第一人称 | アラカンのリハビリライフ☆五体満足を目指して

アラカンのリハビリライフ☆五体満足を目指して

2020年に脳出血で左片麻痺に。自主リハビリを続け、回復への道のりや旬の話題、趣味について発信していきます。

僕は、東京オリンピックを前年に控えた1963(昭和38)年12月の生まれである。出生地は今の大阪市住之江区。当時は分区前で住吉区と言った。大阪の恵比須町と堺の浜寺を結ぶ阪堺電車という路面電車があるが、拠点のひとつ、我孫子道(あびこみち)に近い安立町あんりゅうちょう)と言うところらしい。

 

両親は純粋な大阪人ではない。父は京都の生まれで戦後、丹後で育ち、中学を出て大阪に出てきて板金工となった。母は鳥取県の米子の出身で高校卒業後、和裁を習うために上阪。

 

言葉のイントネーションが微妙に関東寄りで、言葉を覚える頃にそういう言葉をさんざ聞かされたからか、純粋な関西のイントネーションは身につかなかった。この事は後年、関東へ移住したときになかなか関西出身と見破られなかったことに貢献している。

母は僕に愛情を注ぐ中で、いっぱしの不安を覚えたからか、学習能力の高さが育まれることを望んでいたようだ。常にモノや人と比較され、そこで優劣の評価を加えられる。僕にモチベーションを植えつけて育む意図があっただろうが、今にして思えば苦痛以外の何物でもなかった。

人と目が合えば、無意識に相手の挙動を見て対抗し自分なりの評価でこちらが圧倒的に有利だとわかるととても安心し、代わって相手を蔑む感覚が生まれた。逆に不利な状況を見せつけられた時は、徹底的に自己嫌悪に陥り、自分を陥れた。「自分はさほど価値のある人間ではない」と、妙に醒めた、世の中のことを斜に構えた面白味のない人間に育っていった。