この水車によって、私は夏の間中そよ風を生み出し、同時に冷たい水を跳ね上げ、泡立たせるだろう。またこの水車は屋敷中に水を導き、あちこちに泉を設けるのに役立つだろう。また、人が歩くたびに水が下から噴出す仕掛けの遊歩道をつくろう。…さらに私はこの水車を利用して、さまざまな楽器から絶え間なく流れる音楽を創出しよう。これらの楽器は、水車が回っているかぎり音を奏で続けるのだ。
これはミラノの総督となったシャルル・ダンボワーズ伯爵のための、夏の別荘計画に関するレオナルド・ダ・ヴィンチの覚書である。
レオナルドは、このような仕掛けを考えるのが得意だったが、そもそもこれらの知識はどこから来たのだろうか?
レオナルドは同時期に古代ローマ帝国の建築家ウィトルウィウスの「建築書」にある「水によって作られる音について」を引用したりしており、ルネサンス期の知識人達と同じように、中世の1000間に失われていた古代ローマの知識をもとにしていたと考えられている。
十字軍の遠征などから、東ローマ帝国ないし、イスラム圏に継承されていたギリシャ文化を知ることにより大きな衝撃を受けて始まったのがルネサンスであるが、この科学知識がとてもレオナルド・ダ・ヴィンチ的な印象を与えるのである。
イスラム圏の科学は古代ローマやギリシア、エジプト、メソポタミア、インド、中国等の科学知識をもとに8~15世紀に発展したもので、830年にバグダッドに建設された知恵の館「バイト・アル=ヒクマ」が有名だ。この施設は天文台を併設した図書館で、国家事業として、医学書・天文学(占星術を含む)・数学に関するヒポクラテス・ガレノスなどの文献から、哲学関係の文献はプラトン・アリストテレスとその註釈書など、膨大な書物をアラビア語に翻訳した。 また、使節団を東ローマ帝国に派遣して文献を集めることもあったという。
こちらはヒストリー・チャンネルの「Ancient Discoveries Islamic Science」。
水を動力源としたからくり、兵器などなど「レオナルド的な」発明品が目白押しである。
レオナルドもきっとこれらの科学知識からもインスピレーションを受けていたに違いない。