本日で定年退職を迎えます。
と書くと、人生の一大イベントのようですが、実際のところは少し事情が違います。翌日からは再雇用という立場で、引き続き同じ職場で働くことになりました。
この半年ほど、けっこう悩みました。
この機会に京都へ戻るのがいいのか、それとも和歌山でもうしばらく働き続けるのか。
将来のお金のことが頭をよぎり、結局「もう少しここで働こう」という選択をしました。ただ、この決断が正しかったのかどうか、今も正直よく分かりません。
なんだか会社にしがみついているみたいで、生き方としてロックじゃないんじゃないか、とか笑。
「そのうちやろう」と思っていることも、よく考えたら人生そんなに時間は残されていないのではないかとか。
現在副業としてやっている通訳ガイドを本職にしてなんとか糊口をしのいでいく。それも自分らしい生き方の一つではないか、と思ったりもします。
海外のお客さんに日本のことを話したり、城や寺の前で歴史の話をしたり。そういう仕事をしながら暮らしていく人生も、ボクの中では悪くない気がするのです。
辞めるのか辞めないのか、どっちも脳内シミュレーションをやりすぎて、「京都に帰ることにした」と京都や和歌山の友人に真顔で報告しているあのリアルなイメージは、単なる妄想だったのか、本当に言ったのか、だんだん区別が付かなくなってきました笑。
このタイミングで会社を離れていく同期入社や会社仲間もいます。彼らの姿を見ると「本当は自分も見送られる側だったのではないか」なんて思ったりもします。
もっとも、自分で選べるということ自体が、ありがたいことなのかもしれません。
辞めるしかないわけでもなく、働き続けるしかないわけでもない。悩めるということは、それだけ選択肢があるということですから。
若い頃、定年退職される先輩方には、ちょっとしたセレモニーがありました。
花束を受け取って、職場全員で集合写真を撮って、そのまま会社が呼んだタクシーに乗り込み、皆に手を振られながら会社を後にする、というアレ。
もっとも、そのタクシーは家まで送ってくれるわけではなく、普段そこから歩いて通勤している会社の最寄り駅で降ろされるんですけど笑。
あの頃の自分には、定年退職というのはずいぶん遠い世界の出来事に見えていました。
最近は継続雇用の人が増えたこともあって、そういう儀式めいたものはすっかり見なくなりました。表面上は特に区切りもないまま、翌日からまた普通に出勤、という流れになる予定です。
でも、自分の中の気持ちの持ち様は、やはり少し違います。
来年なのか、数年後なのか。会社員としての退職は確実にやってきます。
その日を見据えながら、これからの仕事や暮らし方を考えていくことになるのでしょう。
…とは言え、明日の朝も、きっといつも通り目覚ましで起きて、いつも通り会社に向かうのだと思います。
定年退職と言いながら、なんだか昨日の続きみたいな朝です。
人生というのは、案外そういうものなのかもしれません。大きな区切りがあるようで、本当はきれいな境目なんてない。
昨日の続きのような今日が、静かに次の章につながっていく。
どうやら、ボクの定年退職も、そんな感じになりそうです。
さて、これからどうなることやら。