
パリ手稿Aは21cm×14cmで63葉、書かれたのは1490~92年、
アッシュバーナム手稿Ⅱは23cm×16.5cmで34葉、書かれたのは1492年である。
この2つの手稿は、もともとは同じノートから切り離されたものだ。
内容は主に、水力学、幾何学、視覚、絵画論関係、その他となっている。
こちらはパリ手稿Aの一葉で、地球を巡る水の循環について書かれたメモ。
宇宙(マクロコスモス)と人体(ミクロコスモス)を対比して考察しているところは、古代ギリシア・ローマ時代のピュタゴラスやウィトルウィウス等の影響が大きい。
ルネサンス期には、古代のコスモロジーを継承しつつ、宇宙全体を「マクロコスモス」と呼び、それに対してひとりひとりの人間や人間の魂・心を「ミクロコスモス」と呼んだ。それらふたつのコスモスが交流・照応している、という思想がレオナルドにも影響していることが分かる内容だ。

パリ手稿Afol 55 v水の循環
世界に存する熱について、生命のあるところに熱あり、生命の熱あるところに蒸気の運動あり。
このことは火原素[火層圏]の熱がいつも自分のほうへ、海その他湖沼、河川、池沢殻放出された湿った蒸気、濃い霧や厚い雲を引き寄せることが認められるところから証明される。
それらの蒸気をおもむろに寒冷圏に引き上げるが、そこで最初の部分は停止する。熱と湿潤とは寒さおよび乾燥と共存しえないから。そしてこの最初の部分が停止しているうちに他の部分を迎えて、すべての部分が互いに相結合して濃い暗い雲を形作る。やがてその雲たちはしばしば風によって一つの圏から他の圏へと吹き漂わされるが、ついにそれが濃密にすぎてあまりにも重くなると激しい雨となって落下する。
しかしもし太陽の熱が火原素の力に加わるなら、雲たちはもっと高くまで引き上げられてもっと冷たいところに至り、そこでついに凍って降雹が発生することになる。さて雲から降る雨でわかるように、あんなたいへんな目方を支えている熱こそ、低いところにいる水たちを呼びさまして、山の麓から引っ張りあげ、そして山頂にしまっておくものである。するとその水たちはどこか隙間を見出して、たえまなく流れ出て河を創り出す。
人間は古人によって小世界(ミクロコスモス)と呼ばれた。確かにその名称はぴったりあてはまる。というのは、ちょうど人間が地水火風から構成されているとすれば、この大地の肉体も同様だから。人間が自分の内に肉の支柱で枠組みたる骨を有するとすれば、世界は大地の支柱たる岩石を有する。人間が自分の内に血の池、そこにある肺は呼吸するごとに膨張したり収縮したりする、を有するとすれば大地の肉体はあの大洋を有するが、これまた世界の呼吸「潮汐」によって6時間ごとに膨張したり収縮したりする。
もし上述の血の池から人体中に分枝してゆく血管が出ているとすれば、同様に大洋は大地の肉体を限りない水脈で満たしている。大地の肉体には神経[および腱]が欠けている。ここに神経のないのは、神経というものは運動のためにつくられたものであるがゆえである。だが世界は永遠に安定しているので、どんな運動も生じない。運動が生じないのだから、神経を必要としないわけである。しかしその他あらゆる点で両者は非常によく似ている。

パリ手稿Afol 56 r水の循環
ある海の水が非常な高山の頂よりもっと高い、それゆえ水はそういう頂に押し上げられるのだと主張する若干の人々の説、水は低さに惹かれないかぎり、一地点から他の地点へと移動するものではない。
また自然のコースに従えば、最初の地点、すなわち水が山から発して明るみに出たところ、のような高所へ決して帰還することはできない。それゆえ、誤てる想像に従って君が高山の頂に流れを注ぐほど高かったと主張する海のその部分は、幾世紀かの内にそういう山脈の出口を通ってすっかり流れ尽きるべきではなかったか。
君には十分想像することができるだろう、いつもいつもティグリスやユーフラテスはアルメニアの山々の絶頂から流れ出ているが、その間に大洋の水全体が何千回となくその口を通過していると信ぜざるをえないことを。さてまた君は、ニーロ河に現に存在する水の原素全部よりもたくさんの水を海に注いだとは信じないのか。たしかにそうだ。そしてもしその水がこの大地の肉体の外へすっかりこぼれてしまったとすれば、この[大地という]機関はすでにとうの昔水なしになっていたことだろう。以上のようであるから、水は河より海へ、海より河へと行き、こうしてつねに同じぐるぐる廻り続けている。そして一切の海も河も無限回数ニーロ河口を通過したことがあると結論することができる。