皆様,おはようございます。

 

 三重県の塾でもついに新型コロナウイルス肺炎の感染者クラスターが出てきました。また,他の塾では先生が感染されたとのこと。他人事ではありません。これまで以上に感染症対策をいたします。そして,罹患された方の1日も早いご回復を心から願っています。

 

 

 

 さて,18歳の春。私は河合塾を一旦離れて,当時は丸の内の伏見通り沿いにあった,青い看板の予備学校に飛び込むことにしました。環境を変えようと思ったのが一番大きいです。理系に強い予備校だという噂を聞いていました。河合塾の大学受験科に進んでいれば,余計な費用負担がなかったのですが,両親に負担をかけてしまいました。

 

 菊里から青い看板の予備学校=駿台予備学校に入学したのは,およそ15人ほど。卒業生のうち半数がより高みを目指して浪人生活を選ぶ高校でした。いわゆる浪人養成学校・・・。今もその傾向が色濃く残っています。その大半が河合塾の千種キャンパスや名駅キャンパスを選びます。それぞれJR線や名鉄,近鉄線の駅に近く,便利ですからね。

 

 へそ曲がりの私は,環境を変えようと思い,あえて駿台を選びました。

 

 浪人生活初めての授業は数学でした。いきなりトラブル発生・・・。担任の職員の方がお詫びの言葉を言われました。担当の先生は「新幹線に乗り遅れた」とのことです。大幅に遅刻されました。5分で終わったかな。予備校に入って初めての授業がこれでした。まさか第一講で遅刻しますかねぇ・・・。

 

 かなりお酒を召し上がる先生として有名だったようです。あと,とんでもないヘビースモーカー。筆圧の強い先生で,黒板にぐいぐいチョークを押し当てて字を書いていました。あと,人差し指と中指でチョークを握り,握力でチョークを押しつぶしていました。論理に厳しい先生だったのと,学生に考えさせようとする先生でした。

 

 初めての講義から,さっそくとんでもない先生に出会いました。

 

 ちなみに当時の講師室は自由にタバコが吸えました。至る所に灰皿が置かれ,タバコの煙で霧ができていました。ああ恐ろしい。そして5分もいると,服にタバコの匂いがついてしまうというおまけ付き。そんなオマケはいらない・・・。

 

 

 

 二つ目の授業。物理でした。関西地区の主任をしていた新田先生の授業でした。この頃は大人気でした。この授業は微積分もベクトル解析も多用しながら物理を解説していきます。とくに力学がメインでした。

 

 ろくに数学を学んでこなかった私にも十分理解できる授業でした。現象をしっかりと見つめ,一つ一つにきちんと丁寧に説明を与えてくださいます。大学の講義に似た淡々とした講義でしたが,私にはピッタリ合っていたような気がします。

 

 まもなく「運動方程式」がきちんと立てられるようになりました。これは小さな一歩ですが,私にとっては大きな一歩だったのです。数学を使って自然現象を眺めることができたのも良かったです。だんだん数学がわかるようになってきます。

 

 

 

 この日の最後の授業は英語で,名古屋の駿台では珍しい,東京から来られている先生でした。青木利夫先生。ある程度の長さの英文を50分授業で読んでいく授業でした。構文に囚われない授業,しかし構文主義から逸脱もしない授業でした。英文を自然に前から読んでいく方針の授業で,駿台で受講した英語の授業の中でも,一番多くのことを学ばせていただいたと感謝しています。毎週質問に通ったのを覚えています。一回だけ思慮の浅い質問をして叱られたことがあります・・・。

 

 ちなみに,当時から有名な先生だった竹岡広信先生の授業は,「革命的な授業」だと言われていました。確かに,これまでの英語の勉強で意識してこなかったことを学ぶことができました。確かに凄まじい人気が出るのは納得ができます。当時から優しい先生だったような。一度だけですが,教室で褒めてくださったこともあります。

 

 

 

 

 駿台は「構文主義」とその方針に反抗する先生が混在していた,混沌とした状態でした。かの有名な伊藤和夫先生(当時は存命でした)の方針で作られた教材が多かったのですが,その方針に真っ向から逆らう先生が数人おられました。

 

 予備校というところは,一応は講師用のマニュアルが配布されます。「教授資料」という名称で。これに従うかは講師に任されています。予備校は講師が一旦教室に入ったあとは,その先生が自由に講義できます。自由はありますが,当然責任も付随してきます・・・。生徒の反応はかなりシビアで,あっという間に受講者が減る授業もありましたが,先生によっては,満員になって,本来の受講生が入れないケースが出ることもありました。どこからきたのか,受講する生徒の人数が元のクラスの生徒数より多くなるのです。いわゆる「潜り」。

 

 私が浪人していた当時の駿台の大学受験科の授業では,あまり厳しいチェックはなかったと記憶しています。ちなみに,潜りはダメだよゼッタイ。やっておいていうのも何ですが。

 

 

 

 

 さて,浪人生活は一年以上の「モラトリアム」期間なのですが,この期間をどう見るかで人生は大きく変わってきます。一年間あるからゆっくりやろう,と勘違いしている人がいますが,これはとんでもない勘違いです。複数年契約をするなら別ですが。

 

 予備校に入学してから1年後に入試本番が来るのではありません。9ヶ月後です。意外と早く試験はやってきます。一浪で済ませたいのであれば,そこのところ誤解のないように願いたいです。

 

 一年間余分に勉強すればその分できるようになって,よりいい大学に行ける。それはある程度正しいです。しかし,漫然と過ごしていると成績が下がり,現役時代に行けた大学にすら合格できなくなることもありますから気をつけましょう。一年あるからという変な油断をして,かえって勉強をしなくなった人もたくさん見てきました。

 

 人間は猶予を与えられると油断してしまうのでしょうか。特に4月当初は生徒に勢いがありましたが,5・6月あたりから生徒の姿勢に差が出てきます。とくに駿台の理科の授業は高校までの授業と異質です。到底高校でやらないような,大学レベルのことが当然のように出てきます。難しすぎるし,自分で勉強したほうが早いと言い出す残念な人が一定数出てきます。

 

 まぁそういうことをしているからその人は受験で失敗してここ(駿台)にいるのですが。

 

 「自分でできる病」はなかなか深刻な病気です。機会があれば紹介します。

 

 駿台の授業は私にとって「衝撃」の連続でした。ゼロから慎重に積み上げられていく学び。高校にはなかったものでした。大学の講義に近い内容が多かったですが,いちいち懇切丁寧な講義がなされていました。その授業について行き,復習をすることで,「数学と物理は」人並み以上に変化して行きます。

 

 あれ?化学はどうなのでしょう??私が予備校で指導することとなった化学・・・。

 

 このお話は次回させていただきます。

 

 今回もお読みいただき,ありがとうございました。

 

ONゼミナール代表 長田 俊将

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