「頭の悪い人が使っている日本語、納得の『3つのフレーズ』とは?」と題して、樋口裕一氏が解説している問題の日本語について。
同氏は多摩大学教授、作家でもあり、アフリカ・フランス文学翻訳家でもあります。
さて、気になる「3つのフレーズ」に挙げられた栄えある(?)トップは、「めっちゃ」という表現です。
学生くらいの年齢であれば、仲間内で使うぶんには、まあさほど違和感はありません。ただ、樋口氏も言われているように、語彙が貧困だなあという印象は拭えません。
然しながら、社会人となって中年期に差し掛かっても、なおもこうした表現ばかり使用していたのでは、確かに頭の程度を疑われても仕方がないでしょう。
私自身、翻訳者の端くれとして、日々、よりマシな表現が出来るよう心掛けてはいますが、少なくとも語彙の貧困さが露呈するような文章は書かないように十分注意しております。
このコラムの筆者である樋口氏は、作家でもあり、翻訳家でもあることから、当然ながら鋭い言語感覚をお持ちであると推測できます。
さて、2つ目のフレーズは、「みんな言ってます」です。
これには苦い思い出があります。私がまだ中高生だった頃、父に対して反論しようと、「だって、みんな言ってるもん」と言い返したところ、すかさず、「じゃあ、どこの誰と誰が言いっているのか、具体的に名を挙げよ」と突っ込まれてしまいました。
そんな少年期を過ごしたものですから、後年、相手を説得するときは、最早、バカの一つ覚えみたいに、「みんな…」などと言うことはなく、具体的に氏名や出典などといった根拠を示す習慣が身に付くようになりました。
最後のフレーズは、「~させていただく」ですが、樋口氏は、「一見すると丁寧な物言いだ。…だが逆に言えば『こう言えば文句ないだろう』という慇懃無礼な言葉でもある。」と指摘されています。
なるほど、「慇懃無礼」とは結構鋭い指摘であると思います。「~させていただく」は敬語表現として問題はあるものの、現段階では既に市民権を獲得しいている表現だと認識しています。ただ、やはり多用には注意したいものです。
ところで、余談になりますが、昨今、日本語の漢字表記が次々に「ひらかな」表記に置き代わっていることに危惧しています。
「出羽守」ではありませんが、台湾では現在も繁体字(正体字)といって、日本の旧字体とほぼ同様の漢字を使用しています。
一例を挙げると、「臺灣」、「沖繩」、「烏龜」、「憂鬱」などがありますが、現代日本では、それぞれ、「台湾」、「沖縄」、「亀」、「憂鬱」のことであり、「憂鬱」は今では「憂うつ」と表記されているようで、それこそ「鬱」という文字を見ただけで、「ゆううつ」になってしまうのでしょうね。
当然ですが、台湾にはひらかなやカタカナはありません。ですから、小学生の頃から、こうした画数の多い複雑な漢字を練習して覚えていくわけです。
欧米由来のビジネス的発想である「コスパ」、「タイパ」という観点から考察すると、なんとも非効率的な文字だと思われることでしょう。
翻って、日本では、平成からこのかた、従来、漢字表記していた表現をひらかな表記に置き換えている例は枚挙に暇がなく、行き過ぎの感があり、言語が幼稚化しているように思えてなりません。
かの有名な小説「吾輩は猫である」の旧仮名遣いはともかく、旧字体も読めず、それどころか現代の漢字すらも覚束無くなってしまっているのでしょうね。