僕は少年・青春時代を六甲山の麓で過ごしてきました。
学校のハイキングと言えば甲山や北山貯水池、そして小学校の校歌には一番が「武庫の山脈 武庫の海…」、そして二番が「蛭子(ひるこ)の神の 昔より…」とあり、6年間、何か行事があるたびに歌わされてきましたが、60年近く経ったいまでも、メロディをはっきり覚えています。
校歌に登場する武庫の山脈とは「六甲山」のことです。
長じて青春時代はバイクを乗り回し、六甲山は自分の庭みたいにして、しょっちゅう走り回っていました。
そんなバイク乗りの中で、今でもふと思い出すのが表題にある「六甲比命大善神社」です。
当時は、まだ神道のこともよく分からず、山中に祠のような小さな神社が鎮座しているのが何故か不思議な感じでした。が、手を合わせるくらいの信心は持ち合わせていました。
あれから月日が流れ、今、あの神社が瀬織津姫所縁の神社であるいということを知るに及んで、何か不思議な縁を感じずにはいられません。
聞くところによれば、瀬織津姫は永年封印されていた由、そして現代においてその封印がようやく解けたのですが、時期を同じくして僕の周囲に「六甲比命大善神社」の情報が流れてきたのです。
先般、ブログに書いた保久良神社、金鳥山、甲山、そして「六甲比命大善神社」と、僕の青春時代に密接に関連する場所です。
今、まさに時空を超えて、僕の脳裏に当時の情景がありありと浮かんできて、得も言われぬ懐かしさを覚えます。
また、小学校の校歌に登場する六甲山の別称「武庫山」、記紀の「国産み」に登場する神様である「蛭子の神」にも不思議な縁を感じます。