5 | W/H オーストラリアで過ごした1年

夕闇のカオサンロードは怪しい熱気に包まれていて、自然と興奮していた。

とりあえず急ぎ宿を決めたくて、ガイドブックに書いてあった宿へ僕たちは向かった。

メインストリートから一歩横道にそれると怪しさはより一層深くなり、恐る恐る目的の宿へ向けて路地を進んで行くと突然暗闇に中から男が現れ僕らに話しかけてきた。

最初は何だかわからなかったがよくよく見ると手に何やら白い粉末状の物が詰められたビニール袋を持ちそれを買わないか言って来たのである。

一瞬で如何わしい物であることはわかった。まさに刑事ドラマなどに出てくるそれである。一瞬にして再確認した。自分が今存在しているところがどんなところでどういう風に過ごしていくべきなのか今一度認識するには良い洗礼だった。

その夜は粉の一件もありそのまま外には出ずゆっくり休み、翌朝から本格的に行動することにした。

決して綺麗とは言えない部屋だったが僕たちは全く気にすることなく爆睡した。


翌朝、僕はかなり早めに起き、ぷらっとカオサンロードに行ってみた。

街は既に慌しく動き出していたが夜とは違い予想に反し健康的な朝の慌しさで僕は少しホッとしていた。少しカオサンロードを散歩し宿に帰ると既にみんなも起きていた。

僕は別にかまわなかったのだが、どうやら今の宿より安くて良い宿があるとの情報で移ろうと話し合っていたのだった。僕として特にこだわりなんかあるわけでも無くその提案を即快諾し早々に宿を移った。

その噂のゲストハウスは前情報通りで広い敷地にちょっとした中庭もありそこでは各国から来たバックパッカー同士で情報交換が行われていて申し分無い環境であったし、建物自体も品の良いウッド調でかなり綺麗だった。もちろん僕らは即決した。


荷物を部屋に置くと僕たち早速行動しだした。

まずは何よりもインド行きのチケットの手配である。その辺は事前にトコロが探検部の先輩に安いチケット屋がカオサンにあることを聞いていたので以外にあっさりと手に入った。5日後に出発の便でトコロは早くインドに行きたかったようでちょっとイライラしていたが、僕はタイという国に興味を持ち始めてしまったようでトコロに申し訳無かったが正直嬉しかった。それから僕たちは金は使わず移動はほとんど歩きでいろいろと見て回った。ワット・アルンやワット・プラケーオなど京都に住んでいながら行かなかった寺巡りをタイで行ってる自分がおかしかった。

毎日あちこち行く前にゲストハウスの中庭であーでもないこーでもないと相談するのが日課になっていた。そんなことをしていると各国の人たちと自然と会話するようになっていったのだが、ふと、あるとき気が付いたのである。中庭で集まるグループがはっきり二つに分かれていたのだ。ひとつは僕らのグループで一緒にいるのがイスラエル人やイギリスの黒人、もう一つのグループはフランス・ドイツ・イギリス・カナダなどの白人達。最初は全く意識していなかったのだが、気が付くと色んな面でショックだった。

日本にいたら全く意識しないのだが、自分が有色人種であるということ生まれて初めてはっきり認識させられた。

日本で生活する中で海外から来たひと達と話す機会があったとして、彼らはあくまでゲスト、僕らはホストという立場だったので意識せずにいられたのだが、同じゲストという立場同士になるとこうも関わってこようとしないものなのかとかなりのショックを受けた。

同じぐらいショックだったのがイスラエル人やイギリスの黒人が白人グループではなく僕らのグループに来たことである。イスラエル人は見た目白人と変わらなく思えるし、黒人にいたっては拙い英語の僕らより、はるかに白人グループの方が意思疎通できると思うのだが、彼らからすると居易さの基準は肌の色のようだった。それまでの僕の中でのボーダーが一瞬にして変わったのがわかった。「日本人」と「外人」と区別していたのが「白人」と「カラーズ」。そして自分は「カラーズ」なんだと理解した。