黄粱梦~邯鄲(かんたん)の夢 | Drummer Atsushi

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―僕の叩くドラムは銀河の響き―

「「盧生」という若者が人生の目標も定まらぬまま故郷を離れ、趙の都の邯鄲に赴く。盧生はそこで呂翁という道士に出会い、延々と僅かな田畑を持つだけの自らの身の不平を語った。するとその道士は夢が叶うという枕を盧生に授ける。そして盧生はその枕を使ってみると、みるみる出世し嫁も貰い、時には冤罪で投獄され、名声を求めたことを後悔して自殺しようとしたり、運よく処罰を免れたり、冤罪が晴らされ信義を取り戻したりしながら栄旺栄華を極め、国王にも就き賢臣の誉れを恣にするに至る。

 

子や孫にも恵まれ、幸福な生活を送った。しかし年齢には勝てず、多くの人々に惜しまれながら眠るように死んだ。ふと目覚めると、寝る前に火に掛けた粟粥がまだ煮上がってさえいなかった。全ては夢であり束の間の出来事であったのである。盧生は枕元に居た呂翁に「人生の栄枯盛衰全てを見ました。先生は私の欲を払ってくださった」と丁寧に礼を言い、故郷へ帰っていった。

 

中国においては粟のことを「黄粱」といい、盧生が粟粥を煮ている間の物語であることから『黄粱の一炊』としても知られる。いわゆる、日本の落語や小説・漫画でいうところの夢オチの代表的な古典作品としても知られる。

 

同義の日本の言葉としては「邯鄲夢の枕」、「邯鄲の夢」、「一炊の夢」、「黄粱の夢」など枚挙に暇がないが、一つの物語から多くの言い回しが派生、発生したことからは、日本の文化や価値観に長い間影響を与えたことが窺い知れる。現在ではほとんどの言葉が使われることがなくなっているが、「邯鄲の夢」は人の栄枯盛衰は所詮夢に過ぎないと、その儚さを表す言葉として知られている。」

           ウィキペディア(Wikipedia)より引用

 

「邯鄲(かんたん)の夢」は「邯鄲の枕」とも呼ばれ、中国故事でその出典は唐代の沈既済の『枕中記』です。

 

これは「人の世の栄枯盛衰ははかないものである」という喩えを物語風にして伝えたものであります。

 

さて、私の父は生前70歳で帰幽しましたが、帰幽するしばらく前に私に「70年という人生は夢のような一瞬の出来事だった」と語ったことがありました。

 

そのとき、父は既に医師からも余命幾ばくもないことを知らされていたので、このように語ったのだと思います。

 

聞くところでは、人は今際の際に自身の人生で起きた全てのことを走馬灯のように見せられると言いますが、当時の父のこの一言でふと思い出したものです。

 

私自身が父が帰幽した年齢にそう遠くないところまで来ているだけに何か感慨深いものがあります。

 

父のあの一言は辞世の句ではないものの、その後もずっと私の心に深く刻まれており、最近、まさしく人生は「邯鄲の夢」の如しだという実感がひしひしと湧いてきています。