goo辞書によると、「『おかげで』は、他から恩恵を受けた結果、望ましい事態が成立したことを表わし、話し手の感謝の気持ちを伴う。反対に、望ましくない事態が成立したことを表わすのは『せいで』で、その責任を自分以外の他者(人やものごと)に押しつける意味合いがある。」と記載されています。
ところが、現代では下記の例文のような用例を随所で見かけるようになっています。
例文:
昭和の時代、一部の暴走族の「おかげ」で、まともなライダーまで世間から白い目で見られた。
正しくは、「昭和の時代、一部の暴走族の『せい』で、まともなライダーまで世間から白い目で見られた。」と言うべきでしょう。
因みに、外国人の日本語検定試験のための日本語文法の解説でも、上記例文は誤用となっています。
「おかげで」は「お陰様で」という意味で、元は神様の「御蔭」に由来しています。何気ない言葉ですが、この言葉には深い意味が込められています。
神道(随神)には、「顕」と「幽」という概念がありまして、我々が現に住まうこの世界が「顕」で、神様の住まうあちらの世界が「幽」であります。
そして、「お陰様で」は、目には見えない「幽」の世界に対する感謝の念の表われなのです。
先ほどの誤用例だと、「暴走族」への感謝の念が表われているという馬鹿げた意味合いになってしまいます。
ところで、日本の随神の精神が分からない外国人は、「お陰様で」というと、「誰のおかげですか?」と問うてきます。
それはまあ日本語が理解できない(=日本語脳でない)外国人なら仕方のないことですが、最近では日本人でも外国人並みに理解できない人達が増えているように感じますが、これは由々しき事態です。
それは戦後の誤った教育の「せい」で、現代日本人がおかしな方向にミスリードされているからです。