出講先予備校を移籍したときに九州の北半分を旅しました。私は福岡ソフトバンクホークスのファンでもあります。幼い頃から中日ドラゴンズも応援し続けていますが,精神衛生上あまりよろしくないので(笑),常勝軍団のダイナミックな野球を見てストレスを解消しています。

 

 いろいろなスタイルがあっていいと思いますが,私が野球をするときは「三振かホームランか」で打席に入ります。中途半端にポテンヒットとかだとかえってストレスが溜まります。得点に繋がればそれでチームのためにはいいのですが。今は体が鈍ってしまってもう打てないかなぁ。スポーツに復帰するならボウリングが先かなと思っています。

 

 それはさておきまして。

 

 私は割と九州,とくに福岡市(主に博多)が好きです。お酒を飲むわけではないのですが,居酒屋さんに入ってウーロン茶でもつ鍋や海鮮をいただいています。もつ鍋は偶然美味しい店に入り,本当に感動しました。あぁ,これってこんなに美味しいものだったのだなぁって。たまたま一人用のカウンターのあるお店で,昨今のコロナ禍でも十分やっていける店なのではないでしょうか。とある野球チームの方御用達のお店のようです。

 

 海鮮といえば私が一番に思い浮かぶのは「イカ」の刺身です。生簀で泳いでいるイカを捌いて刺身にしていただきます。ゲソは後で天ぷらにしてもらいます。海鮮ものは全般的に美味しいものが多いと思います。というか,博多で美味しくないものを食べた記憶がない・・・。

 

 ペイペイドームで2日間の野球観戦を楽しんだ後,長崎に行きました。三連休の最終日だったと記憶しています。長崎に行く特急電車が軒並み満席で,なんとかグリーン車が取れました。振り子車両のグリーン車,運転士さんの席のすぐ後ろでした。あまり整備がされていない線路の上を相当なスピードでグリングリン振り子走行する特急電車。

 

 椅子の幅が広い上に,体を支えてくれない滑る革のシート,足置きなし。博多から長崎まで2時間,ずっと足を踏ん張っていました。これってフルムーンパスを使う方向けの趣向でしょうか。だとしたらブラックジョーク以外の何者でもないのですが・・・。遠心力の効果を体で感じる2時間でした。こういう経験が授業に生きます。

 

 ほうほうの体で長崎に到着。すぐに稲佐山に向かいました。ギリギリ夜景が見られました。長崎の100万ドルの夜景。女神大橋,クルーズ客船が接岸できる立派な港,三菱の造船所など,長崎ならではの夜景を堪能していたら,もう展望台が営業終了です。最終のリフトで下界に降りて,タクシーでホテルに戻ります。そういえば長崎駅から稲佐山の上に向かうタクシーで,福山雅治さんの実家の前だというところを通りましたね。タクシーの運転手さんが観光できた人にする長崎あるあるらしいですが。

 

 翌日の朝は思い立って軍艦島に行くことにしました。当時はまだ世界遺産に登録される前でして,それほど混んでいなかったです。海も3月にしては穏やかで,船は無事に軍艦島に上る桟橋につけることができました。日本で最大の人口密度を誇った炭鉱の島です。住民の平均年収も指折りだったそうで。まだ日本が貧しい時代でしたが,ほぼ全家庭にテレビがあったそうです。

 

 狭い島の中に生活にいるもののほとんどがあったそうです。軍艦島のクルーズが行われるようになる前は,いろいろな事情で上陸できなかったそうですが,それでも内緒で上陸した人が上陸記をあげています。今のツアーでは立ち入れるところがごく狭い範囲に限定されていて,ほとんど自由に歩けません。秘密で上陸していた人がいた頃は,割と自由に歩いていたそうです。崩れそうな建物が多いので危険だと思いますが・・・。今は立派な防犯カメラがあります。おイタをするとすぐにバレる仕組みになっているようです。

 

 長崎の街は尾道の山の手に似ています。平地が少なくて,山の斜面に沿って住宅地や異人館街,教会やお寺が散らばっています。そして,長崎の山の手は一大猫カフェになっています。大好きな人はぜひ。亀山社中跡の周辺を歩いていたら,10匹ほどの猫様に囲まれて悶えてしまいました。思わず坂道に座り込んで,猫様を膝の上に抱いてしばらく時間を過ごしました。尾道も猫様は多いですね。みっちりと遊んでもらいました。No cat , no life. な私です。と言いながら我が家では狆(ちん)を溺愛していますが。江戸時代に大奥で飼われていた「お犬様」です。

 

 軍艦島のツアーでは良質な石炭のかけらをいただきました。近辺には高島炭鉱の跡もあり,つい最近まで採掘されていました。九州北部には筑豊炭鉱があり,きめ細かに張り巡らされた鉄道網がありました。いまは自然に還っていますが,石炭を掘った跡の「残り」を積み上げた「ボタ山」がそこ此処にあります。たくさんの人が黒いダイヤを掘りに働きに来られていました。

 

 ご存知の通り,かなり前に石炭から石油にエネルギー源はシフトしました。それによって筑豊の炭坑はどんどん閉山され,鉄道網もだいぶまばらになってしまいました。軍艦島で見られたような賑やかだった頃を思わせる景色は少なくなっているようです。

 

 そして今ではエネルギー源がまた変わろうとしています。石油から電気へ。ガソリン車がなくなる日はそう遠くないでしょう。ガソリン車を愛好する身としては寂しい気もします。山の中を走っていて電池が切れたらどうするのだろうと,いらぬ心配もしています。山といっても,私の大好物はいわゆる「酷道」なので・・・。ドコモの電波が入らないところで電池が空っぽになったら・・・。そんなのは自己責任なのですが。

 

 電気自動車に欠かせない蓄電池や燃料電池ですが,日本はどれだけ世界に伍していけているのでしょうか。資源のない国がこれから世界でいかに貢献していけるかを考えると,やはり日本人の勤勉さを生かしたものづくりではないかと思うのです。誰も作ったことがないものを生み出していく技術力,発想力を大事にしていきたいです。そのためには小学校からずっと学んでいるいろいろな教科の勉強で学ぶ知識が大事だと思います。理系の人も文系科目を学んだほうがいいです。古典を知らない理系の人からは教養を感じません。そう,私のことです(笑)。歴史を知らない人も・・・(以下略)。

 

 深みのある教養を持って,自分の専門性を持っているひとはいつになっても生き残れると思います。いつまでも成長成長と血眼になるのではなく,その時代に合わせた生き方を考えられる人間でありたいと思っていますし,生徒の皆さんにもそうであってほしいと思っています。

 

 お読みいただきありがとうございました。

 

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ONゼミナール代表 長田 俊将