特に今日アップされたリセさんの記事、涙なしには読めない・・・
お二人の人となりがわかる、かなりしっかりした記事だと思います。
すでにご覧になった方も多いかと思いますが、あらためてご紹介させて頂こうと思います。
いまだにこのショックから立ち直れない管理人ですが、もうそろそろ前を向かなきゃ、ですね。
一連の事故に関する記事はここまで、次からまたダビチに戻ろうと思います。
ウンビさん、リセさん、どうぞ安らかに。
そして、残されたメンバーの皆さんを空の上から、その素敵な笑顔で見守っていて下さい。
アシュリーさん、ソジョンさん、ジュニさん、そして遺族の皆さま、心の傷は癒えないと思いますが、少しでも早く穏やかな日が戻ることを祈っております。
“21歳の若さで死去”LADIES' CODE ウンビさんを忘れません
TVREPORT |

9月3日、ガールズグループLADIES' CODEのメンバーウンビさん(満21歳) が同日未明、地方でのスケジュールを終えてソウルに移動中、交通事故で突然この世を去った。他のメンバーのクォン・リセとイ・ソジョンらも重軽傷を受け病院へ運ばれた。
最近の一連の事件の中で最も衝撃的なニュースだった。ウンビさんの死亡に関する悲報に芸能界が全体が悲しみに沈んだ。同僚の歌手はもちろん、多くのスターたちが哀悼の意を表し、悲しみを共にしている。
1992年生まれ、21歳。美しい年齢にこんなにも急にこの世を去ってしまうとは誰も想像すらしなかっただろう。
ウンビさんはPolarisエンターテインメント所属で5人組グループ「LADIES' CODE」として、昨年デビューを果たした。グループでサブボーカルとリードダンサーを務め、中心的な役割を引き受け、特に今回活動していたタイトル曲「KISS KISS」ではラブリーながらも可愛いコンセプトで魅力をアピールし、多くのファンたちの愛を受けていた。
ウンビさんは誰よりもポジティブなエネルギーを持つ“少女”だった。デビューしてすぐの頃からTVレポートとはインタビューで会い、これまで彼女を見てきたが、「明るく陽気で、才能多き期待の星」として魅力を見せてきた。
そう、そのため、彼女が去った空席があまりにも大きく、痛みも大きい。昨年3月、デビューを目前に控え行ったインタビューで子供の頃からデビューするまで詳しく話してくれた。子供の頃からの夢が“歌って踊る”歌手。「一般の高校からで芸術高校に転校した“きれいなお姉さん”という修飾語で話題を集め、“オルチャン”(話題の美男美女) の称号を軽く獲得した」と、自分の成長を説明する姿さえ彼女はきれいだった。
「高校1年生の時から歌手の準備をしてきたので、計5年かかった。正直、少し疲れていた時もあった。ちょうどうちのグループが作られるという噂を聞いて、運良く合流した。だから、デビューの実感よりも夢見てきた状況になり、すべてのことが幸せだ」彼女はそう言って自身の夢をつかみ、音楽業界に第一歩を踏み出した。
昨年9月に「Pretty Pretty」でカムバックした彼女は、持ち前の“ラブリー”な魅力を存分に発揮した。「私の性格は明るく楽観的だ。デビュー曲『Bad Girl』を表現するのが正直難しかった。今回は私の気持ちを存分に表現できて楽しみだ」
それから1年後の今年2月、「So wonderful」で活動を再開した時にもウンビは「音楽番組で1位を取りたい」と大きな希望を打ち明けながら明るい姿を見せた。「私たちはLADIES' CODE自体をとても愛している。2014年は音楽番組で1位を取って、ファンカフェ(コミュニティサイト)の会員数が1万人以上になってほしい。アルバムも3枚以上発表する」
LADIES' CODEは先月7日、新曲「KISS KISS」をリリースし、さらに成熟した音楽とダンスを披露してカムバックした。これと関連し、TVレポートの「アイドルレポート」コーナーが事実上ウンビの最後のインタビューとなってしまった。ウンビは「ステージを終えて、番組や“自撮り”をチェックすると、ステージで頑張る私の姿がカワイイカワイイ!」と話し、ポジティブの化身であることを明かした。
それとともに、インタビューの最後に残した家族愛あふれるコメントは、人々の心を切なくさせる。「おばあちゃん、いつもありがとう、大好きです! 絶対に親孝行してあげるね! 元気にちょっとだけ待っててね! 私はおばあちゃんのおかげで、いつも“I'm Fine Thank you!”」
記者 : ソン・ヒョンソク
寂しくても、辛くても笑顔だった…LADIES' CODE リセさん、永遠にさようなら
TVREPORT |

写真=TVレポート DB
リセさんはいつも微笑んでいた。ステージの上でも下でもひたすら笑顔だった。疲れた時や辛い時も、家族と離れて寂しい時もまず笑っていた。最後までそうだった。綺麗な韓服(ハンボク、韓国の伝統衣装)を着たリセさんは、遺影写真の中でも明るい笑顔を見せていた。そのように永遠の挨拶を伝えた。
ガールズグループLADIES' CODEのリセさん(本名:クォン・リセ)が9日午前、家族や友達、愛する人々と最後の挨拶を交わした。キリスト教式で執り行われた葬儀には、リセさんの安らかな眠りを願う人々が出席し、涙を流した。リセが所属しているLADIES' CODEのメンバーであるアシュリー、ジュニ、ソジョンも出席した。ソジョンは怪我により5日に執り行われたウンビさんの葬儀にも出席できなかったため、さらに辛そうだった。アシュリーとジュニはウンビの葬儀から4日経ち、再びもう一人のメンバーの葬儀を執り行うという大きな悲しみに耐えていた。

「16歳の時に父が亡くなった。父は亡くなる前に私が歌手になることを応援してくれた。LADIES' CODEとして活動する私を見て一番喜んだのは父だと思う。(私が)ここまで来れたきっかけだと思う」
歌手への夢を抱いたリセさんは、一人韓国へ向かった。母親や姉をはじめとする家族や親戚、友達はみんな日本にいた。若い年齢で家族と離れ、寂しかったはずのリセさんだが、歌手になりたいという夢に向かって耐え忍んだ。リセさんはLADIES' CODEのメンバーに頼りながらデビューを準備した。リセさんは2013年3月にLADIES' CODEとしてデビューした。

LADIES' CODEに対する愛情は、リセさんの歩みにそのまま現れた。グループとしてデビューする前にオーディション番組「偉大な誕生」シーズン1に出演して有名になったリセさんは、LADIES' CODEの“顔”だった。“リセが率いるガールズグループ”という修飾語がついた。これは、リセさんの重い責任感に直結した。リセさんはグループ活動はもちろん、個別活動も並行した。ソロ活動に対する欲ではなかった。グループをもっと知らせるために、メンバーたちにもっと大きな力を与えるために積極的に乗り出した。

その後もリセさんは個人的な成功よりもLADIES' CODEの成功に焦点を合わせて活動した。今年初め、リセさんは「LADIES' CODEは新しいグループだった。これまで他のグループが見せられなかった色を活かした。2014年にはLADIES' CODEというグループ名をもっと知らせたい。3~4枚のアルバムをリリースし、人々にグループの存在を確実に認識させる」と覚悟を明かした。
リセさんは2014年にLADIES' CODEとしてアルバムを2枚リリースしたが、もうこれ以上アシュリー、リセ、ウンビ、ソジョン、ジュニで構成されたLADIES' CODEのアルバムは聴けなくなってしまった。事故数日前、リセさんは父親に対する特別な気持ちを伝えた。「天国にいる父に、私は元気に頑張りながら生きていると伝えたい」と言ったリセさんは結局、父親、そして共に事故に遭ったウンビさんがいる場所へ旅立った。
9日午前、リセさんの葬儀は先に亡くなったウンビさんと同じ葬式場で執り行われた。韓国で火葬された故人の遺体は家族、親戚、友達がいる日本でもう一度葬儀を行った後、現地に安置される予定だ。
記者 : キム・イェナ