら仕方がないです。
まぁめげないで何度も「やってみな」と促すのですが。
それでも聞いてくれない人はどうしようもありません。
まさか拘束して「俺の言う通りにやるまで帰さんぞ」なんて言えません。
まさに虐待になってしまう。
下手をしたら事件になったりして。
「あの先生ならやりかねない」という生徒の談話がメディアに広がったりして。
そんなことでは商売ができなくなってしまう。
結果を出そうと思っていたのに,そのチャンスを永久に潰す行動をとってしまうことになる。
それどころか虫の息の塾が本当に心肺停止状態になってしまう・・・。
私の息の根も止まります😂。
でも,「やってみな」と言うしかないと思っています。
できないのなら一緒にやってみよう。
どうしてこんなことをするのか。
どんなことを覚えるのか。
なぜこうなるのか。
どうやって使うのか。どんな応用法があるのか。
一緒にやってみて,理解しましょう。
高校までの内容ならば,実はそれほど難しくないことが多いのです。
本当に自分でやっているうちにできるようになるものです。
そのうち講師を追い抜く子も出てきます。
そうでないと塾としてはダメだと思います。
もちろん経験値は違いますし,長時間の勝負なら生徒には負けません。
でもスピード勝負になるとねぇ・・・,本当にできる生徒には分が悪いこともあります。
中学入試のパズル的問題を生徒と競争で解いていて,見事に負けたことがあります😂。
・・・恥ずかしい話ですが。
何度も言います。
「やったらできます」。
だからやりましょう。
やらないでいるのに「苦手なんです・・・」などと言わないように。
なんだかやらない理由を探しているようにしか見えません。
前向きな生き方とは正反対です。
いつも前を向けとは言いませんけれどね。
人生は後ろ向きにしか理解できないものですから。
ときには後ろを向く時もあると思うのです。
でも人生は基本的に前を向いていかないといけない。
ムーンウォークをしていると,人生の方向性を間違えるかも。
脇にある何だか良さげなものに食いついてしまって。
たとえばゲーム,ラノベ,YouTube ,(最近下火の?)TikTok,Twitter (最近ツイ廃気味ですが)。
あと気に入らないのが,「俺って〇〇君に敵わないんですよ」と言う子。
高校三年生くらいになるとはっきりとした学力差が出てきていますからまぁそう言うこともわかります。
もちろん天賦の才能の差もあります。
敵わない子には本当に敵わない。
でも,せめて一回や二回くらいは競争しようよ。
一度も競争をしていないのに,噂だけを聞いて勝負を諦めるなんて勿体無い。
勝負をする前から負けていますよ。
これ,人生でずっと引きずるかもしれませんよ。
パッとみて難しそうな課題があったり,手強そうなクライアントがいたら,あなたは上司に言うのですか?
「ちょっとこれは無理そうです・・・」
私が上司ならまずど叱ります😂。
そしてその子を連れてその課題に当たってみたり,クライアントのところに同道させます。
まずは一緒にやってみるぞ。
失敗しても大したことはない。
仕事なら俺があんたのケツを拭いてやる。
そのくらいの気持ちで接してあげることはできます。
それで全く歯が立たないこともあると思います。
そうならば「世の中は広いな。色々な子がいるんだな」という話ですみます。
もしそうでなければ・・・。
本気を出して奇跡的にではあっても格上と言われている生徒に模擬試験なり定期テストで勝ったとしたら。
もし挑戦していなかったらその子は大きなチャンスを逃していることになります。
苦手なクライアントから逃げてばかりいたら,その子はずっと上司に依存する営業マンで終わるかもしれません。
いつまでも依存できる上司はいるわけではないし,いつか自分自身も上司の立場になることもある。
あるいはリストラされてさようなら〜ってなるかもしれないのですが,それはそれで恐ろしいこと。
どちらにせよ,やってもいないうちに「こんなの無理」と言っていたらダメだよということ。
一度くらいはやってみようよ。
一度ダメでも二度三度とチャレンジしようよ。
押してダメならなんとやらともいうじゃないですか。
手を変え品を変えて挑戦するのもいいと思います。
エジソンの行動を現代に再現するのです。
100回目でうまく行った。
それまでの99回は単なる失敗なのだろうか。
いや,違う。
こうするとうまくいかないという発見を99回繰り返したのだ。
カッコ良すぎるなぁ。
なんだか悟ったような物言いをする子が多くて,それが気になってこの文章を書かせていただいています。
目がギラギラ光っている,ハングリー精神旺盛な子が最近減っているように思えます。
とにかくやってみよう,あいつに勝ってやる,そういうことを言う子が少なくなりました。
頑張っている若い人を応援している身としてはとても寂しいのです。
せっかく人間として生まれて,勉強する環境に恵まれているのに。
どうして挑戦しないのだろう??
もっと上を目指そうと思わないのはなぜだろう。
企業に入れば上を目指す=現場から離れる=自分の好きな仕事ができなくなる
ことになることがありますから,ある一定はわかるのですが・・・。
それでも,下っ端だとずっと自分の思い通りの方針と違ったやり方を押し付けられるかもよ。
自分のやり方を貫きたかったらそれなりに出世をした法がいい。
そのためにはたくさんチャレンジをして,実績を残したほうがいい。
まぁ無難に世渡りして出世していく人もいますが,そういう人では大きなイノベーションを起こせないと私は思っています。
話があちこちに行きましたが,今日も今日とて色々と書きました。
お読みいただきありがとうございます。
ONゼミナール代表 長田 俊将
www.on-semi.jp