
ドゥーモの広場から北には、有名な「ガレリア・ヴィットリオ・エマヌエーレ2世」があり、ブランドショップやカフェが世界中からの観光客で賑わっている。


そしてガレリアを抜けるとスカラ広場に出て、じゃーん!そこには4人の弟子を従えたレオナルドの石造がある。

今回気になったのはこの下段の4人の弟子だが、そこにはサライやメルツィの名前は無い。
CESARE DA SESTO チェーザレ・ダ・セスト
GIO.ANTONIO BOLTRAFIO ジョバンニ・アントニオ・ボルトラッフィオ
MARCO DOGGIONO マルコ・ドッジョーノ
もう一名は…残念ながら憶えていません。
アンドレア・サバティーニかアンドレア・ソラーリオだったか?それともブラマンティーノか、ベルナルディーノ・ルイーニ?
アトランティコ手稿に記されたメモ(1496年頃)によれば…
イオディッティが9月8日にやってきた。月4ドゥカート。
ベネデットが10月17日にやってきた。月4ドゥカート。
……ンコ。4ドゥカート。(フランチェスコ・ガッリ)
……ベルト。4ドゥカート。
ジャンマリア。4ドゥカート。
ジャンペトロ。4ドゥカート。(ジャンピエトリーノ)
サライ。3ドゥカート。
バルトロメオ。3ドゥカート。(ブラマンテの弟子、ブラマンティーノ)
ジラルド。4ドゥカート。
数字はレオナルドが定めた彼らの住み込みの食事代と宿泊代。
当時のミラノでは1リラで4人家族のパン1ヶ月分を買うことが出来た。ヴェネツィアのドゥカート金貨やフィレンツェのフィオリーノ金貨なら約4リラに相当するから、4ドゥカートなら4人家族のパン4ヶ月分となる。地元ワインなら80本分。ワイン1本1000円とすれば、食事付き家賃で8万円程度だろうか?
彼らの作品はブレラ美術館やスフォルツェスコ城、アンブロジアーナ絵画館、ポルディ・ペッツォーリ美術館等で観ることが出来る。
当時レオナルドがミラノに構えた工房には、岩窟の聖母の制作パートナーだったアンブロージョ・デ・プレディスやゾロアストロ(トンマーゾ・マシーニ)もいたはずだ。
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↑ストリートビューでヴァーチャル観光出来る。