昨今、日本人の平均寿命が延びて、人生100年が夢ではなく、現実味を帯びてきています。
然しながら、ただ数字合わせの如く、100歳まで生きましたといっても、病院のベッドの上で管に巻かれてスパゲティ状態なったままというのでは、理想的な長寿とは言えないでしょう。
人間の一生を仮に季節に例えるならば、10代、20代は青春時代であり、30代、40代は朱夏の時代であり、50代、60代は白秋、そして70代、80代は玄冬の時代と言えます。(90代以降は神世界)
このうち、青春時代及び朱夏時代前半は生命エネルギーに溢れており、人生の諸事を経験するために、好奇心旺盛でイケイケで過ごすのも良いでしょう。若さという貯金があるため多少の無理もなんとか健康な体がカバーしてくれます。
とりわけ10代、20代の青春時代は肉体のエネルギーが強力で他を圧倒しており、また人生経験も少ないため、逆に精神世界を開くのは少々難しいかもしれません。それよりも、若者は先ずは物質世界を思う存分に謳歌しなさいという神の計らいがあるのだと思います。
朱夏の前半である30代は、社会人としての経験もそこそこ積み、それでいて体力的にもまだまだ十分に余裕があるため、物質的人生を謳歌するには最適な年代とも言えるでしょう。
しかし、朱夏も後半(40代)に入ると、やがて少しつ陰りが見え始めてきます。若いときにはたいして気にも留めていなかった健康問題が見え隠れし始めてきます。一言で言えば、次第に身体に無理が利かなくなります。俗にいう厄年というのも言い得て妙ですが、確かに人生の曲がり角に来たと言えます。
このように、40代を迎えると、自己の人生に対しておぼろげな不安を抱え始めながら、やがて人生ステージの第三段階である「白秋」を迎えることになります。ここまで来ると、最早、若さのみに任せて突き進むことが難しくなってきたことを否でも自覚せざるを得ません。
そうした意味合いからも、肉体に重きを置いてきた人生から、精神世界が開け始めるのが50代に入ってからなのです。肉体のエネルギーに引っ張られて外側ばかりに向いていた心が、次第に内向きになる頃です。因みに、ここに云う「精神」とは「神に詳しい」という意味です。つまり、神に詳しい世界が開けてくるのです。
勿論、昨今流行の「アンチエイジング」で肉体をしっかりケアして若さを保つことも、肉体という魂の容れ物を大切にするという観点からも重要であることに変わりありません。
然しながら、肉体(脳)の衰えは遅かれ早かれ確実にやってきます。(もっとも、この先、宇宙技術の導入により驚異的に若さが保たれ、寿命が延びれば、また話は別ですが、今は現段階での話です。)
この肉体の衰えに反比例して、向上していくのが「精神世界」です。生理的に脳細胞が劣化しても、日々向上する精神世界のお蔭で精神の明晰さ(心の明晰さ)が保たれます。
現代は、「老人」というとネガティブなイメージで語られることが多い世の中ですが、真の「長老」とは、この精神世界が開けた人のことを指します。
これに対して、60代、70代になっても、衰えた「肉体(脳細胞)」にのみしがみついて、精神(心)が置き去りになっていれば、やがて知能が衰えて揶揄される老人へと一直線に突き進むことになってしまいます。
「長老」は長い人生経験からもたらされた智慧によって、人生経験が未熟な若い人たちのために問題解決を図ることが出来るのですが、それは表層の事象であって、深層は「精神世界」に宿る神の智慧によってもたらされるものなのです。AIなど足元にも及ばない深遠なる世界の智慧です。
ただ、ここに云う「神」とは、何かの特定の宗教の神を指しているのではないので誤解の無きように願います。敢えて言うならば、宇宙の森羅万象に宿るモノといった表現になるでしょう。
最後に、「精神世界が開ける」とは、漫然と日々を過ごしていて、暦の年齢だけ重ねれば自然とそうなる訳ではありません。自らの意思で向上の道を歩んでいくことが必須条件であることは申すまでもないでしょう。