マドリッド手稿Ⅰ.f147v~148r_永久機関の否定 | レオナルド・ダ・ヴィンチのノート

レオナルド・ダ・ヴィンチのノート

万能の天才、レオナルド・ダ・ヴィンチの活躍を紹介していきます。

いくら使ってもなくならない「夢のエネルギー源」というアイディアは、古くから発明家達の心を魅了してきた。時には純粋な夢のある研究として、また時には研究資金を得るための巧妙な嘘として、永久機関の研究は現在でも行われている。梃子を使うものであれ、水を使うものであれ、エネルギー保存の法則から逸脱した装置は機能しないのである。

レオナルド・ダ・ヴィンチが書いたマドリッド手稿Ⅰの初めのページにもこう書かれている。書かれた年代は1493年~1500年だ。

永久運動(ある人々には永久回転と呼ばれているが)の研究は、無駄で実現不可能な人類の妄想の一つであることに私は思い至った。何世紀もの間、水力機械や戦争器具やその他の精巧な装置に関心を抱いてきた人々の多くは、長年にわたる研究や実験また莫大な費用を注ぎ込んで、この研究に没頭してきた。そしていつも最後には、錬金術師たちと同じ破目に、つまりわずかな部分の失敗のためにすべてが無駄になるという結果に終わった。そこで私は、こういった研究者連中に恵みを施してやろう。この私の小論が続く間は彼らを研究から開放からして休ませてやろう、と思うのである。さらにまた、彼らの請け合った仕事が望ましい成果をあげるように、そして君公や為政者たちから不可能な仕事を請け負ったためにいつも逃げ隠れしていなければぬような破目に陥らないでもすむようにしてやろうと思うのである。かつて私は大勢の人々が、たわいもない妄信につかれて、一儲けしようと夢見ながら、様々な地方からヴェネツィアに集まって来たのを目撃したことがある。
しかし、莫大な費用を注ぎ込んでもこの装置を動かすことが出来なかった彼らは、(水のかわりに空気で)自分を動かして死に物狂いで逃げ出さねばならなかった。


これらは動く錘を使った永久機関である。車輪右側の錘のほうが重くなるように見えて車輪は右側に回り続けるように思えるが、実際には機関の左のほうがおもりの数が多くなってしまい、機関は左右がつりあってしまうため、回転は停止する。1230年頃に北フランスで描かれたヴィラール・ド・オヌクールの永久機関と原理は同じである。

レオナルド・ダ・ヴィンチのノート-マドリッド手稿Ⅰ.f147v_永久機関
マドリッド手稿Ⅰ.f147v

rが下降すると、lは上昇し、桿Szの中点を叩く。いまSの重さを1リブラとすると、lでは桿が中点で打たれたとすれば、重さは2リブラになろう。だが垂直線SqはSの重量を半分減らすから、Sの2リブラは1リブラとなり、錘rの力は、下降してxに達したとき、重量の12分の11となろう。この重量の上に、さらに打撃が付け加えられる。結果的に、Sは下降して第二の打撃を行なう。さてここで、この打撃によって、車が6分の1回転するかどうかに注目せよ。さもなくば、効果がない。

上図において、車に吊るされた多くの錘の重さの中心を軸bとしよう。さて、nの重さが、mの重さをどれほど上回っているかを君が知りたければ、君自身で次のことをつかめ。mに3を足せば、mが7、nも7になるだろう。天秤の軸aはいぜんとして正しい中心にある。

だからrとSの落下の打撃が車を、それ自身とともに6分の1回転し、tvがrSの場所に行って、第二の打撃を作り、次から次へ、車ないしは軸が消耗するまで、運動が続くかどうかは疑わしい。

軸がfにあり、4と7とが、軸fから等距離に吊るされているとすれば、4はそれ自体の重量である4のほかは、7の重さの荷を下ろしたり、減じたりすることはできない。それゆえ、7はまさに3の重さで働くといえよう。かくて4の上に3を置けば、軸のこちら側で7、向こう側に7をもつことになる。天秤の両方の腕が等しい以上、吊るされている重量が等しくて均り合う。

証明。
rがxまで下降する時、反対梃子lは桿の中央のほんの少し上で、Sの桿に触れるか、打つかしよう。また私の、第5節の理論により、rは下降してxに達した時、自然重量の12分の11を取り戻す。さらに、円の8分の1を回転すると、3度目の打撃が起る位置に達する。lの打撃がSの落下を惹き起こし、第二の打撃を生み出すことは明白だ。

rの如く、弓状の反対梃子をもつ重量はすべて、上に述べた反対梃子に比べてより大きな重力が働くことを思いだしてほしい。さもなくば、重量Sを持ち上げることはできない。


レオナルド・ダ・ヴィンチのノート-マドリッド手稿I.f148r_永久機関
マドリッド手稿Ⅰ.f148r

hを叩くrの打撃はhを動かすが、この打撃は車に対し無効なことがここで証明される。

この装置の、右側の重量の力をもっと簡単な手段を用いて測定しようと試みたければ、また右側の重量と、左側の重量との比を知りたいと思うならば、先ず車の中心線から、右側の錘のそれぞれへの距離を測れ、次に、右側の錘を一つずつ同一線上に置け。同様に、左側の錘を同一線上に置け。これにより、一方の線が他の線をどれほど上回っているかを測定することができよう。この二本の線の差が、右側の錘の重さと左側の錘の重さとの差と同じである。

この重量がcを離れて、hに達した時、打撃を与える。この打撃を受けている時、車全体の重量は同じである。しかし車は打撃を受けた結果として、車の円の6分の1回転することとなり、重量pは、軸の結合店に対して、垂直になる。即ち、重量Kが前の位置から下降した時、その重量が取っていたのと同じ位置である。右側の重さの中心と左側の重さの中心との比は、右側の棒の中心と左側の棒の中心との比に等しい。車とその重量のために、車がとまるように、選ばれた場所。ところで、cが降下した時に、hの打撃が車を6分の1回す力をもつかどうかを実験してみるがよい。そこで回転させることが出来なければ効力はない。たとえ6分の1回ったとしても、その後、車は動かなくなろう。なぜなら、自然の位置に戻ろうとする打撃によって走った車が、与えた大きな重量を杭gが支えるからである。続く重量fの打撃によって、車は円の6分の1を前のように、回転することはできない。なぜなら、上に述べた如く、gの支えている重量がそれに逆らうからだ。それゆえ、以上の説明の通り、この車は欺瞞性をもつ。



そして、こちらは水を使った永久機関についての考察である。レオナルドはここでも永久に続く運動はありえないと書いている。
メモ書きには「永久運動の不可能性を論じた私の論文の第5節」とあるが、どの手稿のことだろうか?もしかしたら失われた手稿のひとつを指しているのかも知れない。


$レオナルド・ダ・ヴィンチのノート-マドリッド手稿Ⅰ.f151v_永久機関
マドリッド手稿Ⅰ.f151v

永久に続く偶有運動はありえないことについて。

ここに水のいっぱい入った4つの桶が8つの桶と向かい合っている。だが、8つの桶が4つの桶より8ブラッチョだけ高いところにあることとしてよいだろう。8つの桶のうち1つが4の箇所で作用するとしよう。紛れもなく水の入った桶が4のところにあると、8のところにある桶の2つ分の目方で作用する。
その梃子の作用によって2倍の重さがかかるからである。だがその桶が下がる場合、その高さにまで8ある桶の1つを持ち上げるには2倍の距離だけ下りる必要がある。

君がここで永久運動が生じることを望むなら4つの満水の桶がおりるときに8つの水の入った桶を同じ高さに持ち上げることが必要となろう。それはすでに提示した梃子とそれでも持ち上げられるものとの性格として成立しない。このことは永久運動の不可能性を論じた私の論文の第5節のところで示してある。それどころか、どの1つをとっても他の桶に対して同じような差し障りが出てくるだろう。そして4つの桶に第5番目の桶を加えようとすればこの桶は水面の下にあるので、何の重さもないことになろう。もし、この加わった桶の側で、その桶が運動に加わるまで水面を下げたとしたら、これらの回転系は水が下がったことによって惹き起こされるのと同じ運動をとるであろう。これは自然運動であって君が期待しているような偶有運動ではない。